序.予測できない未来のために


 ……時計も何もない診療所の廊下で、額に手の甲をつけて、顔を隠すように彼は座っていた。
 難産になるだろうと義母は言っていた。予定日より一か月以上早いため胎児自体が小さく、さらにずっと逆子のまま正常の位置に戻らなかった。妻と祖母が向かいの部屋に入ってから、早くも二十時間が経過していた。
 彼の国にはこんな言葉がある。ひとつは、泣いた赤子が火の玉かます。ひとつは、道端の子供が魔術大全をそらんじる。ひとつは、あまりの難産の子供は――
「おとうさん」
 幼い声が、彼の暗い思考を遮った。
 彼が七歳になる彼の娘だった。娘は、彼譲りの黒い髪をゆらしながら、母譲りの金の瞳でじっと彼を見つめていた。待っていても出てこない母の身を、娘は案じているのだろう。妻に似たのか、聡明な子供だった。
「セシリー」
 そして、娘は母の身を案じているだけではないだろう。自分の、本当に無事なのだろうか、無事に生まれてくるのだろうか。そんな不安が、娘にも伝染してしまったに違いない。
「セシリー。きっと大丈夫だ。母さんも、妹も、絶対に無事だ」
 まだ幼く、小さい娘を抱きしめ、自分に言い聞かせるように彼はつぶやいた。この子はもうすぐ姉になる。この子に、生まれてくる子供の姉になってほしい、と心の底から思う。……だからそのためにも、赤子には無事に生まれてきて欲しかった。ずっと頭の中に張り付いた、数か月前の義母の言葉を頭から追い出す。
 ――それから半刻後。
 地を揺るがすほどの泣き声が、扉の向こうから響いた。
 彼は立ち上がって、扉の向こうの部屋――分娩室へと入り込む。
「クレア!」
 まっすぐに妻を呼んだ。
 汗を大量に浮かべ疲労の色が濃いが、それ以上に母として一つの仕事を終えた達成感に満ちていた。
 妻の出産を手伝ったのは義母だ。義母は経験豊かな医者で、出産の立ち会いも数えきれないほど行っている。金髪をしっかりと纏め、白衣を着た義母の姿は、60歳に見えない程若々しい。
「おめでとうクレア、アレイスター。とても元気な女の子よ」
 義母が、赤子を産湯につける。赤子は、未熟児に近いほど小さかった。しかし、うまれてきた女の子からは、何かしっかりとした、大きいものを感じていた。
 声にあらわれているのだ。
「荒々しくて、我がままで、正直で、とても奇妙だけど大きいかたちね。わたしには手におえない。この子はわたしの旦那にきっと似ていくんでしょうね」
 義母の言葉に、彼の顔が固まった。出会ったことのない義母の夫は、荒くれ者で、騒動や諍いごとが大好きで、妻や子供を置いてはしょっちゅうふらふらと放浪していたらしい。未だ生死不明で、義母自身は適当に生きているかその辺で野たれ死んだと思っているようだった。彼も、妻と結婚して10年以上経ったが未だに義父と顔を合わせたことがなかった。
「でもわたしは、それはこの子にとっては幸運だと思っているわ」
 泣き止まない赤子。腹の底からの声。赤子を慣れた手つきで抱きしめる義母の話を、部屋に入った彼と一仕事を終えた彼の妻は、静かに聞いていた。
「残念だけれどわたしにはわかる。アレイスター、前も言ったけれど、この子には魔術の才能はない。それ以前に、脈があっても、魔術を行えるだけの魔力がこの子にはないの。とっても珍しいわ」
 義母はためらいなく宣告した。それは赤子を含め、彼らにとって残酷としかいいようのない宣告だった。
 一流の魔術医は、生まれた赤子を抱いただけで、その人間が潜在的に持ち得る魔力の量を図ることができるという。義母の技術を知っているだけに、彼は納得するしかなかった。
「……覚悟はしていました」
 妊娠が発覚した時から、覚悟はしていた。
 人間の身体には心臓の横に脈がある。龍脈と呼ばれるその器官には、魔術を行うのに必要な魔力を生み出すことが出来る。
 妻の胎内にいたときから気が付いていた。その子供の龍脈が、弱すぎることに。また、この国にはひとつの悪い言い伝えがあった。
曰く、難産の子供には魔力が宿らない。
このことばは、現実味もなく信憑性もなく、また実証もされていない。ただの悪い噂だ。だが、数か月前聞いた時、妻の腹に触ってあまりに脈の鼓動が弱すぎると感じたとき。起こり得るかもしれないと暗い予感が走り――
たった今、義母の宣告によって現実のものとなった。
――覚悟はしていたが、どうしようもなく失望している自分に彼は気が付いた。わずかでも望みを捨て切れなかったのかもしれない。
 マララッカ大陸の中欧の小国カルギア。小さいながら独立してから千年間、建国と同じ国のかたちを保っている珍しい国家だ。別名『魔術師の国』。大陸のどの国より、魔術が盛んで、その技術が発達している国だ。初等学校から授業科目には『魔術』が組み込まれており、魔術が使えない人間は片手で足りるだろう。
 この先、この子は苦労することになるだろう。この魔術師の国で。魔術が行えない人間が圧倒的に少ない国で、この子は過ごしていけるだろうか。
 彼の頭には、そんな不安が募っていった。
「だからこの子が、自由に、魔術に縛られることなく、自分が選んだ道をのびのびと進めるように願いを込めましょうね。それにふさわしい名前を付けましょう。この子の人生は、たった今、無限の可能性を持って始まったばかりなのですから。セシリー、おいでなさい。あなたの妹よ」
 義母が、娘を手招きする。難しい話に入れなかった娘は、待ちかねていたように生まれたばかりの赤子の頬に触れた。
「かわいい。今日からわたしが、この子のおねえさんね」
 娘の言葉に、はっと顔を上げる。
この子の人生は、この瞬間から始まったばかりなのだ。それなのに、一つの事実を宣告されただけで、その子自身に失望しようとしていたのだ。
 妻の顔は変わらない。才能がないと知った今でも、生まれた子どもに対するいつくしみに満ちている。可愛い可愛いと言いながら赤子を覗き込む娘を、ほほえましく見つめている。
「新しい季節が来るわね」
 妻のつぶやきと共に、カーテンが初夏の風のかたちに揺れる。出産後、空気を入れ替えるために義母が開いたようだ。朝になっていた。秋ほど高くはないが、初夏の空は芽吹いてくる新しい命が、これから始まる鮮やかな夏空の色と溶け合ったような色彩を持っている。
 この子のために、出来る限りのことをしよう。
精一杯の愛情を注いで育てよう。
 そう決意し、改めて生まれてきた子どもの顔を見た。




一に続きます。


2014.1.04 クロサキイオン






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