第二話 ブルースカイ

 竹内涼子が親友と出会ったのは、高校入学時である。ありきたりのようだが、振り分けられた席が偶然にも隣だったのだ。暫定的に振り分けられた席は出席番号順で、竹内と藤堂で名字が同じタ行で近かったからかもしれない。
 ――髪の毛、結んでくれない? 上手く結えないの。
 そう言って、親友は輪ゴムを渡してきた。
 それが、竹内涼子と藤堂キリアの、初めての会話だった。

 *

 ナイアガラの滝みたいだ、と涼子は思った。
 親友の髪のことである。彼女の腰よりも長い黒髪は、机と言う器では収まりきることができず、床に向かってだらりとのびている。少々、長すぎなのではないか。切ったほうが邪魔じゃなくていいんじゃないか、とか、お節介ながら思ったりもする。そして、刺し殺したくなるくらい綺麗でさらさらだった。
 盛大にため息をつき、親友の前の席に座る。前の席の前田さんは、昼休みはクラスにいないので、昼飯を摂る時は使わせてもらっている。椅子を動かして、親友と向かい合う形に座る。
 涼子の席は親友の後ろにある。親友は四時間目が半ば過ぎた頃、麻酔銃に撃たれた獣のように眠りだした。そのまま起きずに、昼休みである現在に至る。こっちは真面目に授業受けているのに、と思うと、手に持った弁当で思いっきり頭を殴りつけたくなる。実際にそんなことはしないが。
 それにしても、最近の居眠り癖は異常だと感じてしまう。二時間ぶっ続け睡眠も珍しくなくなった。三限にやっていた数学の教科書類が、四限の生物のときに置いてあったりする。夜寝てるのかよ、と疑いたくなるほどだ。
 寝ている親友はそのままにして、涼子は弁当箱を広げだした。寝ている親友を待つ気はなかった。昼休みは短いのだ。さっさとご飯にしてしまおう。今日のご飯は、海苔ご飯と漬物、卵焼き、ウィンナーの野菜炒め、プチトマト、冷凍コロッケと、寝坊して十五分で作ったものにしては、上出来だ。
 教室内の騒がしさをバックミュージックに、話も何もなしに、無心に箸を動かす。
「竹内」
 後ろから、声をかけられた。
涼子のあだ名は、委員長だった。それは、彼女がクラス委員長を一年の時から続けているのが由来している。それ以来、委員長、というのがクラス内で浸透してしまった。名前で呼ぶのは、眼の前の寝ている親友と――声の主。
 声をかけたのは、男子生徒の黒崎歩だった。一泊だけ、涼子は息を飲む。彼の持つ冷酷な美貌は、何時見ても慣れた気がしないのだ。
黒崎歩は、異常なぐらい顔が整った少年だが、冷徹と無愛想と無関心の代名詞みたいな人間だ。たまにかけられる軽薄な黄色い声を、眼を細めて冷ややかに一瞥することで流している。誰とも連れ合わない。誰とも、必要最小限のことしか話さない。その為か、クラス内では変な意味で浮いていた。孤立はしているが、容姿のせいか何となく目立っている。
 黒崎歩は、無言で一冊の大学ノートを渡してきた。表紙の部分には「数学UA」と書いてある。涼子は箸を置いて受け取った。今日は日直だった。昼休み中に宿題のノートを集めて、担当教師の元に持っていかねばならない。面倒だが、これも仕事なので仕方がない。
 黒崎は背を向けて、そのまま席から離れた。涼子も食事を再開する。会話はない。話題もなければ、特に雑談をするような仲でもない。


 ――竹内涼子の席から離れた黒崎歩は、数歩歩いて後ろを振り向いた。目線は眼鏡をかけた生真面目な女子生徒の手前で止まる。
 黒崎は机に突っ伏している黒髪の少女の後ろ姿を、じっと見つめた。すっと眼を細める。紙があったら穴が開いてしまうのではないか、と思われるほど、その一点に意識を集めた。その動きに不自然というものは全くなかった。
 しばらくして、顔を戻す。
 そのまま教室から出ていった。


 キリアが起き上がってきたのは、涼子がご飯もすっかり食べ終わって、弁当箱を片づけていた頃だ。あと少しで、昼休みが終わる。
「おはよう」
 のっそりと頭をあげたキリアは、まだまだ寝足りない、という顔をしていた。こころなしか、顔色が悪い。切れ長の瞳は、だるそうに半開きになっている。
「今は……昼休みか」
「そーよ。あんた最近、寝すぎ。ちゃんと夜、寝てるの? おはようって時間じゃないわよ」
 キリアは涼子の質問を無視して、鞄から弁当を取り出した。彼女が出した灰色の弁当箱を見ただけで、涼子は何が入っているか見てとれた。いつもの日の丸弁当だ。料理ができないからか、面倒だからか、食に対して無関心なだけか、それとも完全に米粒主義なのか、よくわからない。この美しい親友には、謎が多い。
 頂きます、と手を合わせて、白い米を口に運ぶ。
「次の時間、何だっけ?」
「古典。源氏物語の夕顔。半分まで訳すのが宿題。何、その嫌そうな顔。やってないんでしょ」
「そのぐらい、やってあるわよ。源氏物語が嫌いなの。読んでいて苛々するわ。光源氏はプレイボーイじゃなくて、ただの女好き。反吐がでる。一回死ね」
 うんざりした顔でキリアが答えた。箸を動かす手を速める。顔からは、苛立ちと眠気が表れていた。苛立ちの原因は、次の授業だ。古典が嫌いなキリアにとっては苦痛でしかないのだろう。
 眠気の原因は――
「最近、変な夢を見る」
「夢ぇ? 一体どんな夢よ」
「不愉快な夢だから、教えない」
 キリアは鞄の中からペットボトルを取り出した。どこかの山の、美味しい水。喉を鳴らして飲み下す。五百ミリリットルの水は、すぐに、半分ほど中身がなくなってしまった。
 弁当箱とペットボトルを鞄にしまい――キリアは席を立った。それとほぼ同時に、予鈴が鳴った。あと五分で授業が始まる。
 トイレ、ではなさそうだ。涼子はすぐにわかった。……このまま授業をさぼる気だ。向かう先は、絶対に屋上だ。まったく、恐ろしいぐらいマイペースだ、と思う。本来ここで止めるのが親友であり、クラスメートであり、委員長である涼子の役目なのだろうが、何故かキリアがサボるときは、止める気が起こらないのが不思議だった。
 涼子が今まで出会った中で、一番不思議で謎が多いのが、藤堂キリアだ。
 午後の授業が始まる。

 *

 午後の授業を自主休講することに決めたキリアは、その足で屋上に向かった。古典の次は、音楽。古典は死ぬほど嫌いだが、音楽は嫌いではない。だが、今日は授業を受ける気にはなれなかった。学校は好きだが、嫌いな授業はとことん嫌いだ。だから、成績に響かない程度には出席するが、嫌いな授業は受けない。ついでに、授業そのものを受けたくない時は、とりあえず受けない。そういうスタンスで学校に通っている。文句言われない程度の成績を収めていれば、教師は何も言ってこない。誰になんと言われようが気にしない。変える気もない。
 何とかは高いところが好き、と良く聞く言葉がある。その言葉で言ったら、キリアは何とかの部類に入るのだろう。だが、その言葉は間違っている気もする。何故高いところが好きだったら、何とかに入るのだろう、と思えて仕方がなかった。屋上から下を見下ろすと、何もかも小さくなって――どこまでも、遠くまで見渡せる気がしてくる。そんな錯覚が好きだ。
 キリアは屋上のさらに上の――長方体の貯水タンクの上に登った。この上ならば、誰にも屋上にいることに気付かれないだろう。密かなお気に入りの場所だ。そのままごろん、とあおむけに寝転がった。視界に入るのは、雲も何もない、狂ったぐらい綺麗な青い色だけだ。
 涼子に言った「変な夢を見る」という言葉は、半分は正解だ。ただ、起きる時にはどんな夢だったかを全く覚えていない。「変な夢を見た」「不快だった」という、獏然とした感覚だけが、体の中に張り付いている。お陰で熟睡できやしない。
 このままもう一眠りいこう、と瞼を閉じかけたときだ。

「随分いい御身分ね」

 キリアは勢いよく身を起こした。
 自分以外は、誰もいない筈の場所だ。それなのに、声がした。明らかに、自分自身に向けられた声だった。
だが、誰もいない。
三百六十度首を回したが、人の影は見当たらなかった。
笛の音がした。恐らく、どこかのクラスが体育の授業で校庭を使っているのだろう。
幻聴だろうか。寝不足が祟って、ここまでおかしくなるのか。

「そんなとこに、いないってば、ここ。ここだってば」

 猫みたいだ、とキリアは思った。声の性質が、菓子みたいに甘ったるい。いかにも女の子といった感じの、可愛らしい声。だが、クラスの女子がよく上げるうざったい嬌声とは違う。可愛らしくも、余裕を感じる。

「上、上を見てみなさいよ」

 上。上にあるものは、酸素と窒素と少しばかりの水素と、青い空しかない。雲はなくて、たまに鳥も通るかもしれない。――人の声なんて、上からは聞こえてこない筈だ。それでも、半信半疑になって、上――空を見てみた。
 瞬間、眼を大きく見開いた。
 身を起こしたキリアの、三メートル上空に、
 白い傘を持った銀髪の少女が、宙に、浮いていたのだ。

 銀髪の少女は、ふわり、と音もなく貯水タンクの上――キリアの眼の前に舞い降りた。自然に、座っているキリアは、銀髪の少女に見下ろされている形に向き合う。
 十五、六ぐらいの、この高校に通ってもおかしくない年頃の少女だった。制服を着ていないことから、生徒ではないということが分かる。
 銀髪は自前らしく、脱色したあとは見ることが出来ない。絹糸のような銀の髪を、黒いリボンで二つにまとめている。紺の瞳に、綺麗なラインを描いている鼻筋。柔らかく引き締まった唇。健康的な白さを保つ肌。控え目にフリルのついた白いワンピースを身に包んでいる。スカートから、ハイソックスをつけた形のいい脚がのぞく。服と同じ白い傘を、開いたまま手に持っている。メリー・ポピンズみたいだ、とキリアは思う。
 ツインテールがよく似合う、かなりの美少女だ。
 屋上の、さらに上の、狭い貯水タンクの上で、二人の少女の視線が絡み合う。
「こんにちは」
 少女はにこやかに笑った。
 キリアの頭の中に、清楚という単語が浮かび上がった。白い傘に、白いワンピース。例えば夏の暑い日、避暑するために遠出した、深窓のお嬢様といったいで立ちだ。確かに、ぴったりな単語だ、と思った。
だが、突如として現れた少女に、キリアが警戒心を解いていないのも事実だった。分かっていることは、二つ。この学校の生徒ではないということ。そして、今までの人生上、出会ったことがないということ。
 はっきりさせたい。
「あんた、誰?」
 この少女が一体何者なにかを、早くはっきりさせたかった。
「私は聖菜」
 少女は名乗った。
「いや、私が聞きたいのは名前じゃなくて……」
「私がどうしてあなたの前に現れたか、でしょ?」
 キリアの言葉を、少女――聖菜が途中で遮った。
全くその通りだった。
少女は微笑みを崩さない。
「私もね、人に頼まれただけなのよ。あの方も何を考えているのだか、私にもわからないんだけど。それで、ちょっとあなたに渡さないといけないものがあって」
 聖菜はスカートのポケットに手を突っ込んだ。今まで少女とずっと目が合って、全然気付かなかったのだが、少女は胸元にネックレスを付けていた。瞳と同じ、深い紺色の石――ラピスラズリみたいな石――が、トップだ。
 上の人、あの方。全くよくわからない。頭がついていけてない。一体何なんだ。
「ねぇ、藤堂キリアさん」
 キリアは眼を極限まで開いた。自分の名前は、まだ名乗ってない筈だ。なのに、
 どうして知っているんだろう。
「そんなこと、まぁいいじゃない。細かいことじゃないんだし。それよりもあなた、最近よく眠れてないでしょ?」
 口を開こうとしたキリアを、聖菜が再度遮った。
 背筋に悪寒が走った。今は初夏で、寒気を感じる季節ではない。ただ単純に、銀髪の少女に、得体の知れない恐ろしさを感じた。卵の殻が砂糖ならば、中身には唐辛子が詰まっている。ただの清楚なだけの少女ではない。
「そんなあなたに、これ」
 聖菜は右手を出した。一つのネックレスが、聖菜の掌の上にあった。彼女が付けているネックレスと、デザインが似ていた。ただひとつ、はっきりとした違いがあった。石は蒼ではなく、鮮やかな赤い色だった。
 血の色みたいな。
 キリアはそれを指差して、
「これを?」
「だから、あなたにだって」
 意味がわからない。そう感じたのは、この少女と出会って何度目だろうか。たった数分、いや、数秒かもしれないのに、疑問符があまりにも多すぎた。
 聖菜はなかなか受けろうとしないキリアの掌に、ネックレスを押し付けた。鎖の冷たい、硬質な感触が掌に伝わる。
「受け取って。そうしないと、私が困っちゃう」
 そんな事を言われても、こっちだって困っている。どうして受け取らないといけないのだ。
 意味が分からない。
 聖菜はすっと、自分の顔をキリアの顔――いや、耳に近付けた。銀髪の少女の吐く息が、左耳にかかる。
 小さい声で、一言。
「これはもともと、貴方のものよ」
「――え?」
 聖菜は言い終わるや否や、キリアから顔を離した。足くびを利かせて、貯水タンクの上を飛ぶ。
 少女の足が、地から離れる。
 しかし重力は働かず、やはりさっきと同じように、落ちることなく宙に浮いている。聖菜はにっこりと笑い、
「また会いましょう」
 宙を旋回して、下にゆっくりと落ちて行った。
キリアは慌てて少女の姿を眼で追った。学校で一番高い場所だ。そんなところから落ちたら、大怪我どころの問題ではない。
 だがしかし。聖菜の姿はどこにもなかった。視界の端から消えてしまっていたのだ。キリアは呆然とした。まるで外という空間から、かき消えたかのようだった。
「一体、何なのよ……」
 風が吹く。
 後には混乱しきったキリアと、血の色をした石だけが残された。

 *

 鉄錆の匂いが鼻腔を刺激する。嫌な匂いだ。
 闇に包まれている中で、手元だけはしっかりと視認できた。銀色の鋭い光が、弧を描いている。刃だ。物語上の、死神が持つような――大きい鎌。柄の長い鎌を、右手でしっかりと握っている。
 鎌を持っているのは、私の手だった。体のどこを探しても、痛みはどこにも存在しなかった。無傷であることが分かる。五体満足な、私の体。
 ならば、
 この鉄の匂いはどこからだ?
 なぜ私は、得体の知れぬ鎌など握っている?
 刃は光だけを放っているのではなかった。先からは、鉄文をふくんだ赤い液体が滴り落ちている。
 ――私がやったのか? 誰を? 何のために? あたりは暗くて、何も見えないという中で。
「そう、あなたがやったの」
 ひどく淡々とした、女とも取れれば男とも取れる、中性的な声が私の耳に届く。私は声に従って後ろを振り向いた。黒い空間と、その中で反響する不気味な声は、血に濡れた刃以上に私のこころを動揺させた。
 私はそこにいるものを見て――息をのんだ。
 見覚えのない、一人の少女だった。
 眼を引くのは、暗闇でもなお主張して輝く黄金の髪。
 顔は右半分隠れている。肩までの髪ではなく、白い包帯が意図的に顔を覆っているのだ。半分だけの顔は薄く笑っている。慈愛的なものではなく、嘲笑的だった。黒い瞳は私を写しつつも、私という存在を受け流しているようだった。
そして全身が、顔と同じように包帯で巻かれていた。衣服は見当たらない。おそらく包帯が服の代わりになり、下着の代わりを成しているのだろう。体のラインが、はっきりと見える。数か所、包帯が取り払われた部分があった。そこからは嘘みたいに白い肌がのぞいていた。私と恐らく同じぐらいの歳だ。
 異形の少女。そんな言葉が当てはまった。
「私はあなた」
 少女の、薄いくちびるが開かれる。
「そして、あなたは私。私は、常にあなたの中にいる、影」
「な……!」
 何言ってんの、あんた。
たった一言が出てこなかった。口を開いて声を出そうとしても、声帯と、何よりも頭が、声を出すという行動を拒否しているようだった。頼りなく、息が震えるだけで。
「私は」
「知らない、なんて言わせない」
 震えながら、やっと出てきた言葉を遮られる。
「だってあなた、知らない、じゃなくて、知らない振りをしているだけだから」
「――あんたなんか知らない!」
 ほとばしる悲鳴は、絶叫に近かった。
 見覚えどころか、影さえも見たことがない。然し、異形の少女の口ぶりからは、嘘はよみとれない。寧ろ、私の発言に対し、純粋な疑問を持っているようだった。そして――
 動揺が大きくなる。金髪。包帯。黒い瞳は、恐ろしく純度の高い宝石みたいだった。頭に痺れが走った。異形の少女は、私にとって不吉と死の象徴として映った。特に――黒すぎる瞳に。きっと、あの瞳は誰を殺しても、きっと揺らぐことがない。彼女を見れば見るほど、彼女に対する恐怖心と動揺が大きくなった。
 頭の痺れは収まらない。
 知らない。その一点を、ただひたすら主張すればいい。
 だけど――本当は、私は彼女の事を知っているのではないか。そんな疑心暗鬼が生まれてくる。彼女の言う、知らない振りをしているのだろうか。何か、本当は――。頭の回転を早くして、六年しかない記憶を辿って、ある筈のない彼女の姿を探した。無駄なことだとは分かっていた。それでも、あふれてくる不安を消し去りたかった。何かを思い出そうとすると、頭の痺れが増した。
 異形の少女が私に寄ってくる。動くたびに、少しだけはだけた包帯が揺れた。
 やめて。お願いだから、よらないで。何も聞きたくない。私は眼を逸らすことで、彼女という存在を排除した。これ以上彼女を見ていると、私の中の何かが壊れてしまう気がする。
「じゃあ」
白い両手が伸びてきた。
「あなたに、あなたが忘れたあなたのことを、真実を教えてあげる」
 彼女の手が、私の両頬を包み込んだ。氷のように冷たい手には、強い力こそなかったが、離すまいとする強い意志が含まれていた。カッチリと、私と彼女の眼と眼が合う。口の端は嫣然と弧を描いていた。

 お願いだから。
 私を今のままの私でいさせて。

 *

「キリアー!」
 聞きなれた高い声が響いて、キリアは眼を覚ました。覚醒しきっていないからだを起こしてみると、眠る前のような真っ青な空ではなく、赤と青のグラデーションで彩られた空が広がっていた。
 目線を下におろすと、三つ編みの親友の姿がそこにあった。授業が終わったのだろう。結局午後一杯でなかったけど、まぁいいかと、苦笑していると、右手の中に固い感触があった。
 血で染め上げたかの様な色。
 心臓が凍ると思えるほど冷たい。
 西の空に、今にも沈もうとしているオレンジ色の球体を見つけた。消える間際に、最も濃い色をおとす太陽。それは、人を照らす温かみと不思議な包容力を持った色だった。
 夢の中の、血まみれの鎌と異形の少女がフラッシュバックする。
 ――脳裏に浮かんだ瞬間、目眩とも吐き気とも思われぬものに襲われた。並行感覚を失って、体が斜めに傾いた。貯水タンクの上の、狭い面積の中で右手をつく。荒い呼吸を繰り返し、重たく感じる体を片手で支えた。腕の力を抜くと、その場で倒れこんでしまいそうだった。
「ちょっとキリア!」
 いつの間にか目の前に、三つ編みの少女の顔があった。屋上から登ってきた親友の姿を認めると、安心して自然と顔が破顔するのが分かった。誰かを気遣うような涼子の顔を見て、心配してくれて嬉しい気持ちと情けなさがない交ぜになった。
「顔、真っ青よ!? どうしたの!」
 何も答えられなかった。ただ背中から、冷たい汗が流れている。強く右の拳を握る。爪が掌に食い込んできた。瞬きを何度も何度も、繰り返す。こうしていないと、涙腺が崩壊してしまいそうだった。
 あんなのは嘘。全部悪い嘘だ。
 青い色を無くしかけた空が、じわじわとキリアの混乱を煽った。 

* 

 自宅までの道なりを一定のペースで歩いていた。日が落ちて、黒い影が長くなっていく。どこまでも続いていく電線には、カラスが何頭も群がっていた。住宅地は、意外に人通りが少ない。歩いているのは、彼の姿以外見当たらなかった。無表情で歩き続ける。
 彫刻のように動かぬかと思った顔が――少し、ほんの少しだけ、動きを見せた。眉間にしわを寄せる。足音は変わらずに先刻から自分のものしか響かない。だが、それだけで後ろに誰もいないと決め付けるのは軽率だった。
「趣味が悪いな。後ろにいるなら出て来い」
「あらぁ、ばれちゃった? 歩君。上手く出来たと思ったんだけどなぁ」
 声の主はまるで悪げもなく――黒崎歩の後ろに現れた。砂糖菓子のような、甘い少女の声。黒崎歩は振り返らない。ペースを崩さずに、足を動かした。それは相手が誰で、どういう人物か、知っているからだ。声の主も、歩の様子に不平不満を言わずに、無言でついてくる。
「……何をしに来た」
 数分の沈黙を破ったのは、歩の方だった。声の主はうーん、と唸っている。見なくても分かる。おそらく、人差し指をくちびるにあて、考えるしぐさをしている。考える必要がないのに、考えるふりをする時にやる、彼女の癖だ。
「歩君の、綺麗な顔を見にきたって言えば、信じる?」
「冗談に付き合っている暇はない」
「もう、つれないんだから」
 くちびるを尖らせ、銀の髪を翻しながら、歩の前へと少女が回る。体の細い線と反して、歩の身長は意外と高い。少女を見下ろすかたちになった。
 銀髪の少女の、自然な色の赤いくちびるが弧を描いた。くちびるだけでなく、藍色の瞳も楽しそうに輝いている。

 この少女が現れると、碌な事が起こらない。

 

 


 

前回の第1話、日付が2005年の8月になってます。で、今回2話です。
カレンダーを見たら、現在、2009年の10月でした。2005年年度は確か、冬のオリンピックシーズンです。そして、今年、2009年度の秋冬も、冬のオリンピックシーズンですね。
こち亀の日暮さんかこのシリーズは!!ではなく、
もしかして待ちわびた方へ。4年ぶりの続きです。遅れてすみませんでした。

2話なんですが、新キャラを一気に出しすぎてちと反省気味です。でも今出さないと出しそびれそうなキャラがいたので、出すことにしてしまいました。しかも、伏線をすべてほったらかしです。
新キャラが多いのとほったらかしなのは別にいいとして(良くはないんですが)、問題はこのまままた数年ほったらかしにしそうで怖い……。
1話がトリノシーズン、2話がバンクーバーときたら、次の3話はソチシーズン……。
にならないように気をつけたいです。

にしても本当に自発的に動かない主人公で苦労します。

文章については……何か鈍いですね……。久しぶりに三人称で書くと、いろいろつらいです。一人称が楽、ということではないんですが。

 

それではなるべく近いうちに出したいと思っている、第3話に続きます。

 

 

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