一、珍獣と黒髪の青年

 

 眩しい、日の光を感じた。夏の日差しほどの強さはないが、朝日のような清々しさもない。あたたかみのある昼間の陽光だ。
 ジオ・ダンガードはゆっくりと瞼を開いた。頭に棲みついている眠気を、どうにかして振り払う。草の匂いがした。そうして、二つの事実に気づく。一つは、周りには自分以外の誰もいないこと。もう一つは、手になにか紙切れを握っていること。
 握った紙切れを開いてみた。
「アロイ」
 紙にはそう書かれている。それだけ、と言った方が正しいのだろうか。四センチ四方の薄っぺらい紙には、文章どころか一つの単語しか書かれていなかったのだ。
「……参ったな……」
 ジオはため息をついた。つきたくもなる。これがつかずにいられるだろうか、いや、ない。(反語!)首の後ろをかいた。状況に困ったときにやる、彼の癖である。
 冷静になって思い出してみよう。あれは確か――

「ふざけんなこのくそじじい共!」
 ジオは、相棒のストレス発散もしくは八つ当たりという名の組手に付き合っていた。
相棒は――メリッサは荒れていた。そりゃあもう、荒れに荒れていた。
この時、確かジオ達はメリッサの家にいた。彼女が、自分の国の魔術研究会にレポートを提出するということで立ち寄ったのだった。メリッサの国は、魔術の研究が盛んな国らしい。そのため研究会に所属している人間は、年に一回のレポート提出を義務付けられているらしい。一年の研究成果や新たなる技術を、世に出すために。
レポートのタイトルは、「多世界論」。
曰く、私たちが住んでいる”世界”だけではない、異世界というものが存在する。また、その異世界の人間が使う魔術と、私達が使っている魔術の法則は異なっているものでる。そして、世界から世界へと、移動する魔術が存在する。移動するためには莫大な魔力が必要であり――というようなことを、メリッサは異世界に行った、という実体験も織り交ぜて書いたらしい。
が。
レポートの判定は、最悪だった。
 現実味がない。子供の妄想だ。そんなんあるわけないだろう。論外。顔洗って出直してこい。
 こういった理由で、メリッサの書いたレポートは、判定不可になってしまったのである。
 納得が行かない相棒は研究会まで、判定されるように説得しに行ったのだが――前述のことを突き通されてしまったのだ。しかも、不可を通り越して、提出されたとも認めてもらえず、新しいレポートを出さねばならなくなったらしい。期限は、二週間後。ちなみに提出しなければ、メリッサが持っているS級という最高位の魔術師の資格は、取り上げられることになる。
 挙句の果てがこの一言。
「君は魔術だけではなく、作家としても才能があるらしいね。素晴らしい」
 相棒の鉄拳が、うねった。
 そうして帰ってきた後、こうやって組手に付き合っている。


 ……しばらく組手をしたら、少しは落ち着いたらしい。相棒は自室のベッドに、どかっと座りこんだ。
 数回は見ているメリッサの部屋だが、意外と綺麗に片付いているのだ。衣類は脱ぎ散らしなどがなく、クローゼットにきちんと収納されている。本棚には、およそ三百を超える分厚い本が、きちんと並べられている。あとは、ベッドに、机。年頃の少女の部屋にしてはシンプル過ぎるが、整理整頓がきちんとされている。旅をしていて、あまり帰ってこないのも、理由にあるが。
 ジオは机に付属している椅子に腰を掛ける。部屋には、自分と、メリッサだけが残っていた。他の二人は、彼女の妹の仕事を手伝っているようだ。賢明な判断だ。あの二人が、今のメリッサを抑えられるとは思えない。そして彼女の妹は、姉の性格を知っている上で、何もしない。賢明な判断だ。
「二週間か……」
 相棒は苦々しげに呟いた。今回のレポートは時間がかかり、それだけにかなり自信があったらしいのだ。それを、「非現実的」ということを理由にして却下したことに、相棒は憤りを感じているのだ。気持ちは、わからないでもない。
 後二週間。二週間で何が書けるのだろうか。しかし、それ以上に、
「二週間、仕事ができないのかな……」
 メリッサは、そっちを心配しているようだった。
 普段レポート提出の時、相棒は締め切りの二か月ほど前から、仕事の合間に本を読み、実験などを繰り返して、ペンを走らせてきた。少しずつ初めて、余裕をもって提出できるように。
 しかし今回は。
 嗚呼二週間。非情なるかな二週間。
 確かに、内容さえ気にしなければ、二週間でレポートなんぞ書けるものである。S級という最高位上、判定によって級が上がることもない。提出して、査定さえ通ればいいのだ。また、時間が短くても、通るだけのものが書けるという自信も持っているようである。
 相棒の持つS級は、魔術が盛んなこの国――カルギア王国の魔術師の中でも、持っている人間は少ない。両手で数えきれるほどだ。そしてその称号は、メリッサが決死の努力でもぎ取った、魂の結晶でもある。それを、「レポート未提出」という情けない事情で剥奪されたくないようだ。
 ただ、そのためには二週間はレポートに専念しなければならない。必然的に、メリッサは仕事をしている時間も、弟子の修業を見る時間はなくなる。
 メリッサはちらっとこちらを見て、尋ねてきた。
「この二週間……お前はどうする?」
 ジオは考えた。二週間相棒抜きで仕事を入れるか、それとも――
 仕事しない、という手もある。その間確かに収入はゼロだが、二週間分の生活費なら、十分にある。それに、最近働き詰めだったから、休むのもいいかもしれない。その考えは今、とても魅力的に思えた。そんな事を考えていたら、本当に仕事する気が無くなってきた。
 メリッサがじろりと睨んできた。
「今お前、二週間仕事しないって考えてただろ」
「ああ」
 ジオは隠すことなく頷いた。この小さい相棒は、自分の考えていたことを読み取っていたのだ。ジオは周りから「考えていることが読めない」とよく言われるが、メリッサにはそれが通じなくなってきた。自分が悪いことを考えているとき、その反応を見て相棒をからかうのが、ジオの最近の楽しみの一つになってきた。我ながら性悪だと思う。
 メリッサの声のトーンが、一オクターブ低くなった。
「私がこれから二週間、必死に研究せねばならんときにお前は遊び呆けるのか」
 悪魔みたいな声だ、と、ジオは思った。面白くて仕方がない。予想通りの反応に、内心大爆笑してしまう。
「ああ、そのつもりだ。ついでに酒も飲みたい」
「消毒用のアルコールでも思う存分飲ませてやる。ここには沢山あるからな」
「不味いからいやだ」
「今からお前に選択肢を与えてやろう。今すぐ死ぬか、仕事するか、それとも私の雑用という名の奴隷係りになるか、だ。三つも与えてやったぞ。さぁ、今すぐどれか選べ」
「死なない、仕事しない。じゃあ、雑用になって研究の邪魔をする」
 その発言にメリッサは怒りで顔を赤くし――ジオの首を思いっきり締め始めた。
「お前、今すぐ死ね! それか仕事しろ――!」
 我ながら性悪だと思うと同時に、怒っている時の相棒は、本当にいきいきしていると思う。自分が、彼女をからかっている時と同じくらいに。これだからやめられない。面白すぎる。
 とはいっても、このままでは死の可能性が大だ。相棒は見た目に反して力が強い。すでに顔が熱い。面白いのだが、命がけというのが困りものだ。
「落ち着け、落ち着けって」
「仕事しろ仕事しろ仕事しろっ!」
 呪詛のように言ってくる。早くなんとかせねば。
「あのなぁ、よく考えてみろ」
「なんだよっ!」
「こんな田舎に、都合よく仕事があるとは思えない」

 ……。

 メリッサの力が、緩んだ。

 ジオ達は、何でも屋、というのが近いのだろうか。流れの仕事請負い人だ。旅をしながら、魔物退治やら要人の護衛やらの仕事をしている。時には戦争に参加する。傭兵のような仕事をしたりもするものだ。
 メリッサの自宅がある、カルギア王国の西部コセット地方は、総人口が数百人の、小規模の村の集合体だ。人口の八割以上は、農業あるいは乳業で生計を立てている。緑豊かな土地に、文字通りのどかな農業地帯が広がっている。
 そんな土地である。ジオ達がするような仕事が舞い込んでくるとは、想像しがたい。
「それなら首都まで行け。そしたらなんかあるだろ。さあ仕事しろ」
「お前、そこまでして俺に仕事させたいのかよ」
「当たり前だ。こっちは研究で忙しい。それなのにお前だけ楽するのか。さあ仕事しろ」
「忙しいんだったら、俺の首絞めてる暇ないよな」
「私は今死ぬほどイライラしている。何故かお前の首を締めずにはいられない。さあ仕事しろ」
「八つ当たりだろ」
「何が悪い! お前のせいだこの野郎!!」
 緩んだと思ったら、今度はさっきよりもきつく締めあげてくる。
 結局、組手だけではメリッサの怒りは収まりきらなかったようだ。緩めていた力を戻し、さらに締め付けてくる。先ほどの怒りのぶり返し+ジオの余計な考えが、現在の首しめに至っている。
 彼らはこの後、首絞め、絞められの攻防を十五分間続けた。
 窓の外から、牛の呑気な鳴き声が聞こえてきた。
 コセット地方、本日ものどかなり。

 結果。メリッサは、二週間はレポートに専念。ジオは、最低一回はなんでもいいから仕事をすることになった。
「ということは、仕事していない時は私の雑用だな。覚悟しろ」
「遠慮しておく」
 思いきり暴れたメリッサの顔は、先ほどまで感じていた怒りや不満が見事にそげ落ちて、すっきり爽快していた。やはりメリッサは暴れて怒り狂うのが、一番の解消方法になるのだった。
「じゃあ、雑用はじめに、一番上の本を数冊取ってくれ」
「何でだよ」
「読むからに決まってる。私だと届かない」
「踏み台使えば、取れるだろ」
 文句を言いつつ、本棚の一番上に手を伸ばす。
 メリッサの背丈は低い。本人は一五三センチだと言っているが、それは逆サバよんだ身長なので、実際はもう少し小さい。メリッサは、自分の背の低さをコンプレックスに持ったことはないが、今のように不便に思うことは多々あった。逆サバを読んでいる理由は、百五十よりも背丈が低いと、撥ねられる仕事もあるという理由からだ。
 ジオはメリッサが指示した通りに本を取り出す。
 その拍子に一枚の紙切れがひらりと落ちてきた。本と本の間に挟まっていたらしい。拾いあげてみる。何か書いてあるのだろうか。
 が、ジオの予想に反して、書いてあることは、単語ひとつだった。
「アロイ……。なんだそりゃ、合金?」
「どうしたの?」机の上に本を積み上げたメリッサが問うてくる。
「いや、変な紙切れが落ちてきた」
 メリッサに「アロイ」と書かれた紙切れを差し出す。彼女が触れた瞬間――異変が起きた。
 紙切れが、淡い光をともしだしたのだ。
「師匠、ジオさん、ニコラさんがご飯だって……」
 部屋の中に、マナとレオンが入ってきた。二人はジオが持ち、メリッサが触れているものから発している光を見て、ただ事ではないということを肌で感じ取った。
 光はそのまま範囲を広げて――すべてを呑みこんだ。


 そうして、現在に至る。
 自分に置かれた状況を確認してみる。まずは荷物。「アロイ」と書かれた紙切れ。愛用している四本の剣。以上。他になし。さらに、人という人はいない。だから仲間の姿はない。小柄な相棒の姿も、銀髪の可憐な少女の姿も、ハーフエルフの少年の姿も見当たらなかった。そんなジオがいる場所といえば、前後左右木しかない。まさしく森である。
「……どうしたもんかね」
 妙なことに巻き込まれたらしい。しかも、相棒関連で。絶対そうだ。そうに決まっている。あんちくしょう。
おそらく、というか、絶対に、ここは自分が存在した世界ではない。それしか考えられない。気付いたら、知らん場所。昼間から昼間なのは変わらないが、室内から、いきなり外。一瞬でどこかに移動した、としか考えられない。そうなったら、あの変な光のせいだろう。
 だからといって、座っていてもどうしようもないので、立ちあがろうとする。と、
 びたっ。
 何かが顔に張り付いてきた。

 ……。前が見えない。

 張り付いてきたものは、ふかふかしていて温かかった。羽根毛布を、もっと触り心地をよくして、もっと上質にしたものだといえば良かろうか。そして何よりも、重量を感じる。結構重い。
 生き物だろうか。温かいし、なんか生き物独特の匂いもしてくる。人口的な温かさでもなく、生物の持つ生きたそれだった。
 いい加減重いので、掴んで持ちあげてみる。
「ドラゴン……? 猫?」
 見たこともない生き物だった。物語や小説で出てくるような竜と、猫をちょうど足して二で割ったような感じだ。背中には翼がある。
 ジオは首根っこを掴むような持ち方から、手を脇に入れて、両側から支えるような持ち方に変えた。顔に当たった部分は、その生き物の腹の部分だった。顔を見ると、どちらかというと猫に近い。生き物と眼があった。金色の、綺麗な眼だった。
 毛並みにそって撫でてみる。すごくつやつやしていた。高級ビロードも真っ青な肌触りに驚愕する。剥いで売ったらいい金になりそうだ、とあくどい事を考えてみる。
 そういえば、相棒の顔も肌ざわりがよかったなぁと思い出す。メリッサの顔は、いつも風呂上がりみたいなのだ。それでいて、モチ肌だ。旅をしているのに、思春期なのに、出来てもいい筈の肌荒れはいつも見当たらない。常に柔らかくて、すべすべしている。
 その時と同じぐらいの衝撃を受けている。
 ジオは珍しさと毛並みの良さから、さらにべたべた触り始めた。背中を、顔を、翼を、しっぽを。挙句の果てには、生き物の後ろ脚を開いて、「あ、こいつメスだ」とかオスかメスかの判別をやり始めた。
 しばらくその生き物はジオに触られるがままにされていたが――急に体を反転させて、しっぽで青年の顔をひっぱたいた。
「いってぇ―――――!」
 クリティカル・ヒット。ジオは顔に五百のダメージを受けた。しばらく顔をおさえてうずくまる。
「何しやがんだ、この珍獣!」
「私に触るな愚か者」
 へっ? とジオは目を丸くする。今、何か声聞こえなかったか? しかしやはり周りを見れども、自分と、珍獣以外はいない。幻聴か? 頭がぶっ壊れ始めたか? それは考えたくない。俺は正常だ。ということは、
「……今、しゃべったか?」
「お前ではなかったら、私以外に誰がいる」
 珍獣の口は、そのまましゃべった動きをしていた。間違いなく、しゃべったのは目の前の珍獣だ。男とも女とも読みとれぬ声で、
 ジオは少し思い返した。ここは別世界だ。自分の住んでいる世界では、ドラゴンやらが神話時代の過去の遺物であり、今では物語上でしか存在しないものであっても、ここでは普通に生きているかもしれない。それで、しゃべっていたりしても、何にも不思議な光景でもないのかもしれない。そう思って納得することにした。
 珍獣はそのままじっと、金の眼でジオを見つめた。まじまじと見られると、むず痒い。
「なんだよ」
「お前……妙だな」
「何が妙なんだ」
 存在だったら、眼の前の珍獣の方が数倍妙だ。珍獣の癖にしゃべるし態度デカいし。そんな妙な珍獣に妙だと言われるのは心外だった。が、珍獣の口からでた次のことばは、意外といえば意外、だが、納得できることでもあった。
「お前から魔力を感じない」
 ああ、なるほど、とジオは納得した。それと同時に、この世界でも魔力のない人間は異端であることを理解する。どうやらこのやっかいな体質は、別世界でも通用してしまうらしい。どうでもいいことではあるが。
 ジオは少し笑って、珍獣の金の瞳を見つめ返した。
「珍獣、名前はなんだ?」
「アロイ」
 簡潔なことばが返ってきた。アロイね、とジオは声に出さず、口の中だけで言う。手に持った紙切れとの単語と、同じ名前。
「俺はジオだ。あんたが感じた通り、俺に魔力はない。で、アロイさん。この紙切れに見覚えあるか?」
 アロイという名の珍獣は、ジオが差し出してきた紙切れをじっと見た。そして、ある、と、名前と同じように簡潔な答えを返した。
 紙切れの単語と、眼の前の珍獣の名前が同じ。偶然にしては、出来すぎている。
「私が魔術の実験のために使ったものだ。それを何故、お前が持っている」
「その辺は俺だと説明しづらい。俺の相棒に聞いた方がいいな。……多分、俺の仲間もこっちの世界に来ているだろうから、合流していいか? こんな所にいてもどうしようもない」
 立ち上がって、服についた土や草を払う。足の関節が少しなまっていた。服からは草の匂いがした。思ったよりも長時間眠り、座りこんでいたようだ。そして時間感覚が少しズレているみたいだった。相棒の家にいた時は、確かに昼時だった。今、日中の日差しを確かに浴びている。いつ頃から、この世界にいるのだろう。
 その辺は、やっぱり相棒に会ってみないとわからないことだった。
 アロイは地を蹴って飛び、四本の剣を剣帯に収めているジオの頭に飛び乗った。
「ここから東方に行ったところに街がある。そこに、お前の仲間とやらもいるかもしれんぞ」
「じゃあ、案内してくれ」
「その代り、しばらくこのままだ。飛ぶのは面倒だ」
 そのままジオは歩き出した。頭に珍獣、一匹乗せて。

 

 

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