6.すべて彼女の召すままに




「……えーと、つまり? あの人たちは、先生が使った転移魔術で別の世界からここに飛ばされてきてしまった、と……?」  
ごくかいつまんだ大雑把な説明をアロイから受けたヘルクは、顔を引き攣らせて師に確認する。
「そうらしい」  
あっさりと首肯を返した小さな獣の姿の師に、ヘルクは軽い眩暈を覚えた。
「らしいって……無責任なこと言わないで下さいよ……。どうして先生はいつも、こう、何かしらの騒動を引き起こすんですか。それも無関係の人たちを巻き込むなんて……」
「ほんとにね。異世界まで力を及ぼすなんて、相変わらず規格外で目茶苦茶で、ある意味流石アロイって感じだけどさ。毎度付き合わされるこっちの身にもなってほしいよ」
「ふ、二人とも、アロイさんだって、まさかこんなことになるとは予想してなかったんだし……。確かに私も色々とびっくりしたけど……」
 ヘルクに同調して大仰に肩を竦めて呆れてみせるキーディンと、そんな二人をなだめながらも戸惑いを隠せないメフリス。各々の反応を睥睨して、アロイはヘルクの肩の上で軽く尾を振った。
「どいつもこいつもやかましい。過ぎたことでいちいち騒ぐな」
 アロイは困った様子や申し訳なさそうな素振りは微塵も見せず、そしてそんな気分など全く感じていないに違いない。事態を重大なことと考えているようにはとても思えない、いつもどおりの横柄な態度だ。
 正直なところ、ヘルクもこの現状にそれほど驚いているわけでもない。師の力が、本人にも把握しきれないほど巨大なものであるらしいことは知っていたし、これまで厄介な目には何度も何度も遭遇してきた。異世界の人間と出くわすというのは、至極特殊なできごとではあるのだろうけれど、狼狽する感性はこの師とともにいるうちにとうに摩滅してしまっていた。
 師の図太さに感化されつつある自分を何となく切なく思う。決して自分はここまで非道でも高圧的でもないと信じているが。
「それで、どうするんですか? あの人たちのこと」
 確かに起きてしまったことはなかったことにはできないと諦めて、ヘルクは頭を切り換えることにした。
 ヘルクたちから少しだけ離れたところに集まって、再会を喜んでいる異世界の四人に目を向ける。自分が少女を道で拾ったように、キーディンも街中で銀髪の美少女に出会い、アロイとメフリスは近くの森の中で、青年と少年にそれぞれ邂逅したのだという。 別世界の住人といっても、外見は自分たちと全く変わらないように見える。だがしかし、あの小柄な少女が凄まじい量の食事を平らげていたのを思い返すと、もしかしたら何かしら身体の構造は違うのかもしれない。それとも、単に彼女が例外的に燃費の悪い体質なのか。
(そういえば、まだあの子の名前も聞いてないんだった)
  そして自分も名乗っていないことに、ヘルクは気付く。そんな相手に、よく食事を摂らせ背中という寝場所を提供する気になったものだと、我ながら呆れてしまう。
 「もちろん、元の世界に帰してやるさ。通常交わることのないものが交わってしまっているというのは、双方の世界にとって理の範疇外のことだ。修正しなければならない。呼び寄せることができたのだから、術式の痕跡を応用して帰り道を敷くことは可能だろう。だが……」
  そこで不意に言葉を切ったアロイを、三人でうかがい見る。自分の顔のすぐ横にある師の小さな頭を覗き込んで、ヘルクはたちまち後悔した。
「すぐに帰したんじゃあ、つまらないだろう?」
 獣の造形でも判別できる、凶悪で楽しそうな表情をしていたのだ。くつくつと低く喉の奥から響く笑い声も聞こえる。アロイが何か企んでいるときの顔で、大体ろくでもないことを考えており、その場合ヘルクはいつもひどい目に遭う。
「こんな機会は恐らく二度とないぞ。せっかく異世界の魔術師に出会えたんだ、あちらの技術や知識を搾り取ってやろうじゃないか」
「その辺は俺も同感かな。面白そうだよね、向こうの魔術」
 悪い顔のまま続けたアロイに、キーディンが賛同する。赤い目がしげしげと件の四人を眺めていた。つられたようにメフリスの目もそちらに向いて、同じく興味深げな様子だ。
 確かに、とヘルクも思う。未だ師からは一人前と見なされず見習いではあるが、魔術師の端くれとして探究心が疼くのを自覚した。
「ヘルク」
 呼ばれて、反射的に傍らのアロイと目を合わせる。先ほどまでの禍々しい表情は引っ込み、今は無表情な獣の顔だ。ただ、黄金の瞳だけは相変わらず強い意思を宿している。どこか荒々しく、それでいて思慮深く、挑発するようでいて見守っているようでもある。そんな目で自分の目をひたと見据えてくる。
 (あ……、何か大事なことを教えようとしてくれてる……)
師がこういう目をするときは、そういうときなのだ。その視線から目を逸らさず、言葉に耳を傾けなければいけない。どんなに傍若無人でも、アロイはいつでもヘルクを成長させてくれる。これまで散々な思いもたくさんしてきたが、それが揺らいだことだけは一度もなかった。
「わかっているな、馬鹿弟子。己の危うさを忘れるな。そして己の危うさに怯えるな。己の危うさを支配しろ。そのために学ぶことを怠るな。どんな対象からでもだ。たとえ異世界の魔術だろうとなんだろうと、貪ってお前の糧にしろ。……私たちには、己を支える多くの力が必要だ」
「……はい」
 真摯な気持ちで、ヘルクは頷いた。アロイが自分をけしかけるということは、自分にはまだ成長する余地があるということだ。 強くなることに貪欲であれ。師の教えの基本の一つはこれだ。成長の機会を逃さないということも。今が、そのときだということだ。それも、またとない貴重な好機。
 「よろしい。では、せいぜい楽しむとしよう」
 そう応えたアロイの声には、不敵な笑いが滲んでいた。ヘルクがどうこうとは別に、アロイはアロイでこの状況を満喫する気でいるようだ。 何を考えているのかはわからないが、もうアロイの企みは動き出し、そこからヘルクが逃れることなどできないのだ。こうなったらもう、開き直るしかない。そう、師が言うように、楽しんでやろうではないか。

   ◆ ◆ ◆ 

 多少位置はばらけたが、渾身の魔力を振り絞った甲斐あってか、四人とも無事に異世界に到着できたことに、メリッサはとにかく安堵した。
 仲間の三人から、こちらの世界に来てからのことを聞いていたが、それぞれ運に恵まれたことを思い知る。特に自分だ。行き倒れしかけたところを助けられ、食事にありつくことができ、しかも寝ている間に仲間たちのところまで運んでももらえたのだから。きっと日頃の行いが良かったからに違いない。
 あとでちゃんとお礼を言うように、とマナが念を押すのに頷いて、メリッサはここまで自分を背負ってくれたらしい少年を横目で見やった。
 髪の毛も瞳も濃くくすんだ白で、見るからに人の良さげな、温厚そうで小奇麗な顔をしていることに改めて気がついた。もっとも、見ず知らずの人間を怪しむことなく介抱するあたり、決して賢明であるとはいえない気もする。彼のそんな性分に、今回メリッサは救われたわけなのだが。
 軽く少年を観察したメリッサは、やはりどうしても気になって、彼の肩の上の物体に視線を注いでしまった。
「……何なんだ、あの喋る生き物は……。ドラゴンか? ドラゴンなのか?」
 メリッサが眉を寄せて唸ると、横に立っていたジオが短い笑いを吐き出した。
「あの珍獣がドラゴンかどうかはわからねえが、俺たちをここに飛ばしたのはあいつらしいぜ」
「は?」
「え?」
まだ事情を知らないメリッサとマナは目を丸くしてジオを仰いだ。傍らではレオンが複雑そうな顔をして黙っている。
「これ、何て書いてある?」
 そう言ってジオがポケットから引っ張り出して見せたのは、例の紙切れだ。
 アロイ、合金を意味するその単語を、メリッサとマナは声を揃えて読み上げる。するとジオは、さっきまでメリッサが見ていた少年と獣を顎で示した。
 「あの珍獣の名前、アロイって言うらしいぞ」
 「それがどうしたって言うんだ?」
 ジオの台詞には少々驚いたが、それだけではあの小動物とこの状況との関わりがはっきりとは見えてこない。メリッサが首をひねると、ためらいがちにレオンが言葉を挟んだ。
「魔術師なんだそうですよ、あの生き物。その紙に強い魔力を練りこんで、できるだけ遠くへ飛ばした上で、紙に触った人間を術者の近くに移動させる魔術を施しておいたんだそうです……。本人も、まさか異世界にまで飛んでしまうとは思っていなかったと言っていました」
 レオンの説明を聞き終わる頃には、メリッサの顔つきはS級魔術師の、魔術研究者のそれに変わっていた。ジオから受け取った小さな紙片を注意深く見つめる。
 「……どこにでもある普通の紙だ。こんな脆い物に、物質としての構造を全く変質させることなく、異世界跳躍を引き起こすほどの膨大な魔力を込めることができるなんて……。どんな術式を組んだらそんな芸当ができるんだ……」
 あれこれと仮説を立ててみようとするが、これはこの世界の魔術だ。メリッサがもっている、あちらの世界の知識や理論が通用するとは限らないと思い至り、沈みかけた思考を中断した。
 気になる。とても。凄まじく。いったいどんな仕組みの術なのか。いや、もっと言ってしまえば、この世界の魔術の理屈が故郷の魔術とどう違うのか、すごく知りたい。
 未知のものに出会ったときの高揚感が、胸の深いところからふつふつと湧いてくる。それを解き明かしたいと理性が勇んでいるのを自覚した瞬間、メリッサははたと気がついた。  ここは、異世界。つい最近、その言葉について激怒した覚えがある。はて、何だったか。割と大事なことだった気がするのだが。
 思い出せずにいると、上から相棒の鷹揚な声が降ってきた。
「魔術のことはわかんねえけど、とんでもねえ話だよな。でも、お前にとっちゃ悪い状況じゃないよな、メリッサ。なんせ本物の異世界で調査できるんだ。再提出食らったレポートも、これでどうにかなるだろ」
「それだ!」
 急に大声を上げたメリッサに、他の三人は面食らったようだった。が、気にしてなどいられない。事態が事態なだけにすっかり失念していたが、ジオの言うとおり、これはチャンスだ。
(これであのくそじじい共を完璧に論破できる研究報告が作れる!)
 爛々と燃えるつぶらな目も、勝利を確信した笑顔も、ぐっと握った拳も、可愛らしい見た目に反してひどく力強い。
  闘志に似た衝動をぐっと抑えて、メリッサはもう一度手の中の紙切れに視線を落とした。それから、この紙に魔術を仕込んだという奇妙な生き物をちらりと見やる。 異世界跳躍を引き起こしたというのなら、その仕組みはあの獣に聞き出すのが手っ取り早くて確実だ。そして何より、元の世界へ戻るためにも、招き寄せたのと同じ術者の助力は必要不可欠だろう。 熟慮するまでもなく、結論が出た。
「ジオ、マナ、レオン」
 三人の仲間に呼びかける。その声は自然と明るく弾んだ。
「しばらくここに滞在するぞ」
 メリッサが快活に断言すると、相棒はやれやれと、しかし面白そうに口の端を持ち上げ、二人の弟子は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに諦めたように溜息をついた。
「……こうなる気はしてたわ」
「そうですね……」
 伊達に一緒に旅を続けてきたわけではなく、マナもレオンもメリッサの性分をよく理解している。メリッサのほうも、弟子たちがこんな反応をしながらも何だかんだ自分についてきてくれるのを知っていた。
「決まりだな」
 そして、相棒がいつだって変わらず飄々と付き合ってくれることも。メリッサが多少の無茶をやってのけられるのは、こうして一緒にいてくれる仲間がいるからだ。
 これまでもそうだった。困難に負けたくない、剛胆でありたい。問題に直面しても、満足いくまで突き詰め解決することを厭いたくない。それを貫いてこれたのは、自分一人だけの力ではなかった。
とんでもない事態の渦中にいることは、肌で感じている。自分で招いたことではないが、ここに留まることを選ぼうとしているのは、間違いなくメリッサ自身だ。そういう意味では、身勝手に仲間を巻き込むことになるのかもしれない。
申し訳なく思わないわけではなかった。何せ、ここは異世界だ。異なる真理が支配する場所。そんなところでの個人的な用事に付き合わせてしまうことになるのだから。
 しかし、メリッサは確信している。こんな状況下でも、三人は離れずにいてくれると。それは経験則でもあり、何よりも揺らがない信頼に裏打ちされた確信だった。
 この四人でいれば、何とかなる。今までだって、何とでもしてきたのだ。それがどんな対象であろうと、そう臨むことは少しも変わりはしない。
 「楽しくなってきた」
 右手で作った拳を、左手の掌に軽く打ちつける。そうやって気合を入れるメリッサを見て、三人は笑った。 

 ◆ ◆ ◆  
 
数歩離れていた珍獣とその一行のもとへ、メリッサはさっそく近づいた。
「ちょっといいか」
  そう声をかけると、三人と一匹分の視線が自分に集まる。
 異世界跳躍を引き起こした、転移魔術とやらについて珍獣を問い詰めたいと気が急いたが、背中をマナにつつかれて思いとどまった。そうだった、忘れるところだった。
 「さっきは助かった。ありがとう」
  灰色頭の少年の正面で立ち止まって、メリッサはさっぱりとした口調でそう言った。   少年はぱちくりと瞬きをする。何に対して礼を言われているのかわかっていない顔だ。   「飯食わせてくれて、寝てる間も放り出したりしなかっただろ。割と危ない状態だったんだ。だから本当に助かった。迷惑かけたな」
「あ、ああ、そういうことですか。迷惑とか、気にしないで下さい。あんな憔悴した状態の女の子を無視するなんて、できなかっただけですから」
  重ねたメリッサの言葉に合点がいったという風に、少年は控えめに微笑んだ。中々に品の良い表情と言葉遣いだ。中音域の声も耳に心地良い。
 「あ、でも、食べた分のお金はちゃんと返して下さいね」
気性といい、良いところのお坊ちゃんだろうかと勝手にメリッサが推測していると、少年は笑顔のままそう付け足した。あまりに自然な流れだったため、一瞬その内容の理解が遅れる。
「……え? 金払えって?」
「はい、当然です」
  いぶかしんでメリッサは聞き返すが、少年の表情も声音も全く変わらない。
「……この世界の金なんて持ってないんだけど。というか奢ってくれたんじゃないのか」   「流石に知らない人に無償でご馳走したりしませんよ。自分で消費した分は、ちゃんと稼ぐなりして返して下さいね。あ、利子は特別に免除しますから、ご心配なく」
「…………」
  前言撤回だ。良家のボンボンがこんなに金にこだわるわけがない。個人の貸し借りで利子なんて言葉が飛び出てくるわけがない。人畜無害そうな顔で平然と、こんな世知辛いことを言ってのけられるはずがない。お人好しそうな第一印象が、見事に瓦解した。
  少年は懐から細かい文字が並ぶ細長い紙を取り出してメリッサに見せた。恐らく先ほどの食事の領収書だ。上から下までざっと目を通す。
  奇妙なことに、そこに書かれている文字が、メリッサには読めなかった。見たこともない文字なのだから当たり前だ。だが、例の紙切れに記されていた文字は読めた。それも、メリッサが普段使用する、あちらの世界の文字で書かれていた。これは、一体どういうことなのだろう。
 (このことも、小動物に聞いてみないとわからないな。……それにしても)
 「それにしても、お前、よくもまあこんだけ食ったな」
「本当に……。相変わらずの食いっぷりですよ」
 「人様のお金なんだから、もう少し遠慮してもよさそうなのに……」
 横から顔をのぞかせたジオたちが、口々に言う。視線の先は領収書。それもかなり長い。読めなくても、たくさんの品目がずらりと列挙されているのは一目瞭然だ。
  確かに我ながら、と、メリッサも苦い気分になる。非常事態だったとはいえ、これだけの量を初対面の人間にたかるのは、流石に非常識かもしれない。
 「……わかったよ。ここにいる間に返す。後でこっちの貨幣の価値とか教えてくれ」
 「はい。耳を揃えて、必ず全額返済して下さいね」
 少年の表情も声も変わらないままだ。が、もうメリッサの目には品が良さそうには映らなかった。
「そういえば、お名前をまだ聞いてませんでした」
 メリッサが若干げんなりしていると、少年が思い出したように話を変える。
  話題が逸れて正直嬉しい。そして、お互い名前も知らない状態で金銭の賃借について話していたという珍妙な状況に、今更思い至る。
「そうだったな。私はメリッサ。メリッサ・スティングスだ」
「メリッサさん、ですね。僕の名前はヘルク・ハーバンです」
 よろしく、ともう一度微笑を浮かべるその顔は、やはり人好きのする類のものだった。金についての執念さえ見せなければ、ただの優しげな少年でとおるだろうに。
「おい、小娘」
 不意に尊大な声が投げられて、メリッサは軽く驚いた。
  声の主は、小さなドラゴンのような姿をした生き物。ヘルクの肩の上にしどけなく寝そべり、頭だけを持ち上げてこちらを見ている。
  先ほどジオからちらりと聞いたが、なるほど、見た目からはまるで想像できない不遜さだ。
「ここにいる間に、と言ったな。こちらの世界に留まるつもりか?」
「しばらくはね。あんたが私たちをここへ呼び寄せたんだって? 色々と聞きたいことがあるんだ。ちょーっと顔を貸してほしいんだけど」
「ほう、奇遇だな。私もお前に尋ねたいことがあったところだ。すぐに帰せと縋り付いてくるかとも思ったが、これはこれで都合が良い」
  珍獣の問いかけにメリッサが勝気に答えると、獣もまた横柄な色を強くして切り替えしてくる。きらきらした金色の両目が、すうっと細められた。その動きだけは、態度と裏腹に優美だ。アロイというらしいその生き物は、そのまま続けた。
「私とお前の目的は、恐らく同じだろう。私はお前たちの世界の魔術に興味があり、お前はこの世界の魔術に関心がある。違うか」
「ご明察。でも、まず最初に確認しておきたいんだけど、私たちを元の世界に帰すこと、あんたにならできるんだよね?」
  声と表情を改めて、メリッサは最も重要なことをたずねた。これでもしできないと言われたらどうしてくれよう、と、ほんの少しだけ緊張しながら。
「当然だ。予期せぬこととはいえ、私が行ったことのけじめは私がつける。可能だろうと不可能だろうと、必ずもう一度世界と世界の境界をこじ開けてみせよう」
 アロイの返答はきっぱりと明瞭だった。口調は横柄なままだが、逆にそれが頼もしく聞こえる。珍獣にも魔術師としての正当な矜持があるらしいことを感じ取って、メリッサはその言葉を信じることにした。
 「それを聞いて一安心だ。これで帰りの心配をせずに研究できる」
 「で、これから具体的にどうするつもりだ? 常識も情勢もわからぬ別の世界、加えてお前は借金のある身だ。しばらくこちらで生活するとしても、何のあてもないだろう?」
 一番の気がかりが解決しそうなことにひとまず安堵したメリッサだったが、アロイに畳み掛けられてぐっと言葉を詰まらせた。
 確かに、魔術の調査をするにしても、身一つではどうすることもできない。意欲もやる気も十分にあるが、それは物質的な支えがなくては維持することが難しいのは事実だ。
 そりゃそうだ、とジオがぼやく。マナとレオンも不安げに顔を見合わせているのが視界の端に映った。
そんなメリッサたちをひと眺めして、アロイは獣の顔で薄ら笑いを浮かべた、ように見えた。
「何、心配することはない。私に提案がある。それを呑んでもらえるなら、滞在中のお前たちの面倒はこちらが責任をもって見てやろう」
「……提案?」
  珍獣の申し出はメリッサにとって願ったりだったが、その表情が気になる。動物の風貌のためはっきりと判別できるわけではないが、どうにも嗜虐的に笑っているように感じるのだ。
 何となく嫌なものを覚えながら、メリッサは慎重に聞き返した。
「そう警戒するな。こちらにとってもそちらにとっても悪い話ではないと思うぞ」
  アロイはそう前置きして、ヘルクの肩の上で上体を起こし、背後に聳える巨大な建造物を振り仰いだ。つられて、他の面々も同じようにそちらに視線を向ける。
  夕暮れが迫り、橙色と影色がその建物の外壁を彩っている。重厚な造りのそれは、メリッサの目には装飾の施された城塞のように見えた。
 「三日後から、この闘技場で大規模な武闘会が催される。出自、経歴は問わず、二人一組であれば誰でも参加可能だ。武器、魔術の使用等、相手を殺さなければ何をしてもいい。トーナメントを勝ち進み優勝した組には多額の賞金が与えられる」
 端的に説明するアロイの様子からは、何を考えているのか、話が見えてきそうで見えてこない。出かたを窺っていると、珍獣はくっと喉を鳴らして続けた。
「その武闘大会に、我々と一緒に参加してみないか?」
「は?」
 数人の素っ頓狂な声が重なった。メリッサとジオ、それからヘルクのものだ。声を上げなかった他の面々も、それぞれ驚きの表情でアロイを注目している。
 どうやらアロイが仲間にも知らせず独断で話を持ちかけているらしいことは推察できたが、その真意は測れないままだ。眉間が寄るのを自覚して、メリッサは輝く金の目を強く見返した。
「理由と目的を、わかりやすく説明してほしいんだが」
 「簡単なことだ。さっきも言ったように、お互いの世界の魔術について知るということが大きな目的だ。大会に出るのはその手段というだけのこと。武芸の腕に覚えのある者と同じくらい、魔術の心得がある者も多く参加する行事だからな。……実践を通して体感するのが、ものごとの本質を理解する最も手っ取り早い方法だと思わないか?」
 急ぐでもなく言い募るアロイの口ぶりは、楽しげだ。そして言葉の内容は、実に粗っぽい理屈だった。目茶苦茶な、と思う一方で、理にかなっていないわけではないとも感じる。とどのつまり、メリッサはそういう考え方が嫌いではないのだ。
 地道な理論の研究も良いが、その場の判断力で対応していく実験的作業も好きだ。どちらかというと後者のほうがメリッサに肌にはあっているのかもしれない。
「なるほどね。こっちの魔術と嫌でも向き合わなきゃならない状況に飛び込めってことか。……面白そうじゃん」
様々な魔術に接触できるのならばそれに越したことはない。思い切り暴れられそうな武闘大会という響きにもそそられる。しかも彼らと行動を共にできれば、当面はこちらでの暮らしに心配はなくなる。その上、借金を一気に返すことも可能かもしれない。
 肩越しに仲間たちを振り返れば、三人とも目で頷いて承諾を伝えてくれる。それに首肯して、改めて珍獣に向き直った。 やる気を見せたメリッサに満足そうな視線を寄越して、アロイはまた薄く笑ったようだった。
 「では、決まりだな」
 「ああ、いいよ。ありがたく世話になる。でも三日も時間があるなら、その間に色々と話は聞かせてもらうからな」
 「それはお互い様だ」
 尊大に請合ったアロイは、そこではじめて自分の連れたちに目を移した。
「こういう次第だ。お前たちもそのつもりでいろ」
 一方的に告げる声も口調もぶれることなく不遜だが、もたげた鎌首のしなやかさとゆらりと揺れる尾の動きだけは典雅なものだ。 メリッサが軽く目を奪われていると、珍獣を乗せた肩を大きく落として、ヘルクが溜息をついた。
「また先生は一人で勝手に話を進めて……。まあ、いつものことですし、いいですけど」   「俺たちに拒否権がないのも、いつものことだしね。でもいいんじゃない。今回は特に面白いことになりそうだし」
 「アロイさんが言わなくても、皆さんをこのまま放っておくことはできないものね。武闘会だって、最初から参加するつもりでこの街に来たんでしょうし」
 呆れと諦めを濃く滲ませて呟いたのはヘルク、愉快そうに言ったのは金髪で長身痩躯の青年、少し困ったように、それでいて穏やかに微笑んだのは淡い緑色の髪の少女だ。
 アロイの身勝手に振り回されるのに慣れきってしまっているらしい三者三様の反応を見て、メリッサは何だかおかしく思った。多分、自分たちと同じで、彼らの間にある信頼関係は薄くも浅くもないのだろうと、そう窺えたからだ。
 そんなこんなでメリッサたちはアロイ一行としばらく行動を共にすることになった。    全員の了承を確認した後、まずは簡単に自己紹介しろ、と言い出したのはアロイだ。自然すぎる流れで珍獣がその場を仕切っているわけだが、誰もそのことについて口を挟まない。  ヘルクが小動物を先生と呼んだり、年長の青年が皮肉を交えつつも従ったりしているのを見ると、どうやら彼らの中心人物はアロイであるらしい。
 それがまたとても奇妙にメリッサたちの目には映るのだが、ここでの常識と故郷の常識は違うと思い直して、つっこみたい気持ちを抑えた。
 ともかくも、自己紹介だ。寝ていたメリッサと、そんなメリッサを運んでいたヘルクは、相手の面々とまともに喋ることもできなかったのだから。
「じゃあ、改めて。メリッサ・スティングス、魔術師だ。よろしく」
 主に青年と少女のほうを向いて名乗ると、よろしく、と青年が笑い、可愛い、と少女が目を輝かせた。前者は普通だが後者の反応がよくわからず、内心戸惑う。
「ジオ・ダンガード。メリッサの仕事上の相棒だ」
「マナ・フラニガンです。メリッサに師事して魔術を教わっています。……あの、メリッサを助けて下さって本当にありがとうございました」
「僕はレオンといいます。同じくメリッサ師匠の弟子です。……僕からも、師匠が大変お世話になりました」
 ジオがいつもどおり飄々と、マナとレオンが丁寧な声音で続く。弟子二人はヘルクに向って深々と頭を下げる礼儀正しさだ。殊勝な様子にメリッサが感心していると、ヘルクは顔の前で両手を振って、気にしないで下さい、お金さえ返してくれれば、などと言っている。歪みない。
 「へえ、そんなに若いのに弟子を取れるほどの魔術師なんだ。そっちの世界の制度とかはわからないけど、やっぱり、アロイの魔術に対応できるだけのことはあるみたいだね」
 声を投げかけてきたのは、金髪の青年だ。赤い色の双眸が興味深そうに自分と二人の弟子を交互に眺めている。
 彼の疑問は至極まっとうだと、メリッサは思う。どう見ても子どもに分類されるであろう自分に複数の弟子がいるというのは、故郷でも珍しい事例だったはずだ。
 けれど、性別も年齢も体格も、実力には大して関わりない。その点でいうなら彼らと一緒にいる小動物のほうが特異なのではないだろうか。あんなに小さいのに、メリッサたちをここへ呼び寄せた力は、抗うのが困難なほど強力なものだったのだ。
「……あんたも魔術師?」
 大人の余裕とでもいうのだろうか、気の良さそうな顔をしているが、胡散臭いような、抜け目ないような、何となく油断ならない雰囲気を漂わせる青年を見上げて、メリッサは問うた。
「一応ね。俺はキーディン・ベルツ・トーレ。縁あってヘルクたちと旅をしてる。よろしく、メリッサちゃん」
軽い調子で青年が答えた途端、メリッサはすぐそばに小さな違和感を感じた。ふと目を巡らせると、ジオの様子が少しおかしいことに気がついた。
常より目が据わり、警戒の色がかすかに滲み出てこちらに伝わってくる。本人は何でもない風を装っているが、メリッサには隠せない。彼の注意は間違いなく、キーディンに向けられていた。
(……確かにちょっと怪しい感じのする男だけど……。ジオがこういう顔するってことは、もしかして結構やばい奴だったりするのか……?)
 相棒の勘の良さを思いながら、メリッサも何気なく青年を眺める。
赤い目は、色こそ鮮烈だが強暴な印象は受けない。表情も物言いも軽いくせに、ひどく落ち着いていて理知をうかがわせる目だ。それでいて思考を気取らせない、掴みどころのない風情でいるのだから、喰えない男であることは多分間違いないだのだろう。
 メリッサに判断できたのはそこまでだった。仲間と打ち解けたやり取りをしているキーディンからは危険は感じないが、ジオが彼の何に険を強めたのかは、とりあえず後で聞くことにしよう。今は聞いてもしょうがない。
「それで……あんたは?」
次にメリッサが視線を向けたのは、淡い緑色の髪の少女だ。
恐らくマナと同じくらいの歳だろう。メリッサにたずねられ、少女はにっこりと感じの良い笑みを浮かべた。
「はじめまして、メリッサちゃん。メフリス・アミュレイよ。私も魔術師で、ヘルクたちと一緒に旅をしてるの。……大変なことになっちゃったけど、しばらく仲良くしてね」
「あ、ああ、よろしく」
裏表のなさそうなこざっぱりとした声で言いながら、メフリスは握手を求めてきた。差し出された右手の手首には、銀の台座に蜂蜜色の石が埋まった腕輪が絡んでいた。
 軽く戸惑いながらも応じると、どいうわけか突然彼女はふにゃっと表情をとろけさせる。そして、やっぱり可愛い、と、またもやよくわからない台詞を吐いた。
どこか恍惚とした様子で細められた瞳は、海の色だ。それも、真っ白な砂浜と真っ青な空、燦々とした陽射しや入道雲が似合う、明るい緑を帯びた南国の海の色。ほっそりした首元に輝く碧潭たる宝石と同じくらい、瑞々しい虹彩だった。
無意識の内にその色に吸い寄せられ、メリッサは知らず覗き込もうと首を傾げていたらしい。
「……! 可愛いっ……!」
メフリスが小さく叫んだと思ったら、頭を抱きしめられていた。無論、声の主に。
「……は?」
 わけがわからず、メリッサは固まるしかない。髪を撫でられながら頬ずりされて、いよいよ意味がわからなくなった。引き離そうと思えばできたはずだが、どういうわけか思考が止まってしまった。
 ごく普通の印象の良い少女だと思ったのだが、これは一体何だ。
 確か彼女はレオンと遭遇したのだったと思い出したメリッサは、横目で弟子の少年に助けと説明を求めた。が、レオンはふいっとメリッサから目を逸らして気まずそうに黙り込んだ。そして心なしか顔が少し赤い気がするのだが、なぜそんな反応をする。
 ではマナ、と思ったが、視界の隅の彼女は目をきょとんと瞬かせているだけで特に動いてくれなかった。弟子が少し薄情に思えた。一時の錯覚ではあるが。
 やはり頼るべきは相棒だ、とジオに目で訴える。しかし、彼もまた目で訴えてきた。俺にどうしろと、と。こっちが聞きたい。
 「メ、メフリス、メリッサさんが困ってるから、放してあげたほうが……」
 助け舟を出してくれたのは、ヘルクだった。がめついとか思ってすまなかった、と、メリッサは心の中で大いに感謝した。
 「はっ……! ご、ごめんなさい……!」
 ぱっとメフリスが頭を解放してくれる。今まさに我に返った、という風体で、自分のしたことに自分でも驚いているように、メリッサには見えた。
 「うぅ、情けない……。またやっちゃった……。でも、だって可愛いんだもん、しょうがないじゃない……」
 そんなことを呟きながら、メフリスは恥じらいに染まった顔を両手で覆った。相変わらず発言の内容が理解不能である。
(……この子も癖の強いやつみたいだな……)
 何だか変な連中の集まりだというのが率直な感想だ。メリッサたちも十分にそれぞれ個性が強いのだが、それは棚に置いておく。
 中でも一番異様なのは、どう見ても件の珍獣なわけなのだが。
 改めてしげしげとアロイを眺めながら、メリッサは好奇心を押さえ切れずにたずねる。   「……で、あんたは、なんなわけ?」
「何って、魔術師だ。呼び名はアロイ。それ以外に私を説明する言葉はない」
ヘルクの肩の上の生き物は、断定的に言う。そういうことを聞きたいわけではないのだと、アロイもわかっているのだろうに、答えるつもりはないようだ。
それを察して、メリッサは不満になる。口を尖らせて、今度はヘルクに声をかけた。
 「お前、この小動物のこと先生って呼んでたけど、教え子なのか?」
「え? ああ、はい、そうですよ。僕はアロイ先生の魔術の弟子です」
 いぶかしむメリッサと違い、ヘルクの返事はこだわりなくあっさりしている。
「……それって、この世界じゃよくあることなのか? 動物が魔術使ったり弟子取ったりするのって」
「いいえ、まずないとは思いますけど……。でも別に、獣がそういうことをしてはいけないとか決まっているわけでもないですし。そちらの世界ではそんな規定があったりするんですか?」
「……いや、ないな、確かに」
 ヘルクの大らかな言い様に、メリッサは少し考え込んでから否定する。言われてみればその通りだと、妙な感心を覚えながら。
「それに、先生普段はこんな姿をしてますけど、本当は――」
「挨拶はそこまでだ、馬鹿弟子」
 何か言いかけたヘルクだったが、アロイに翼で後頭部を叩かれたため、続きを口にすることはできなかった。
「じき日も落ちる。そろそろ宿を探さねばならん。が、その前に、武闘会に参加する組合わせを決めるぞ」
 時間の感覚が鈍っていたが、東の空は薄い宵の色に染まりつつある。メリッサたちが立ち話を続ける闘技場前の広場にも雑踏が増していた。それぞれの家路に流れていく人波から外れた位置で、一同はアロイに注目する。
 「そういえば、トーナメントは二人一組での参加が条件だって言ってましたね」
 「そうだ」
 マナの確認に、アロイが頷く。
 「でも、魔術師もたくさん参加する大会です。こちらの魔法のことを何も知らない彼らに、そんな人たちを相手に戦えっていうのも、危ないんじゃないですか?」
 ヘルクが至極真っ当な意見を述べ、メリッサも無言で同意した。もちろん、自分たちはそれぞれ腕に覚えがあるわけだが、故郷にいた頃のようには通用しないこともあるだろう。進んで不利な戦いに出るのは、できれば避けたい。とはいえ、やるからには勝つことを信条としている身なので、どんな状況に陥ろうと屈する気などないのだが。
「だから組を決めると言ったんだ、馬鹿弟子。我々と組めば、こいつらがこちらの魔術師に翻弄されることもないだろうし、お互いの魔術を間近に見ることもできるだろう」
 弟子の言葉を受けたアロイは、嘲るように鼻を鳴らしてそう言い返す。
「ああ……。そういうことですか」
 純朴な様子で納得を示すヘルクと同時に、その場の全員がアロイの意図を理解した。アロイが武闘会に参加するよう仕向けてきたのは、こういう状況を目論んでのことだったらしい。確かに簡単で現実的な策である。メリッサたちにとっても異議はない。
「で? どうやってペアを決めんだ? くじびきでもすんのか」
「そんなことをする必要はない。もう組み合わせは決まっている」
「……は? いつの間に、誰が決めたんだよ?」
「たった今、私がだ」
「おいおい、何だそりゃ。得意分野の相性とか話し合うなりするだろ、普通」 「おや、不満か」
「当たりめーだ。一人で勝手に話を進めやがって。こっちの都合や希望を無視されちゃ黙ってらんねえよ」
「ほう、お前たちに選択の余地があると思っているのか? 余程路頭に迷いたいようだなな、ジオ・ダンガード」
 胡乱げなジオと断定的なアロイの不毛な応酬。傍から見ていると人間と珍獣の口論という異様な光景だ。 最終的に口を噤んだのは、ジオだった。普通の喧嘩と同じくらい口での喧嘩も強い相棒にしては珍しい。相手の弱味を愉快そうに盾に取る珍獣のえげつなさのほうが、今回は勝ったということらしい。
「あ、あの……。すいません、先生はいつもこんな感じなんで……。でも、別に考えなしなわけじゃないんで、ここは譲ってもらえませんか」
 おずおずと申し訳なさそうに言ってきたヘルクは、大変恐縮しているようだった。その肩の上でふんぞり返っている小動物とは大違いである。
「……けっ。あんたらもよくこんなやつと一緒に旅なんてしてられるな」
「それは、まあ……。散々な目にあうことも少なくありませんけど、今日まで何とか無事に生きてこれたわけですし、もう慣れちゃったっていうか……」
あはは、と困ったように、それでいて爽やかにヘルクは笑うが、台詞の中見はとてもじゃないが穏やかには聞こえない。慣れてしまう程頻繁に命に関わるような経験をしてきたというのだろうか。
(どういう師弟で、どういう旅だよ、それ……)
声には出さずにメリッサはツッコミを入れる。恐らくジオも似たようなことを感じたのだろう。小さく舌打ちしただけで、それ以上は反抗する気をなくしたようだ。ならば、話を戻そう。
「それで結局、誰と誰が組めばいいんだ?」
アロイの態度が少し癇に障るのは事実だが、相手が決まってから色々打ち合わせすればいい、くらいの気持ちで、メリッサは口を開いた。
期待と不安と緊張が少量ずつ混ざった、微妙な空気が流れる。一拍置いて、アロイは告げた。
「簡単なことだ。それぞれ最初に出会った相手と組めばいい」
「最初に……」
反芻しながら、目を動かす。すると、同じタイミングでこちらを見てきた灰色の双眸とぶつかった。
「ちなみに、異論も意見も一切認めない」
切れ味の良い口調で、アロイは全員の退路を塞いだ。
「じゃあ、俺はマナちゃんと組めばいいんだね。お互い無理せず、気楽にいこう」
「は、はい。よろしくお願いします。足を引っ張らないよう、気をつけます」
 やんわりと気負いのない具合のキーディンと、小さく慌てながらぺこりとお辞儀をするマナ。胡散臭いところのある男だが、実力はありそうだから、戦いになったらそれなりに弟子の少女をフォローしてくれるだろう。マナだって、可憐な見た目の割りに芯はしっかりしている。適度な人間関係を築いて、上手く立ち回れるはずだ。
「私はレオン君と一緒ね。わからないことがあったら、何でも聞いてね。怪我をしないように気をつけて、協力して頑張りましょう」
「あ、は、はい。なるべく迷惑にならないよう努力します。しばらくお世話になります」
  身を乗り出しながら熱心に話しかけるメフリスと、それに少し気圧され気味のレオン。世話好きそうな、お姉さん肌ともいえる印象の少女のようだから、きちんとレオンの援護をしてくれるに違いない。それに、ああ見えてレオンの戦闘技術は高いし、性根も据わっているのだ。手助けさえあれば、大抵のことには臨機応変に対応できそうだ。
 弟子の二人とそのペアは、多分、特に心配はいらない。少し眺めただけだが、メリッサは直感的にそんな感想を抱いた。
 では、と、メリッサは改めてヘルクに向き直る。
(……あんまし強くなさそうなんだよな)
 正直なところ、そう思う。精神面では図太さの片鱗を見たが、魔術の実力はどうかと観察すると、よくわからない。けれども師の傘下にいるということは、恐らくまだ一人前ではないに違いない。
(特に強い魔力を感じるわけでもないけど……)
 あくまでメリッサの故郷での基準から計るに、今ヘルクから感じるのはごくごく平凡な量と質だ。
 例えばアロイからは、小さい入れ物に、容積を遥かに上回る量の膨大な魔力を押し込めた、今にも爆ぜそうでいながら完璧に封じられたような力の脈動を感じる。キーディンからは、力を器用に隠しているような、メフリスからは、薄い魔力の膜が身体を覆っているような、そんな気配が漂ってくる。
 なのにヘルクだけは、形容する言葉が見つからないくらい、どこまでも凡庸だ。
(普通すぎるくらい普通だな。個性もない。それが何だか気持ち悪い。考えすぎかもしれないけど、得体の知れない感じがする)
 異世界跳躍を発動させることができるような魔術師が、何の変哲もない子どもを弟子に迎えるのもおかしな話だ。もしかしたら、何か特別な能力があるのかもしれない。
 喉の奥に魚の小骨が引っかかったような違和感を覚えたが、メリッサは結論を急がなかった。そのうち嫌でも、色々と知るはめになる予感がしたのだ。
 メリッサがヘルクを見ていたように、ヘルクもメリッサを観察していたらしい。彼がこちらに何を見出したのかは知る由もないが、しばらく静かに瞬きを繰り返したあと、唐突に笑顔を浮かべた。
「メリッサさんは強い方なんですね」
 その笑顔も言葉も、ヘルクがどういうつもりで発したものなのかはわからない。ただ、先ほどまでの声とも微笑ともどこか違っていた。ひどく穏やかなくせに、ずっとずっと深いところに何かが燻っている、メリッサにはそう感じられた。
(……不思議な奴だ。でも……)
 小奇麗な顔で、物腰が柔らかく、お人好しで、どこか頼りない感じのする、それでいて金に目がなく、愚かでも貧弱でもないらしい、命の面でも金の面でも借りがある、燃え滓の色を纏った少年。
 (悪くない)
「……それはどうも。とりあえず、よろしく」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
 応えたヘルクは、もとの人の良さそうな表情になっていた。
 とりあえず、現時点で共闘相手に大きな不満も不安もない。性格は概ね温厚で人付き合いも悪くなさそうだし、力量はまだ不明だが、根性はありそうだ。あまりしつこく借金のことを言ってくるようだったら、一発殴ろうとは思うが。
 アロイが最初に遭遇した相手と組めと言ったのは、単なる思い付きなのかもしれないし、それとも何か思惑があるのかもしれない。どちらにしても、即席の組み合わせにしては中々バランスがとれているのではないだろうか。実際の戦闘になったらどうなるかは未知数だが、ひとまず性格上の相性はまあまあな気がする。
 「……ちょっと待て」
 メリッサが少し良い気分で現状を分析していると、横から不機嫌極まりない声が聞こえてきた。
 ジオがものすごく、怪訝そうで嫌そうな顔をしている。なぜだろうと考えるより早く、本人が荒っぽく喋りだした。
「こっちに来て最初に出くわした奴と、っつうことは、俺はそこのアロイとかいう奴と組まなきゃなんねえってことだよな? こいつはこんな小さい珍獣だぞ?人数に入るのかよ。百歩譲っ て、規則上人と畜生のペアで参加できるんだとしても、こんなわけわかんねえ生き物に背中を任せて戦うのはごめんだぜ」
 アロイを指差すジオを見て、メリッサもジオの言い分を理解する。 この場にいる人間は七人。どうしたって一人余るのだが、そのことに全く思い至らなかった。至極自然に、アロイが自分も勘定に入れていたためだ。本当に動物も人と同じように換算して構わないのかもしれないが、ジオの懸念ももっともだ。
「……なるほど」
 また傲岸不遜に言い返してくると思われたアロイだったが、以外にも思案げにそう呟いただけだった。そのまま翼を動かし、ヘルクの肩からふわりと飛翔する。薄い色の羽毛が、とても柔らかそうに揺れた。
 アロイはゆっくりと宙を移動し、ジオの目の前で止まる。そのままじっと金の目で眺められて、ジオの眉が不審そうに寄せられた、その瞬間。
「異論も意見も一切認めないと言った」
 言葉と同時に、アロイがしなやかに、かつ素早く身体を捻った。そして。
 シュッ、バチーンッ
 鋭い音、その直後に無音。何が起きたのかすぐには頭が追いつかず、誰もが絶句した。   「――い、ってえええええ……!!」
 一拍遅れて叫び声を上げたのは、ジオだ。両手で顔を抑え、その場にしゃがんでしまった。  そこでようやくメリッサも合点する。アロイが尾でジオの顔面をひっぱたいたのだ。それも、百戦錬磨の相棒が避けられないほどの速さと、身体を震わせて悶絶するほどの威力で。
 うわあ、とか、痛そう、とか言う声が周囲から漏れる。鞭打ち並みに強烈ですから、と、遠い目で呟いたのはヘルクだ。既に幾度となく経験済みということだろうか、その言葉には奇妙な重みがあった。
 「てめ……何しやがる……」
 必死に痛みに耐え、強がっているのが見え見えだが、ジオは指の隙間からアロイを睨み上げながら、憎々しげに呻いた。
 「ふん。魔力を全く持たないお前が勝つためには、私と組むより他に道はないぞ。この私のせっかくの好意に反発するなど愚の極み。威勢が良いのは嫌いではないが、故郷に帰るまで無事でいたいなら、もう少し口の利き方を覚えたほうがいい」
 対するアロイは堂々たる風情で空中からジオを見下している。そんな態度で好意などという言葉を吐かれても、寒々しいだけだ。しかし、言っていることには一理ある。弱点になりかねないジオの体質を補うためには、世界と世界を跨ぐほどの転移魔術を使えるアロイの技量は必要だ。
 「珍獣の助けなんかいるかよ!」
 復活したジオが勢いよく立ち上がり、片腕を伸ばしてアロイの小さな身体を鷲摑みにした。ちょっと羨ましい。あの毛並みは触ったらさぞ気持ちがいいだろう。 顔に線状の赤い跡がくっきり残っていて、目つきも険しい。結構怒っているようだ。まあ、馬鹿にされたり嘲られたりすれば黙っていられないのは自分も同じだ。相棒の心情もわかる。
 「わあああああ! な、何してるんですかジオさん! 今すぐ先生を放して下さい!」
 突然の大きな声に、メリッサは驚く。
 叫んでジオに詰め寄ったのは、ヘルクだ。ひどく必死な形相で、心なしか顔から血の気が失せている。師を助けようとしているのかと思ったが、どうも違う。うろたえ方が尋常でない。何か恐ろしいものに怯えているような目をしている。
 見ると、メフリスも似たような顔でハラハラとしていて、キーディンはあちゃーとでも言い出しそうだ。
「ああ? 別にお前のお師匠さんを絞め殺しゃしねえよ。ちょっと言ってやりたいことがあるだけだ」
ヘルクの懇願など尻目に、ジオはアロイの身体を持ち直して首根っこを掴んだ。そのまま猫にそうするように、ぶらぶらと手首を揺する。
それを見たヘルクは青かった顔を白くして悲鳴を上げ、今にも泣きそうな顔になった。彼が何をあそこまで恐れているのか、メリッサにはさっぱりわからない。
「ヘルク」
「は、はいっ……!」
 宙ぶらりんの状態で、アロイは弟子の名を低く呼ぶ。裏返った声で返事をしながら、ヘルクはびしっと背筋を伸ばして姿勢を正した。
「安心しろ。今は大人しくしていてやる」
 メリッサたちには意味不明なことを言って、アロイは喉の奥で笑い声を立てたようだった。それを受けたヘルクはどういうわけか更に顔色を悪くして固まってしまっている。 誰かこの状況をわかりやすく説明してくれ、と思うが、言い出せる雰囲気でもない。メリッサと仲間たちは、首を捻って戸惑いながらも傍観しているしかなかった。
「ジオ・ダンガード」
「ああ?」
 呼びかけられたジオは、アロイの身体を自分の顔の前に持ってきて目を合わせた。「このような小さい獣と共に戦うのは不安だと、そう言いたいのか」
 質問より確認に近い調子で、アロイはジオに聞く。少しだけ、声から横柄な色が薄くなったように感じた。
「当たり前だろ。こっちの世界じゃどうか知らねえが、俺たちのいたとこじゃこんなことはまずあり得ないんだよ。そんななりですごい魔術師だって言うが、俺にはそれが本当かどうかも判断できねえ。一緒に戦う以上は少しでも安心できる要素がほしいんだ」
「ふむ。まあ当然の考えだな。……いいだろう、対処してやる。手を放せ」
 慎重な意見に基づいてのジオの発言を聞いて、アロイは何やら考えを改めたようだった。疑わしげに珍獣の顔を一瞥してから、ジオはぱっとその身を解放してやる。 宙に浮いた状態で、アロイは小さく翼を振るわせた。
 その途端、信じられないことが起きた。
「人の姿であるなら、問題あるまい」
 見たことのない人物が、聞いたことのない声でそう言いながら、唐突にそこに、ジオのすぐ傍に現れたのだ。まさに、降って湧いたように。
 メリッサはいきなり出現したその人物に身構え、咄嗟に頭のてっぺんから爪先まで視線を走らせた。
 若い女だ。若いといっても、メリッサやマナより歳上なのは確実で、二十代前半くらいの齢だろう。腰まで届く豊かな長い黒髪を背に流し、身体つきは成熟した大人の女性らしくめりはりがはっきりしている。メリッサでさえ一瞬目を見張ってしまったほど美しい顔をしていて、薄く笑みを浮かべる唇がひどく艶っぽい。少し低めの風雅な声からも、色香が滲み出ていた。
 妖艶な雰囲気を漂わせる美女は、長い睫毛に縁取られた切れ長の目でメリッサを見返した。その色は、結晶化された太陽の光を思わせる色彩だ。 艶美な容顔は見知らぬ人のものだが、その瞳は知っている。凶暴なくせに知性と理性に溢れた、黄金の目。
「……あんた、アロイ……か?」
「そうだ」
 躊躇しながらたずねたメリッサに、女はあっさりと肯定してみせる。その尊大な物言いは確かに珍獣のそれと同じだ。
「……人間に化けたのか?」
「いいや、逆だ。化けていたのは先ほどまでの姿のほうだ。これが私の本来の形になる」
 メリッサは、先ほどヘルクが言いかけた言葉を思い出した。普段はこんな姿をしているけれど、本当は人間なのだ。そう続けようとしたのだろう。
 変身には驚いたが、そういう魔術はメリッサたちの世界にもあるので、狼狽したりはしない。が、どうしても疑問が残るのでそれを口に出してみる。
「……何で小動物の格好をしてたんだ?」
「移動が楽だ。自分で動かずとも、弟子が運んでくれる。それに食費も宿代も一人分浮くだろう」
 答える人型のアロイの言葉は、どこまでも現実的だ。別に何かを期待したわけではないのだが、妙な脱力感がメリッサを襲った。
 だが、これで色々と腑に落ちた。元々人間であるなら、人の言葉を喋っていたのも、魔術に精通していたのも、弟子を連れていたのも、普通のこととして受け入れられる。
「これで文句はないだろう」
それはアロイがジオに向けて発した言葉だった。 珍獣のときの得体の知れない印象は、正体が人間の魔術師だと判明したので大分薄らいだ。性格は姿に関わらず不遜なままで、信用しやすい人柄とはいえないが、こちらの容姿のほうが格段に頼りやすいと、メリッサは思う。
相棒の懸念もこれで少しは晴れたはずだと、反応をうかがい見る。
「…………」
 ジオは無言だった。目を丸く見開いて、口も半開きだ。ぽかん、というか、呆然とか愕然といった風情で、眼前の女をしばらく凝視している。かと思ったら、突然弾かれたように大きく一歩後ずさった。
「お、おう……。な、何だ、あんた人間だったのか……。そうならそうと早く言ってくれよ……」
 本人は精一杯普段どおりの態度を装っているつもりだろうが、動揺しているのがばればれだった。声には覇気がなく、無理矢理笑う顔は引き攣っている。じりじりとアロイから距離を取ったジオは、どういうわけかメリッサの背中に回りこんだ。しかも背後から両肩を掴んで押してくるので、メリッサは軽く足をもつれさせる。彼の意味のわからない行動にむっとなって首だけで振り返ると、冷や汗をだらだら流しながら切羽詰った顔をしている相棒がいた。 
どんなに不利な状況に置かれようと、強敵を相手にしようと、決して物怖じしないジオが、怯えている。稀有なことに驚き、メリッサはその理由を探る。そして、先ほどから寸分も逸らされないジオの視線の先に気がつき、すぐさま納得した。
(ああ……。こいつの苦手なタイプのど真ん中だ……)
 何がって、今のアロイの容姿が、だ。
ジオは女が苦手なのだ。メリッサやマナのように、自分よりも年下の異性ならば問題はないようだが、年上の、特に女性の武器を前面に強調してくるような女は駄目らしい。
年上で、美貌で、艶がある。それだけでもジオの苦手意識の琴線を大いに揺さぶるはずだが、アロイの格好が更にジオを追い詰めてしまっていた。
つまり、露出が多い。迫力のある胸の谷間も、綺麗にくびれた腰も肌が剥き出しで、同性の目から見ても非常に刺激的である。大胆な裂け目の入ったスカートからのぞく太腿の白さもなまめかしい。
これほど凄まじい色気を発する女性を前に、流石のジオも平静や強気を失ってしまったようだった。自分よりずっと小さいメリッサを盾の代わりにして、その後ろに隠れてしまうくらいには。
「……おや」
 ジオの動きを追っていた黄金が、すうっと細められる。ひどく扇情的な仕種だが、その瞳に移るのは愉悦と嗜虐という獰猛な感情だ。いたぶり甲斐のある獲物を見つけ、どう料理しようか面白おかしく思案している、そういう目だ。
 すごいことに、そういう危険な情操がよく似合う美しさなのだ。むしろ色香が一層強くなったかもしれない。自分にはまず真似できないし、したくないと、メリッサは考える。
「どうかしたのか? 顔色が悪いぞ、ジオ・ダンガード」
 相棒がびくりと震えたのが、肩を掴む手から伝わってきた。
「べべべ、別に、どうもしねえよ。……それよりもよ、アロイさん。やっぱもう一回、みんなでちゃんと話し合わねえか……?」
「話し合う、とは、何を?」
「た、大会に出場する組み合わせだよ」
 確かに、アロイの本当の姿がここまで艶然たる美女だとわかってしまった以上、ジオが彼女と組んで共闘するというのはとても苦しいに違いない。必死に平常心を保って果敢に提案する相棒が、なんだか少し可愛そうに思えてきた。
「ほう」
かつ、と、アロイの靴が石畳の地面を叩く。一歩距離を詰められて、ジオも一歩後退した。もちろん、メリッサは肩を掴まれたままなので、一緒に後ろに下がるはめになる。
「せっかく、わざわざこの姿になってやったというのに、まだ何か不満があるのか?」
 かつ、かつ、と、ゆっくりと焦らすように近づきながら、アロイはとても楽しそうに笑う。肩に置かれたジオの手の力が強くなって、引きずられるように移動を強いられる。そろそろ放してほしい。
「ふ、不満とかじゃねえよ。ただ、やっぱこういうことは公平に、公正に決めたほうがいいんじゃねえかなーって……」
「……私に同じことを三度も言わせるなよ」
 誤魔化すように笑いながら、何とか突破口を探っていた相棒だったが、空しい努力に終わったようだ。
 一際深く微笑んだかと思ったら、メリッサの正面にいたアロイの姿が消え失せた。
かつ、と、驚くより早く、背後から靴音。
「異論も意見も、一切認めない」
そして、声。もちろん背後から。
 ジオの腕を振りほどいて、メリッサは身体を反転させる。
 かろうじて目で追えたが、とてつもない速さでの移動だった。魔力をまったく感じなかったのだから、魔術ではなく、身体捌きと脚力だけの動きだったということになる。たった数歩分の距離とはいえ、見事といわざるを得ない。
(すごいのは、魔術の腕だけじゃないみたいだな……)
 もしかしたらアロイは、自分と似た魔術師なのかもしれないと、メリッサは分析する。魔力の量にも魔術の技にも自信と自負があるが、それと同じくらい体術にも覚えがあるのだ。そういうところに関してなら、自分と彼女は同類だろう。
 ジオが懸命に確保していた間合いと盾をこともなげにすり抜けたアロイは、ジオのすぐ隣に立って彼の腕に指をかけていた。
 ひっ、と、相棒の喉が鳴るのが聞こえた。達人並みの剣の使い手とは思えないが、動揺しすぎて身動きが取れなかったらしい。高い上背を硬直させて、青い顔で目を泳がせている。「もう一度だけ繰り返す。これが最後だ。『異論も意見も一切認めない』、これがどういうことかわかるな?」
「おおおお、おう、よく、わかった……。もう二度と、口答えしねえ……」
「よろしい」
「……だ、だから、手、放して、くんねえか、な……?」
 さっきまでの威勢はどこへやら、ジオはもうアロイに刃向かう気をなくしていた。取り乱しながらも、何とか逃げずにその場に踏み止まるのでいっぱいいっぱいのようだ。
「放してほしいか?」
 アロイがひっそりと問うと、ジオはがくがくと首を何度も縦に振る。その様子を満足そうに眺めたので、アロイはジオから離れるかに思えた。
 が、ジオの受難の本番はここからだったのだ。
「そう言われると、放したくなくなるのが人情というものだろう?」
 楽しくて楽しくてたまらない、と言わんばかりの表情で、アロイはするりとジオの腕に自分の腕を絡ませた。
「のわあああああああ!! は、ははは、放せこの珍獣女あああああ!!」
 遂にジオは叫び声を上げた。耐え切れずに乱暴に腕を振ってアロイの手から逃れようともがいたが、その動きが唐突にぴたりと止まる。恐らく肘に彼女の豊満な乳房が当たって気が動転したのだろう。何とも情けない景色だ。
 嫌がるジオを見ながら、アロイは凶悪なまでに美しい笑みを浮かべる。
「おや、随分と冷たい言い様だな。さっきまで私の身体を鷲摑みにしていたくせに」
「わしっ……!?」
 ジオは絶句したが、確かに間違っちゃいない、とメリッサは心中で同意する。
 更にうろたえるジオをもっともっといたぶってやろうと、金の瞳が苛虐に煌めいたのが見えたが、どう止めに入ればいいのかわかない。そうこう迷っているうちに、アロイがつやつやした唇を開いて、殊更に色めいた声を作って言葉を続けた。
「森の中でも、顔やら、背中やら、腹やら、胸やら、尻やら、あんなに情熱的に触ってきたじゃないか。おまけに脚まで無理矢理開かれて……。どうなることかと思ったぞ」
「なっ……!? ばっ、あれは……!」
 とんでもない発言が聞こえ、ジオも身に覚えがないわけではないような素振りを見せる。
「……お前、そんなことしたのか」
「ジオさん……」
「最低です……」
 人気のない薄暗い森の中で、男が女の身体をあちこち触って挙句の果てに脚に手をかける、そんな情景が瞬時に頭の中に流れた。レオンとマナもメリッサと似たようなことを想像したらしい。相棒に対する信頼が大きく傾いで、疑いの目を向けてしまう。弟子の二人も白い視線をジオに注いだ。
「ち、違うぞ! 変な誤解すんなよ! 森の中で会ったときは、こいつ珍獣の格好だったんだからな!!」
「……でも色々触ったのは本当なんだろ?」
 息せき切って弁解するジオだが、メリッサの指摘にうっと言葉を詰まらせた。図星のようだ。
「……先生が、自分から接触してでも、徹底的にジオさんに嫌がらせしようとしてる理由がわかりました……。何て命知らずなことを……」
「無遠慮に触られたのが相当頭にきてるみたいね……。捨て身のイジメだわ、触ったり触られたりするの、アロイさんすごく嫌いなのに……」
「その場で殺されなかっただけ、彼も運が良かったんじゃない? まあ、死んだほうがましだったって、これから思うかもしれないけど」
 ひそひそとヘルクたちが言い合うのが聞こえてきた。まだよく話が見えないが、アロイがジオをいたぶろうとしているのは、触られるのが嫌いなアロイをジオが触ってしまったことが原因であるらしい。
 しかも三人の台詞や表情からうかがうに、どうもアロイは怒り狂うほど接触を拒む性質の持ち主らしい。普段は物理的に暴れるのかもしれないが、今回は精神への攻撃に特化した逆襲に臨むつもりでいるようだ。あれだけ不遜で我の強そうなアロイのことだ、ちょっとやそっとでは気が済まないだろう。知らなかったこととはいえ、もうジオは彼女の掌中から逃げることはできない。
 ジオには悪いが、ここに滞在中は嫌がらせに耐えてもらわなければ困る。生活援助を条件に出されてしまった以上、今更彼女の持ち出した提案を跳ね返すことは得策とはいえない。何より、アロイしかメリッサたちを元の世界に戻せないのだ。
(あんまり痛めつけられるようだったら、ちょっとは助けてやろう)
 相棒はタフな人間だが、今回は相手も相性も最悪の、これまで遭遇してきたのとは別種の苦難だ。正直メリッサには直接関わりのないことだし、ジオが自ら招いたことだが、腐れ縁に免じて最低限の協力はしてやろうと思う。
(……というか、本当にこの二人が組んで大丈夫なのか)
 執拗に色香と言葉で詰るアロイと、普段の鷹揚さが見る影もなく霧散して逃げ腰のジオ。目の前で繰り広げられる攻防を眺めて、メリッサは少し心配になった。
 もしかしたら、アロイはジオを痛めつけて鬱憤を晴らすことも考えてこの組み合わせに拘ったのかもしれないと、ふと思いつく。大いにありえると、自分の推測に辟易した。
 アロイのことだから、ジオへの報復にかまけて本来の目的を見失うような真似はしないだろう。ジオだってメリッサに劣らず負けず嫌いな性分だ、いくら苦手な相手との共同戦線だろうと、勝つことを第一に考えて行動できるはずである。
(何とかなりそう、かな……?)
 逡巡した末、メリッサはそう結論した。どの道、もう色々と覆すことはできないのだ。
 辺りはすっかり薄暗くなった。西の空に夕焼けの残滓が漂うばかりで、空の大半に夜が迫り、星も瞬きはじめている。広場の周辺の家々にも明かりが灯っていた。
メリッサは闘技場を仰いだ。三日後に戦いの幕が開ける場所。多くの武人と魔術師が一同に会す舞台。
 ここで、戦うのだ。この世界の魔術を知るために。どんなことが待ち受けているのか、共闘相手のことも含めて、まだたくさんの未知なるものに、ここで、もうすぐ出会える。
 まだ時はあるというのに、楽しみで仕方がない。闘志と好奇心が混ざった高揚感が腹の底に育つのを感じた。
 大暴れしてやる、メリッサは声に出さずに、そう吼えた。





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