やまの人と捨て子に纏わる神話
 


 

 悠久なる大地がある。
 けものと人が暮らし、大地は自然に蹂躙されるままの、雄々しいかたちを保っている。人の暮らしは、あらゆるけものにおびえ、天候に左右されていた。
 どうすれば、我々人間は、何にも怯えずに暮らしていけるのだろうか。
 考えた末に人間は、けものを狩ることを覚え、火を使うようになった。考えた末に、身を守るために居住することを覚えた。考えた末に、服を着るようになった。
 人間に混じって、やまの人が現れたのはこの時からだ。
 
 やまの人と人間は、見た目の区別がつかない。山中の奥深くから現れたらしい、というのちの説もある。
 やまの人は、当時の人間をはるかに上回る知識と技術を持っていた。
 人間は、やまの人から、かれらが持ちうる技術を教わった。
 都市の形成の方法。
 ことば。
 算術。
 漁業。
 星読み。
 織物。
 田園の作り方。
 刃物の研ぎ方。
 竪穴ではない、居住地の建て方。
 アブラゼミを繁殖させる方法。
 かれらがどれだけの知識を持ち得たのかは、定かではない。人間に与えたものは、氷山の一角だったのかもしれない。
 そんなやまの人を、のちの人間ははじまりの人とよんだ。自分たちよりも、はるかに優れた生き物である、という敬意を評してだ。
 彼らがどこからやってきたのか。それは謎に包まれている。東の海の向こう、霧の彼方から来たのではないか、との説もあるが定かではない。ただ一つ、事実がある。彼らは この地にだけ存在したのではない。世界の、あらゆる場所に存在したのである。どこから来た、というのは問題ではなく、どこにでもいるのがはじまりの人なのかもしれなかった。土地によって、またはやまの人ごとによって、授ける内容もまちまちだった。
 だが、やまの人は、人間が世界の中心になると、次第に姿を消しはじめた。人間社会に混じることはなかったのだ。消えた彼らが、どこへ行ったのかは不明である。
 
 消えたやまの人は、そうして人々から忘れさられ、あるいは、伝説のように語られていった。
 やまの人。
 薄霧に紛れるかのように、神秘のヴェールに包まれた存在として認識されている。
 だが、まぼろしではなく、確かにやまの人はいたのだ。存在しうるひとだったのだ。
 
 彼らが姿を消してから、怒涛のように月日は流れた。
 
* * *
 
 第一大陸、北東。
 北東部は緩やかな山々の連なった土地だ。その、山と山の間の平地で、村を形成し、人が暮らしていた。
 彼も、その村人の一人だ。
 赤毛に、そばかすの散る顔面。快晴のような瞳は、無邪気さに満ちている。細い肩に、質素な服で隠れた背中には、肩甲骨がわずかに浮かんでいる。体つきは全体的に小さく、成熟していない。十も越していない少年だった。
 彼の住む村は、酪農と羊毛業で生計をたてている。牛の乳を絞り、チーズやバターなどの加工品を生産する。羊の毛を刈って、織物にする。出来た品は、村で消費するだけではなく、近隣の村の産物と交換したり、月に数回若者が山の麓の町に降りて売りに出すのである。彼ぐらいの年になると、遊ぶだけではなく村の仕事を少しずつ手伝うようになるのだ。
 しかし彼は、村での仕事がどうにも苦手だった。だから、よくさぼっては裏の山に入っていた。そして、山での遊びがてら、山菜やら茸を採ってくるのである。手伝わないで一体何をやっているのかと母に責められはするが、彼が抱える大量の花傘茸や行者ニンニクを見て、憤慨しながらも何も言えなくなってしまうのだった。
 この日も例に漏れず、彼は裏の山に入った。籠の中身が一杯になったので、帰路につこうと思っていた時だ。
「――ん?」
 一本の樹の影に、白いふくらみがあった。けして小さくはない。白いもの――それは布であった――は、何かを守っているかのように見えた。
 滅多に人の立ち入らない山奥である。このような人工的な物があることに、彼は少なからず驚いた。
 歩みよって、白いものを開いてみる。
 ふくらみは、子供だった。幼児と言った方が正しいかもしれない。髪の生え具合から、3歳ほどだと推測された。幼児らしい丸みはあるが、肌は目を見張るほど白い。質素だが清潔な服を着た体は、細く細くだが規則正しく息をしていた。曖昧な色素の髪は、彼のような赤毛になるか、それとも黒くなるか、将来はどちらかに分類されるだろう。珍しい色だ、と彼は思った。
 ちかくで、野鳥の甲高い鳴き声が響いた。日が傾きかけている。夜になるのも時間の問題だ。
「――母さん、母さん!」
 彼は、子供を抱えてすぐに母の元へ向かった。山に入れば珍しい茸を取ってくる彼も、人の子を拾うとは思ってもいなかったのだ。山の中で子供が放置されていた。そのままにしてはおけなかったから、連れてきた。彼は息を切らせて説明した。
 慌てている彼を見て、最初は彼の母は珍しいこともあるものだ、と思っただけだったが、すぐにただ事ではないと察した。そして、彼が抱えるものを見て、母は息子と子供を家に入れた。
 幸い、体温は低いが、子供は眠っているだけだった。起きる様子もなく瞼を閉じている。あのままだったら、命の危険もあったかもしれない。腕の中の子供を、彼は自分の布団の上に静かに横たえた。
「誰が捨てたのかしら」
 酷い事をするものだと、彼の母は憤慨する。大抵の人間が思うことだろう。貧しい暮らしをする親が口減らしの為に山に捨てたのだ、と。
 母の憤慨もわからなくはない。だが、彼には怒りよりも強い、別の感情があった。立ち入った山とも近い別の村に、何度も足を運んだことがあるが、子供を捨てなければいけないほど切迫した暮らしぶりはなさそうだったからだ。
 ほどなくして、彼の父が放牧からかえってきた。母と同様の説明をすると、彼の父は、邪気のない笑顔を彼に向け、大きな掌で彼の頭を乱暴に撫でた。のちに彼が似ていく、豪快な笑顔である。
 その日、彼の家族は拾った奇妙な子供を囲むように眠った。
 

 子供の瞼が開いたのは、その翌日の朝だ。
 農村の一日は早い。彼がひとしごとを終えて家に戻り、温めた牛乳を飲もうとした時だ。固く閉ざされた瞼が、開いていたのだ。
「あ、気がついたのか!」
 彼はひとまず安心した。起きる様子をまるで見せなかったし、このまま目を覚まさずにいたらどうしようかと、少しばかり心配をしていたのだ。
 子供の瞳は、真っ黒だった。彼の、快晴のような色とは、真反対のものだ。昔偶然見かけた石に、そっくりだった。あの石はなんといったのだろう。その色の瞳は、ぼんやりと天井を見つめていた。
 子供に表情らしいものがないことに、彼は不思議に感じながら、布団から身を起こさせる。徹底して無表情な子供の顔を覗き込んで、たずねてみた。
「なんか、しゃべれるか?」
 子供は、彼のそばかすだらけの顔を見て、目を瞬かせた。
 唇がひらく。しかし、吐き出されたのは、息だけだった。音声がついてこない。何度か試すが、何度やっても唇がわずかに動くだけだ。
 言葉を発する、という行為を知らない人間の仕草だった。
 彼は途方にくれた。みずからが子供の時を思い出し、あの頃の自分は普通にしゃべっていたし、馬糞にまみれながら遊んでいた覚えがある。その前の、乳幼児だった頃はまるで記憶がないが、よく声を出してないていたと母が語っていた。
 そうして言葉は、日々の生活と共に覚えていくものだ。そうなると、もしかしたらこの子供には、今までそれを教える身近な大人が、いなかったのではないかと考えることができる。
 どうしたものかと頭を巡らせ、次にとった彼の行動は、手に持ったカップを子供に渡すことだった。温めた牛のミルクに、ひと匙の蜂蜜が入れてある。一晩中眠っていたから、 腹は減っていてもおかしくない。人肌程度に冷めているので、飲みやすくなっているはずだ。
 子供は、両手でカップを包んで、じっとそれを見るだけだった。
 合点がいった彼は、もう一つカップを用意して牛の乳を搾ってくる。そして、子供の前で飲んで見せた。これはこうして、口にいれてもいいものだと、行動によって子供に伝えようとした。
 ややあって、子供は見よう見まねでカップに口をつけた。口の端から白い液体をこぼしながら、少しずつ消化させていく。
 全て飲み干した子供は、再び目を瞬かせた。先ほどより、目の輝きが増したような気がした。星をふくんだ真っ黒い瞳には、未知なる感触に驚いているようにも、みずから湧き出たものを表現する術を知らなくて戸惑っているようにも見えた。
 そんな子供のあいまいな髪を、彼は乱暴に撫でた。感情らしいものが浮かんだのが、何故だか彼は嬉しかったのだ。わずかに子供の体が跳ねる。目を大きく見開いていたが、口の端を不器用に歪ませた。
 その2人を、家に戻ってきた彼の父母が微笑ましく見つめていた。
 彼の父母は、子供を養子に迎えることにした。家の暮らしも裕福とは言い難く、余裕はあまりない。だが、一人増えるぐらいはなんとかなるだろう、という判断からだ。
 飲み込みが早いらしく、言葉に不自由したのは最初だけだった。半年も経つと、村の子供たちにまざって遊びまわるようになった。
 父母は、当初は言葉を話さない、ぼんやりとした面持ちの子供に対して、多大な心配をしていたが、杞憂に終わって胸を撫で下ろしたようだ。彼に対するものと変わらない愛情で持って、彼の弟となった子供を育てた。
 

 拾った子供が弟となってから、数年がたった。家族の一員として定着した子供は、遊びまわったり村の手伝いをしたりと、忙しい毎日を送っている。
 「にーちゃんも手伝えよー」
 などといっちょ前に文句を言ったりしている。彼らは、仲のよい兄弟になっていた。
 しかし、時を経るにつれて、弟に対する一つの疑問が、大きく膨れあがっていくのを感じていた。
 弟は一体どこから来たのだろうか。
 それは、弟に訪ねてもわからない事だった。
 だが、彼の疑問は、彼に、芽生えたことのない新たな感情と、ひとつの決意とを与えもした。
 それまでの彼の生活は、村の中だけで完結されていた。少し逸脱しても近隣の村か、麓の町ぐらいだ。この地域は、第一大陸の北の方、くらいのことは知っていたが、彼の全てはそこで綺麗に収まってしまうのであった。
 あの弟は、その範疇には収まらない。言うなれば、彼が形成していたせかいの外側からやってきた、異形なる生き物であった。
 拾ったときに弟を守っていた布を思い出す。淵に刺繍がほどこされた、なめらな感触の白い布。それは、麻でも木綿でもなかった。町の人間に尋ねたところ、どうやらあれが絹というものらしかった。
 近隣で、というか、この北東部では、養蚕業は盛んではない。しかも、ここまで上質なものは滅多にお目にかかれるものではない。現在は入手困難なものだ、とも町の人間は付け足した。
 その話を聞いて以来、彼の疑問は深まるばかりであった。
 弟は、どこから来たのだろうか。
 どこの人間で、その土地の人間はどのような生活を営み、どのような歴史を紡いできたのだろうか。
 彼は、どうしても知りたくなった。
 それを知る方法を、彼は一つだけ知っている。
 絹について教えてくれた町のひとが、近年流行している職業があると言っていた。
 先住民の居住跡。数千年前の古代文明の跡地。民族的遺産。偉人や聖人の伝説地。神話の伝承地。それらを発見し、発掘するという。
 遺跡探求者。
 職業的に、あらゆる民族や種族と出会い、世界中を回ることができる。
 それになるためには、専門的な学校を卒業しなければならないらしい。膨大な知識と、害獣を倒せるだけの高い戦闘能力を必要とする。薄暗い遺跡には、害獣が頻繁に出現するからだ。
 死と隣り合わせになることもある、危険な職でもある。しかし、彼の頭には、あれになれば、という思い込みにも似た天啓のようなものが降ってきていたのだ。
 あれになれば。
 あの職業につければ、広い世界の、あらゆる人間に出会うことが出来る。
 あの職業につければ、広い世界の、あらゆる文明に出会うことが出来る。
 人と出会って、文明を知って、文化に触れていれば。
 あの弟がどこから来たのか、わかるかもしれない。
 それは、弟のためというより、自分のためだった。疑問と共に湧き出たのは、強い好奇心だったのだ。彼はそれを抑えるすべを知らなかった。また、抑える必要はないと感じていた。
 ある深夜。彼はその旨を、母と弟を起こさないように注意を払いながら、父に話した。
「わかった」
 暫く黙っていたが、やがて父は豪快に笑って頷いた。
「いいのか?」
「なんとなく、お前が村を出る予感はしていたからな」
 あっさりと了承した父に、彼は逆に不安になって尋ねた。
「お前も、あの子がその辺の捨て子じゃないのを感じていたんだろ」
 父は、蜂蜜酒をあおりながら、彼の予想をさらに覆すような事を言った。
 父も、同じことを感じていたのだ。弟が、ただの捨て子ではないと。
 彼は、父に思い切って聞いてみた。
「世界には三つ大陸があって、一つの村だけでも100人の人間が暮らしている。これだけ人間がいて、民族や種族がいるってことは、どこかにあいつの故郷があると思わん?」
 そして、もしその場所を見つけたら、あの弟にも見せてやりたい、とも思うのだ。
 途方もない話だとは思う。言ったように、世界には三つ大陸があり、さらに東の霧の向こうにも人が住んでいる、と言われているのだ。彼が言ったことは、地上の全てを見てくるということと符号する。そして、それを行ってみたいとも思うのだ。
 母が聞いたら怒るだろうか。勿論、彼にとっても、大事な家族で、たった一人の弟だ。だが、だからこそ、弟には知る権利があるのだ。どこで生まれた人間で、自分が何者になる可能性があったかを。
 彼の父は、先ほどと同じように、静かに彼の話を聞いていた。聞き終わった父は、声を上げて笑った。彼の発言を、馬鹿にしてではない。面白く感じての笑いだった。
 神話上のやまの人だったら、どうしようもないけどな、と冗談混じりに父は付け足した。
 やまの人。はじまりの人とも言われる、人間に、みずからが持ちうるものを与えた人。ありえない、とも思えるが、彼は一応その可能性も心に入れた。
 もしそうだとしたら、面白い、と感じたからだ。
 ひとしきり笑ったあと、父は、力強く彼に言った。
「いってこい、ウィルフレッド」
 外の世界へ。
 彼はそうして村を飛び出した。
 
 * * *
 
 希代の遺跡探求者となるウィルフレッド・アーバンルード。
 彼の探求者としての人生は、一人の捨て子をきっかけに始まった。
 捨て子であった彼の弟がどこから来たのか。そして、彼の弟はどうして置き去りにされたのか。
 彼が一握りの可能性を残した、やまの人なのか。
 それは未だに、彼も、彼の弟にも、誰にもわからない。
 いずれわかるかもしれないし、わからないままかも知れない。
 
 やまの人。
 かつて存在したと言われる、人を超えていたひと。

 人の社会での存在をやめただけで、今もどこかで生きているのかも知れない。
 億か一、それと弟が何かかかわりがあったら、どれだけ面白いだろう。

 父には言わなかったか、その可能性もあるのではないか、と彼は考えている。




この話全部iPhoneで書きました。
いやぁ、今までキーボードで打ってばっかでしたが、意外にiPhoneでも書けるものですね。6000字ちょっとですが。
通学時間が長いので、その間やちょっとした時間に思いついたことポチポチと書いておければいいなぁと思ってアプリを落としたんですが、これが意外につかえるものです。パソコンに向かうまでで思いついたこと忘れないように…って、

この話は今現在やってる「花神と守り人」の番外編的なものなんですが、未だ本編に出てきてない人物がいる上にネタバレを多分に含んでしまうので、本編がある程度進むまで隠しリンクにしておきました。仲間うちには話しているんですが、明らかにお兄ちゃんとか登場してませんので……。



400字詰め原稿用紙20枚弱







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