五.邂逅する二つの魂

 

(お、重い……)
 食料、衣類、鍛冶道具、薬品、玩具に骨董品などなど。
 師アロイから命じられた買い物を、ヘルクは今まさに終えたところであった。
 買出しリストを見直しながら、ヘルクは思う。師匠は一体何にこれらの品々を使うのだろうと。食べ物や衣類はわかるが、それ以外の物の用途がまったく不明である。しかも量が尋常でない。
 規模の大きい街に着くと、アロイは決まってこういった買い物をヘルクに課す。手に入れることが難しいものが含まれていることも珍しくなかった。
しかし、どんなに量が多くても、入手困難でも、ヘルクは師の言葉に従わないわけにはいかないのだ。逆らえば、或いは一つでも買い損ねたり、少しでも指定された量に満たなかったりすれば、考えるだけでもおぞましく理不尽な制裁を加えられてしまう。
これはきっと嫌がらせに違いない。買い物など半分以上は名目で、その実弟子をからかいこき使い痛めつけて楽しんでいるのだ、あの人は。
(でも、値切りまくったおかげで予算の半分に抑えられた……。ふふ、ふふふふふ……)
 右手には複数の巨大な袋、左手にも複数の巨大な袋、果ては首にも袋を下げ、極めつけに背中に少女を背負った異様な出で立ちで、憔悴しきった表情のまま不気味な笑い声を立てているヘルクを、道行く人は避けて歩く。はたから見れば面妖な光景極まりない。
 そう、背中には、件の少女を背負ったままなのだ。
 あれ以後、名前も知らない自称別世界から来たこの少女は一度も目を覚まさないままだ。
熟睡しているようで、ヘルクの背中に全体重を預けている。すぅすぅと聞こえてくる寝息は可愛らしいが、何だか少女の頭が乗っている肩のあたりが濡れてひんやりしている気がする。よだれ、だろうか。遠慮のない眠りっぷりに最早呆れるより他ない。
(まあでも、キーディンの言うとおり、僕が拾っちゃったんだから、今更放り出すわけにはいかないし……)
 つまりは自業自得なのだ。文字通りお荷物を一つ背負い込んでしまったわけである。


 ヘルクは荷物まみれの両腕を器用に動かして軽く身じろぎし、少女を背負いなおす。
 ゆっくりしてもいられない。もうそろそろアロイが指定した集合時間である。一秒でも遅れれば、師匠の鞭のような尻尾が繰り出す強烈なビンタが容赦なくヘルクの顔面を襲うだろう。
丁度背中の少女が起こしてほしいと告げた時間も同時刻だ。このまま仲間との集合場所まで連れていくしかないだろう。それから皆にこの少女をどうするべきか相談すればいい。
(先生とキーディンは面白がるだろうから、あてになるのはメフリスだけだけど……)
 ありありと脳裏に浮かぶそれぞれの対応に苦笑いを零してから、ヘルクは重い足を前に出した。
 とりあえず、目下の問題は遅刻せずに闘技場前まで辿り着けるかどうかだ。


 建物の影が、段々と濃く、長くなってきた。家路につきはじめる人や、店じまいの準備をする人たちが少しずつ多く目につくようになる。
 ヘルクは走りながら、一瞬だけ西の空を仰いだ。視線の先はもうすっかり炎の色に染まり、千切った綿菓子のような雲がその光を受けながらたなびいている。
 すぐに顔を正面に戻して、歯を食いしばる。もう時間がない。急がなければ。
 もとから全力疾走していたヘルクだが、ここにきてありったけの、渾身の力を総動員させて足を速めた。
 大量の袋が忙しなく音を立て、背中の少女の頭が歩調に合わせてがくがくと揺れ、肩にぶつかる。それでも少女は起きる気配を見せない。が、それらのどれにもヘルクは構っていられなかった。
 石畳の道路を蹴り、いくつもの角を曲がって必死に目的地を目指す。大荷物を抱えているにもかかわらずとんでもないスピードで走り、通行人や障害物にぶつかりそうになると素早く的確なフットワークですり抜けていく。
 一心不乱に、無我夢中で駆けていたヘルクの目の前に、この街の大通りが見えた。速度を緩めずに大通りへ出ると、そのまま身体の向きを九十度変える。そうすると、道の先の一際大きな建造物が目に入った。
 待ち合わせ場所の闘技場だ。
 あと一息、という距離に達して、ヘルクの心がかすかに軽くなった。
 その瞬間。



 カラーン……、カラーン……



 街中に鐘の音が響き渡り、驚いた鳥が飛び立つ羽音もそれに混じって鼓膜を打つ。今のヘルクにとって、最も残酷な音だ。
 約束の定刻であることを告げる鐘に、走り回ったために上昇していた体温がさーっと冷えていくような感覚を覚える。と同時に、ヘルクの足は深く考えるより早く動いていた。
(鐘が、鳴り終わる、前に……!)
 何としても、闘技場の正門前に辿り着かねば。
 悪魔に追いたてられているかのような速さと形相で、ヘルクは死に物狂いで走った。
 カラーンと響く小気味良い音を数えながら、ぐんぐんと近くなる闘技場を見据える。正門が目と鼻の先に迫った頃には、仲間の姿が既に揃っていることが確認できた。
 長身痩躯に金髪のキーディンと、ふわふわの淡い緑色の髪のメフリス、そしてメフリスの肩の上に寝そべる、小型の龍の姿の師、アロイ。
 そして、その二人と一匹に混じって立つ、三つの見慣れない人影。
 背中に大剣を背負った黒髪の青年と、長いスカートと銀髪の女の子、それからヘルクと歳や背格好が近そうな茶髪の少年。
 彼らが何者か、とか、どうしてメフリスたちと馴染んだ様子でいるのか、といった疑問は、今のヘルクの頭には浮かばない。というより、そんなことを考える余裕がまったくなかった。
 五人と一匹の元へ猛進するヘルクに、キーディンと黒髪の青年が同時に気がついたようだった。
 ぱっと二人が視線をヘルクに向けると、他の面々もつられてそちらを見る。その動きと、最後の鐘の音が、重なった。
 長く尾を引く鐘の音の余韻を、凄まじい勢いで滑り込んできたヘルクの靴と地面が擦れる音が掻き消す。
 足を止めたヘルクは、ぜーはーと肩で呼吸しながら項垂れる。自分に六対の視線が集中するのを感じたが、とにかく今は身体が酸素を欲しているから、呼吸を整えることに専念したかった。
「ま、間に合っ……」
「遅いぞ馬鹿弟子が」
 シュッ、バチーンッ
「うぎゅっ!!」
 荒い息の間に零しかけた安堵の言葉を、無慈悲極まりない声と音が切り裂く。
 アロイの長くしなやかな尾が、ヘルクの顔に鋭く打ち下ろされたのだ。その突然の衝撃で、ヘルクは身体のバランスを崩して倒れかける。が、背中の少女の存在を思い出して、咄嗟に足を踏ん張って体勢を立て直した。
「ひ、ひどいですよ先生……!」
「黙れ。二秒の遅刻だ。口答えは許さん」
 痛みのせいで涙が滲む目を上げると、翼も動かさずに空中に静止しているアロイがいた。獣の容貌に表情らしい表情は浮かんでいないが、短からぬ付き合いから、師がひどく苛立っていることはわかる。金の瞳からは冷たい怒気が迸っていた。
 その目を見て、ヘルクは口から出かけた文句や言い訳を慌てて飲み込んだ。こういうときのアロイに逆らってはいけない。ビンタどころか半殺しにされてしまう。そのことを、ヘルクはよく知っていた。
「……で、ヘルクよ。言いつけたよりも荷物が多いようだが、背中のそれはどうしたんだ? まさか道端に落ちていたものを拾ってきたわけではあるまい?」
 厳しい目つきでヘルクを一瞥した後、アロイはずいっと首を伸ばして弟子の顔を覗き込んだ。アロイが自分の顔と、自分の肩に乗っている少女の頭へ交互に視線を投げたのを見て、ヘルクは説明を求められていることを察した。
「えっと……、この子が空腹で行き倒れていたところを助けて、その後死んだように眠り続けているので、放っておくわけにも行かず、こうして連れてきました……」
 こうして説明してみると、確かに落ちていたのを拾ってきたようなものなのかもしれない。
 そう思いつつ、なぜかキーディンとメフリスに注目され、そしてそれ以上に見知らぬ三人が自分の言葉にひどく真剣な様子で耳を傾けているので、ヘルクは軽く当惑した。
 そういえば、彼らは一体誰なのだろうか。そして、自分に背負われたまま眠り続ける、この少女は。
「それから……、本当かどうか僕には判断できませんけど、この子、別の世界からやって来たんだそうです」
 そう告げた途端、アロイが目を細め、他の面々は驚きやら安堵やらの入り混じった何ともいえない表情になる。状況が読めず、ヘルクは更に困惑した。
「……まったく、本当に面白いことになったな」
「?」
 恐らくは笑っているのであろうアロイの顔を見て、ヘルクは首を傾げた。そんな弟子に構わずに、アロイは後方を振り返る。
「お前たちの仲間は、これで全員揃ったな?」
「ああ。お蔭様でな」
 答えたのは黒髪の青年だった。自分よりも年上だろうが、キーディンよりは確実に若い。顔の造作は精悍に整っており、声と口調と表情は鷹揚だ。
 まだ完全には呼吸が整わず、汗も引いていない。相変わらず両手と首には大量の荷物、背中には女の子をおぶった格好のままだ。正直、重くてしんどい。が、そんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
 自分が買い物に奔走していた間に、一体何が起きたのか。控えめに、ヘルクはアロイに尋ねてみる。
「あの、先生……。この人たちは、どちら様ですか?」
「いちいち説明し直すのは面倒だ。全員に全部まとめて伝える。まずは背中のそいつを叩き起こせ」
 そういえば、二時間経ったら起こしてくれとこの少女にも言われていた。それにいい加減、荷物を降ろしたい。
「あの、起きて下さい。二時間経ちましたよ」
 声をかけながら背中を揺すってみるが、少女が目を覚ます気配はない。ヘルクが困っていると、黒髪の青年がおもむろにこちらに歩み寄ってきた。
「あー、駄目駄目。そんな生易しいやり方じゃ、そいつは絶対に起きねえ」
確かに、ヘルクが全力疾走していたときの振動でも平然と眠り続けていたのだから、こんなことでは目を覚まさないだろう。
 どうするのだろうと青年の動きを見ていると、すぐ傍で立ち止まった彼は、いきなり少女の頬をぎゅうっと引っ張った。
「おいメリッサ、起きろ」
「……ん〜……」
 遠慮なく頬の肉を掴まれ、青年に耳元で大きく呼びかけられると、少女はヘルクの肩の上でくぐもった小さな呻き声を上げた。背中越しに、もぞりと身じろぎした動きが伝わってくる。
「起きろって言ってんだろ」
「……うるさい……」
「てめえ……」
 それでもまだ、完全には覚醒していないようだ。夢うつつでも不機嫌な声で、もっと寝かせろと言わんばかりの態度である。人の背中の上でのその寝汚さにヘルクは軽く呆れ、青年は顔を引き攣らせた。
 それでも成り行きを見守っていると、少しだけ黙り込んだあとに、青年は少女の頬を引っ張ったまま、一言だけ低く呟いた。
「……起きないとチューするぞ」
「断る」
 いやにはっきりと即答しながら、少女はむくりと身を起こした。一瞬前までの爆睡っぷりが嘘のようなきびきびとした声と動作に、ヘルクはびっくりした。
青年の発言にもぎょっとなったが、本気だったのか冗談だったのか判断できないため、深く考えるのはよそうと決める。
「……。あれ……? ジオ? マナにレオンもいる……。というか、ここどこだ? 何があったんだっけ?」
「暢気だなお前……。大変なことになってるってのに……。それよりまず、降りてやれよ。人様に負ぶわれといていつまで寝る気なんだ」
 眠気を残す声の少女と同様、いまだ事態は飲み込めないヘルクだったが、青年の最後の言葉には心中で全力で同意した。

 ◆ ◆ ◆

 夢も見ないほど熟睡しすぎたせいか、まだ少し頭の芯がぼうっとしている。
 すぐ傍には相棒、近くに二人の弟子もいる。そして見慣れない男と少女、見たことのない奇妙な小動物、見知らぬ街並みが視界に映った。そして目の前には、灰色の髪に大きな布を巻いた、人の頭。
 メリッサはジオの言葉で、自分がその頭の持ち主に背負われていることに気付いた。言われるまま、のそのそと緩慢な動きで背中から降り、地面に足をつける。
「ふあ〜……」
 大きな欠伸とともに身体を存分に伸ばすと、徐々に意識がはっきりしてくる。軽く目を擦りながら、メリッサは記憶を辿って現状を把握しようとした。
 深い眠りに落ちる前、飯を食った。空腹で死にかけていたところに居合わせて食事をさせてくれたのが、この灰色の髪の少年だった。そこまでは思い出した。
 ではなぜ、自分は行き倒れるほどの空腹と疲労に襲われたのだったか。確か、何か強力な術を使ったのだ。そうだ、とても強い、奔流のような激しい力に引っ張られて、どこかへ流されそうになった。抗って踏みとどまることができそうになかったから、せめてジオとマナとレオンとはぐれないようにと、自分も力を使った。
 あのときだ。実家の自室。魔術研究会へのレポートの再提出、相棒との組み手、高すぎて届かない本棚の一番上の本。それから、光。その中心の、
「……『アロイ』……」
 ちっぽけな紙切れを思い出したことで、メリッサは完全に覚醒し、おおよその状況も理解した。
「そうだ……。別の世界に来てしまったんだ……」
「そのとおり」
 噛み締めるように呟いたメリッサの言葉に、肯定の声が返ってきた。そちらに視線を向けると、伝説上のドラゴンをずっと小さくしたような生き物が、意味深な光をたたえた黄金の瞳で自分を見ていた。
「ようこそ、私たちの世界へ。異世界の魔術師よ」
 動物が喋ったことには軽く驚いたが、それ以上に金の眼に浮かんだ笑みのほうが強烈に印象に残った。
 漠然と、波乱の幕開けを予感した。
 だが、思い返してみればメリッサの人生は半分以上が波乱に満ちていた。ならば何を臆することがあるというのだろう。自分はいつだって、どんな困難にも立ち向かって、生き抜いてきたではないか。
 だからメリッサも笑ってやった。強かに、鮮やかに。
「上等だ」
 異世界だろうがなんだろうが、負けてなどやらない。

 

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