1.刺身か揚げ物か論議


 ――電話を使うたびに、思うことがある。
 そろそろ手軽に持ち歩ける、小型式の電話が開発されてもいいのではないだろうか。連絡が手早くとれてよかろうと思うし、何よりも、公衆電話ボックスを探す労力がなくなる。それは非常に魅力的なのではないか。肩までかかる茶髪の枝毛を裂きながら、彼女はぼんやりと考えた。たまに、アクロバティックな枝毛を発見する。散髪した方がいいかもしれない。面倒だけど。
「姉さん、聞いているの!?」
 電話の向こう側からの怒声。電話のことを考えていたというのに、自分がそれを使って会話をしているという事実をすっかり忘れていた。話し相手は、国に残してきた妹だ。……昔、妹は私のことを呼び捨てでメリッサ、と言っていた。姉さん、というのには、何か彼女の中に変化があったのだろうか。
 未だに慣れない、と思う。そして私は、いったい妹と何を話していたのだろうか。
「あー、ごめん。何も聞いてなかった。で、なんだっけ?」
 呆れる空気が伝わってくる。大きくため息をついた後、妹はさっき彼女に言ったであろうことを再び告げる。
「今月になって三つ、姉さん宛の手紙が届いていたわ。全部開けて読んじゃったけど。別にいいわよね? ひとつはフルボルト大学から。三か月後に特別講義を行わないかって。内容は自由だそうよ。次は二週間後に隣国のシャトーヴァルタンで学会があるらしいんだけど、出ないかっていう誘い。最後の一個は、三週間後に開催される王家の晩餐会の出席か否か。……紋章魔術師全員出席するのが望ましいって書いてあるんだけど、まさか断らないわよね?」
 コートのポケットからメモ帳を取り出す。受話器を耳と肩で挟んだ状態で彼女は器用に万年筆を滑らせていった。銀製の万年筆には、六つの星を旋回する火の鳥が描かれている。それは、彼女の身分を示すものの一つだった。……確かにこれは、自信家の妹に少しだけ敬意を払わせるだけの効力は持っている。
 暫し考える。大学での集中講義。授業の準備がめんどくさい。隣国での学会。隣国とは関係が悪化しているため、特殊ビザがないと入国が出来ない。特殊ビザ発行には時間がかかるし、書類の関係上国に戻らなくてはならない。現在いる国から自国までは遠いので、もどるのがめんどくさい。晩餐会は……なるべくなら遠慮したい。
 そんなわけで彼女は、一つの結論を出した。
「悪い。全部パス。断り状出しといて」
 電話の向こう側で、妹の怒りが膨らんだ。……ような気がした。
「ちょっと姉さん! 姉さんがそんなんだから、私の方に苦情が来るのよ! せめて晩餐会には出席してよ!」
「だから、悪いっていってんじゃん。うまい飯は食いたいけど、あそこに出席するのはちょっと気まずいからさぁ。陛下の顔も見たくないし」
「不遜なこと言ってんじゃないわよ! 気まずくしてるのは、姉さんの勝手な事情でしょ!? 本当に悪いと思うのなら、少しはまともな仕事をしてよ!」
「仕事ならしてるよ。金にも困ってないし、ジオとだってうまくやってる」
「そういう仕事じゃないわよ! 大体姉さんはいい加減なのよ! こないだだって……」
「晩餐会はお前が出席していいぞ。委任状なら一筆書いて送るからさ。リンドまでたまには出てこいよ。お前の実力があれば、私の代わりぐらい務まるから、心配すんな」
「いい加減にして! 簡単に義務を放棄しないでよ!」
 どうやら妹の怒りは本物らしい。そこまで怒って、彼女の血管は無事だろうか。
そこから先は、電話のごとに聞いている妹からの説教だった。それなりの地位にいるのだから恥ずかしい真似はするな。少しはその地位を自覚しろ。ちゃんとした仕事をしろ。拾い食いはするな。病気をするな。……エトセトラエトセトラ。妹の声は怒ると鋭角的になるので頭に響く。容赦なく降りかかる妹の怒声を、受話器を耳から離して聞いた。
 やがてネタが無くなったのか、妹の嵐は収まった。たまには国に帰ってこいと残して、妹は電話を切った。受話器を置いて、コートのポケットに手帳と万年筆を戻す。
電話ボックスから出た彼女は、もとにいた場所へと急いだ。仕事斡旋所で掲示板を眺めている相棒に、何も言わずに出てきてしまったのだ。
 派手な色合いの赤いコートは、今の季節は少し熱い。夏に近づいているのだ。歩いていると自然と汗ばんでくる。日中の太陽を遮るものは何もない。強い日差しは、彼女が苦手なものの一つだ。……得意な人間もいないとも彼女は思っているが。通りを見ても、彼女以外長袖に腕を通している人間は、誰一人としていなかった。
 脱いだコートの下は簡単な旅装だった。男物の動きやすい古着にロングブーツという格好は、少女というよりも活発な少年という装いだ。もっとも、彼女の格好を見ただけで少年かと疑う人間は少なかった。
 持ち合わせているのは少女としての可愛らしさだった。肩までの明るい茶髪。それよりも深い渋茶色の、ぱっちりとした二重の瞳。化粧をしない頬は滑らかな上に柔らかい桃色で、彼女の相棒曰く「無駄に触りたくなる」ものらしい。一五〇にも満たない小柄な身長に大きな瞳が特徴で、シマリスなどの小動物を連想させる。首には、万年筆と同様に彼女の身分を雄弁に語る証が掛けられていた。
 首が、今更ながらこの懐中時計は重いと訴えてくる。実際には重いものなのだ。重量だけではなく、これを与えられたメリッサの責任と義務も、だ。火の鳥の銀彫刻は見事なもので、翼や胴体には、珊瑚やルビーなどの赤い宝石が埋め込まれている。
「メリッサ」
 自分を呼ぶ声に反応して、振り向く。年齢不相応に落ち着いた声。思い描いた姿がそこにあった。
 二十歳にも達していない、年若い青年だった。頭一つ分以上、彼女――メリッサより背が頭一つ分以上高い。黒い髪に、切れ長の黒目。同じように軽装で男物とはいえ、明るい色彩のものを着ているメリッサとは違う。左耳に三つのピアスを付け、瞳や髪と同じ、黒を基調としたものをまとっている。だが、暗鬱とした印象を決して周りには与えていない。
 彼が人に与える印象は、色彩からくるものではなく、彼自身の容貌と、身に着けた四つの剣によるものだろう。四本の剣は、それだけで物騒な仕事を連想させる。端正で涼しげに整った顔は、甘さはないが少しばかり貴族的で、女性が放っておかないものだ。相反する二つの要素をもった彼は、ただ立っているだけで周りの眼を引いてしまう。また、少年といって差支えのない年齢だが、醸し出す雰囲気と鋭く研ぎ澄まされた隙のなさが、彼を少年と言わしめるのに不適切であると物語っていた。
「ジオ」
 メリッサは頭一つ分以上背丈の違う青年――ジオと顔を合わせる。
「悪い、ニーチェに電話してた」
「そんなこったろうと思ったよ」
 国を出る時、妹からは週に一回は必ず電話しろと口うるさく言われていた。それが、この数週間はめんどくさい……ではなく、公衆電話を探すのも惜しいほど忙しかったので、連絡を取れなかったのだ。
「いい加減な姉を持つと苦労するんだろ」
 確かに、あの真面目な妹から見ると、私は不良な姉だろう。妹曰く、それなりの地位にいるにも関わらずその役目を簡単に放棄する。国の事は殆ど妹に任せて、常にどこかをふらふらと旅をしている。妹曰く、怪しげな仕事をしてはどういった方法か知らないが目を剥くほどの大金を手にしている。曰く……。
 音信不通になったらあの妹はその辺で私が野たれ死んだとでも思うのだろうなとぼんやり考える。
 妹のことを頭から追い出す。電話をする前に相棒と共に見ていたのは、仕事斡旋所の掲示板。張り出された短期仕事募集の広告を眺めているうちに、そういえばしばらく妹に電話してなかったと思い出したのだった。
「で、何かいいのあった?」
 その結果をメリッサは、自分よりも長く眺めていた相棒に端的に聞いてみた。
「その辺は飯食いながらでどうだ?」
「いいね、何か食おう」
 いろいろと話すことはあるが、その前に腹ごしらえだ。
「海沿いの街だから、魚の刺身でも食えるかもな」
「……なんだそれ」
「生の魚をこう、捌いてそのまま食べる」
「生の魚ぁ?」
「うまいもんだぞ。食ってみりゃいい」
 彼女の国では、魚は煮るか茹でるか、とにかく火を通して食すものである。昔、火を通さず林檎酢でしめただけのサバを食べて腹を下した過去があった。彼女の出身国が地理的に海と隣接していないというのもあり、鮮度が落ちてしまうことも関係しているだろう。
 その経験から、いくらうまいと言われても生の魚を食べてみる気にはなれなかった。
「あー……それよりも、私は揚げ物食べたい。アジのフライとか、タコのから揚げとか、イカの素揚げとか」
 揚げ物の中でももっとも好きなのは鶏のから揚げだが、ここは海沿いの街の素材に惹かれる。牡蠣は季節ではないが、アジやタコだったらきっと揚げても美味いだろう。
「……そんな油で固めたものをよく食えるな」
 今度はジオが顔をゆがめる番だった。


 結局。二人の意見が交わることはなかった。
 裏通りの冴えない外観の料理屋で、思い思いの飯を選んだ。メリッサはイカの素揚げをマリネにしたものと、トマトの冷製パスタ。ジオは魚介のスープと胡桃のパンだ。パスタを口いっぱいに詰めて行儀悪く食べながら、メリッサは相棒に成果を聞いてみた。
「で、もっかい聞くけど。何かいいのあった?」
「ない」
 相棒が即答する。あまりにもあっさりした反応だった。
「……いや、もうちょっと、何かあるんじゃないの?」
「ご近所の犬の世話とか納屋の掃除とかならあったな。定食屋を潰して新しくアパート立てるから、その地上げ屋の護衛とかもあった」
 地上げ屋の護衛。響きのかっこ悪さにメリッサは顔をゆがめる。
「仕方ねえだろ。この辺は治安が安定しているんだ。俺たちが必要な厄介を抱えているような人間なんざそうそういねえよ。つうかこの国に寄りたいっつったのは、メリッサ。お前なんだぞ。俺はその理由を聞いてない」
 パスタを巻いていたメリッサの手が止まる。おのずと、目が丸くなるのがわかった。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「お前は言っていないし、俺は聞いていない」
「お前が聞いたのを忘れてるっていう可能性はないわけ?」
「だったらお前が言うのを忘れている可能性もあるよな」
 どちらにせよ情報を共有出来ていなかったのは事実である。
 大陸の最東の国ローラン。メリッサ達のいるアンゼルハイムは海沿いの街で、ずっと目を凝らしていけば極東のハザクラ列島まで見渡せる。列島風の文化が特徴で、漁業と真珠の養殖が盛んな国。長らく戦争や内紛もない。平和そのものの国だ。
 メリッサの目的は、生まれて初めて海を見るのでも、有名なローラン産の真珠を手に入れる事ではない。海は大きい水たまりのようなものだと思っているし、真珠は高価なものでそもそも興味がない。そして仕事をする気が全くない。
その文化と、伝説のシロモノを拝むためだ。
「ローランには有名な、魔神と人魚に関わる伝説があるだろう。その、人魚の鱗がのこっているっていうからね。目的はそれ」
「お前がそんなもん見たがるなんて珍しいな」
 一通り聞き終えたあとの素直な感想が、ジオの口から飛び出てきた。メリッサ自身、宝飾や装飾品とは無縁だ。
「人魚の鱗には強い魔力があるっていうからな。まぁ、今度の論文に使えたらいいと思うし、ついでに観光も出来て羽も伸ばせて、人探しも出来る。一石二鳥だろ」
 観光。論文の題材。羽伸ばし。人探し。
 要するに彼女は、仕事目的でローランに来たのではないのだ。
「何、何か文句ある?」
「大有りだ。お前はともかく、最近俺の懐具合がやばいんだよ。仕事がないから」
 小さい相棒をひと睨みする。
 ジオとメリッサは、旅中で仕事を請け合う流れ者だ。共同に依頼された仕事なら報酬は山分け。どちらかが主体で依頼されたら、6割は依頼された方がもらう。
「大丈夫だって。いざとなったら、私の稼ぎでお前ひとりぐらい養えるから。心配すんな」
「……俺はヒモか」
 ジオとメリッサの年の差は三歳半。さして離れてもいないが、二人の外見だけ見れば三歳半しか違わないことを驚く人間の方が多いだろう。ジオは次の冬で十九になり、外見は年相応なものだが、年不相応に成熟し達観した雰囲気がある。対してメリッサは、この前の初夏で十五歳になった。その年齢の割に背丈が低く、身体も小柄で女らしい丸みを帯びていない。というか、成長している様子も見えない。
見た目年端もいかない年下の少女に養われている……という構図は、彼にとって面白いものではないだろう。傍から見ればとても駄目な人間に見えかねない。
「……お前がちゃんとした身分を明かせば、降ってくる仕事って増えるんだけどな」
 メリッサはぽつりと放ったジオの言葉を華麗にスルーした。
 冴えない外観とダサい店名に反して、内装はシックな色使いが際立って趣味がいい。落ち着いていて、なかなか洒落ている。だが、流行っていないのだろうか。店には彼らと店主らしき老齢の男性以外、人の姿はない。
 がらんとした――人がいなさすぎて逆に落ち着かない空気は、乱暴に蹴破られるドアの音で終わりを告げた。
 重苦しい足音。入ってきたのは3人の黒服の男。
店主は男たちを見て顔色を青くさせた。
「……なぁ、こんな本知っているか?」
「何?」
「『ゴロツキは必ず食事時を狙う』っていう本さ。今みたいな状況は、結構物語上で多いだろう?」
「そうなのか?」
 物語や小説といった類は、あまり手に取ったことがない。空想上のものに興味はないからだ。研究書のページはめくっても、趣味の上での読書とはこれまでの人生では無縁と過ごした。方やジオは、稼いだ金を本に使っていることが多い。メリッサが相棒を何者かわからなくなるのは、こういう時だ。傭兵という肩書の割に妙に物知りで教養深かったり、読書という似つかわしくない趣味を持っていたり、変な特技が多かったりする。旅の中や傭兵業で培われない分野での知識や特技、という意味でだ。
「まぁ、そういうもんなんだとさ。後で、自分で読んでみるんだな」
 気にした様子も見せずに、再び胡桃のパンを裂いて口に入れる。
 時刻は真昼。本来ならば、にぎわってもおかしくない時間帯。定食屋。老店主。地上げ屋。彼らの会話の節々からは、新しくアパートを立てるから退けや、数か月前から言ってるだろうが、そこをなんとかお願いします、ここを追い出されたら行く場所がない、等の言葉が聞こえてくる。最早話し合いではなく、一方的な恐喝だった。
「ジオ。ちょっと気になること聞くけど。お前が斡旋所で見ていた地上げ屋のターゲットになった店の名前って何?」
「『海風亭ウミネコ』だった。けったいな名前だな」
「うん。……この店の名前と同じなような気がするのは気のせいかな」
「気のせいじゃねーなぁ」
 彼らの物騒な会話をBGMに流しているうちに、食事が終わった。皿やスープのボウルはすっかり綺麗になっていた。
「……メシ自体は不味くなかったね」
「俺もこんなに美味い胡桃パンは久しぶりだ」
「イカの揚げ具合も悪くない。柔らかく仕上がってるし、マリネの酢も絶品だ」
「出汁もちゃんと取れてるぞ。これはエビの殻と頭がベースになっているな。隠し味に蟹味噌ってところか」
「何でこの店潰されるんだ」
「知らねーな。最近土地が高いから集合住宅でも建てて安くさせるってことだろ」
「でもこの店が潰されるのは惜しくないか?」
「それは言えている」
 がたっと同時に、メリッサは手ぶらで、ジオは右手に空になったスープ皿を持って椅子から立ち上がる。
「ぶっ!」
 店主を恫喝しているちんぴらは三人。ジオはその一人の頭を、何も宣告もなく右手で机に叩きつけた。
「おっさん、あんたの店で一番いい酒は何だ?」
 右手で頭をぎりぎりと机に押さえつけたまま、店主に何もないようにジオが尋ねる。
「え、ええっと。ラトスのオーベル地方産の白ワインですが……」
「いい趣味しているな。デキャンタでくれ。スープと胡桃パンを追加で頼む」
 店主の答えに感嘆の声を上げる。十八歳だが、彼は無類の酒好きだった。
「私も追加。さっきのマリネと、今度はパンケーキくれ。キャラメルソースとアイス乗せてくれると嬉しい」
 空の皿を差し出す横で、少女も追加を注文する。その少女の様子を見て、ジオは少しだけ眉をひそめた。
「……お前、それどういうつもりだ」
「何って見ての通り、人質に取られてやってる」
 酒を注文している間に、奇妙な状態に陥っていた。見るからに屈強そうな男性に首をホールドされ、こめかみに銃を突き付けられた状態で平然とした態度で少女が言う。……人質に取られてしまった、のではなく、取られてやっている、というのがいかにも彼女らしいとジオは思う。
「最近の地上げ屋ってチャカ持ってるのかよ」
 驚き半分、関心半分で呟く。そんなもん持っているなら護衛なんかいらないだろう。何で斡旋所に護衛募集の張り紙出したんだ。ジオはその辺を問いただしたくなった。……チャカを持ちながら指が震えている様子を見れば、張り紙を出した事情も頷かざるを得ない。
「お、お前らなんだ! 一体どういうつもりだ! こいつの命がどうなってもいいのか!」
 何というか、人質を取るにせよ、その行動や言葉は、現実であろうが物語上であろうが古今東西変わらないものなのだなとジオは思わず感心してしまう。筋書通りに使われて、思わず吹き出しそうになった。
イレギュラーなのは人質に取られている少女の反応だけだ。
「バカだな、客以外の何に見えるんだよ」
 動じない少女が、問われたジオの代わりに答える。苛ついたのか、人質に取っているちんぴらが少女のこめかみに、突きつけるだけではなく銃口をごりっと押し付ける。こいつの頭に風穴開けるぞという威勢のいい声が聞こえてくるが、まぁそれはどうでもいい。指だけではなく震える声から、どうせそんな度胸はないだろうと容易に想像できる。
「あー、お前らの事はわかってる。確認していいか? お前らは土地権が欲しい。店主のおっさんは店を手放したくない。俺たちはとりあえずうまい飯が食いたい」
 自分の意見を混ぜるのも忘れない。こんな自分たちに全く関係のない諍いを横で耳にしながら飯を食う気など毛頭なかった。
「ただの客だったら引っ込んでろ。関わってくんじゃねえ!」
 目の前のゴロツキの言う通りだ。自分はただの客。
 だからジオは、言いだしっぺに全てを押し付けることにした。
「そりゃそーだ。だからメリッサ。お前がなんとかしろよ」
「えー?」
「ただの客だが、先に言い出したのはお前だし、勝手に人質に取られてやったのもお前だ。俺はここで、酒飲みつつこいつをぐりぐりしながら応援している。おっさん、酒」
「は、はあ」
 当たり前のように注文をするジオに、何となく流されて店主が酒を出す。ほのかに黄色みがかかった白ワインを、グラスに片手でこぼさず器用に注いで、一気に飲み干す。あっという間にデキャンタの中身が終わり、さらに酒を追加する。ついでに言えば、ジオの後ろにも銃を持った男が控えているが、そんなのはお構いなしだ。
 昼酒を優雅に嗜む相棒を眺めて、メリッサは本当に加勢するつもりはないと確信する。口元が微妙に歪んでいる。何をするか楽しんでいる顔だ。
 仕方がない。自分でこの珍妙な状況を作ったのだし、何とかしなければ。
「仕方がない、な」
 最後の「な」を、ほんの少しだけ強調する。
「あ?」
 メリッサを羽交い絞めにしていた男が、引きつった声を上げる。がたがたと震えていた指が、固まったかのように動かなくなったからだ。
 引き金が引けなくなった銃は、最早鈍器にしかなりえない。そして鈍器として使われる前に、少女の足が動いた。動くと言ってもほんの少し。膝を曲げて、足の裏をすこし上にずらしただけだ。そうすると、男の大事な所を蹴りあげる格好になる。
 数分ぶりの自由を手に入れた少女は、股間を押さえて呻く男の軽く触って一言つぶやいた。
「〈龍脈/縛る〉」
 ――と。
 びくっと電流が走ったように体が跳ねて、男は、今度は床の上で動かなくなる。見ただけでは何を行ったかは分からない。
 ただ一つ、身体の自由を奪う簡単な魔術を使っただけだった。
 ジオの後ろに控える残り一人のチンピラが、震える指で引き金を引こうとした。
「動くなよ」
 口の端を釣り上げて、ジオが塵よりも軽い口調で告げる。
彼は何時の間にか、頭を押さえたチンピラの首筋にナイフを突きつけていた。
「あんたが俺を撃つより、俺がこいつを刺す方が絶対早いぜ」
 ジオの商売道具である四本の剣はテーブルの横の窓際に立ててある。ナイフは、ジャケットの袖に隠し持っていたものだ。彼の動きが速すぎたのか、後ろのチンピラが油断していたのか。あるいはどちらかだろう。頭を抑え込まれた一人は、本人が知らない間に命の危険にさらされていた。
 チンピラに老人は恐喝出来ても、死ぬほどの覚悟はない。そして仲間を見殺しにする勇気も。三人全員の身動きが取れなくなったところで、メリッサは一人のチンピラの鞄の中を勝手に漁りだす。
「お、お前一体何したんだ!」
「なーに、ただの魔術さ。一番最初のやつは言葉による命令魔術で……」
「メリッサ。どうせ言っても理解できねーんだから省略しろよ」
 あわてるチンピラ。得意げに話をしだす少女を、だるそうにたしなめる青年。鞄からメリッサが取り出したのは薄いファイル。土地の権利書や、契約書が入ったファイルだった。
「わかってるって。えーっと何々。今すぐにこの契約書にサインをするか相応の金を差し出せ、か。ほい」
 読みながら、先ほどメモに使った万年筆を取る。契約書にさらさらっとペンを滑らせ、突きだした。――ジオの後ろに控えた男に。
「『海風亭ウミネコ』の主人に変わって私が代理人となって相応の代金を払います……って、ふざけんな!」
「契約書には金だしゃーいいって書いてあるだろ? つーことは、金だしゃー引いてやるってことだろ? 金ならある。これで手を打て」
 15歳の少女が絶対に吐けないであろう台詞を、聞きようによっては高慢に取れる台詞を、いとも簡単に言ってのけた。
「そういう問題じゃねえんだよ!」
「じゃ、どういう問題だ。説明してみろ。聞いてやるから」
 メリッサは上着を脱いで、ばさばさと振った。――そこから、黄金がばらばらと落ちてくる。金貨だ。メリッサの足回りが黄金で埋まるぐらいだ。
 目の前のちんぴらがごくりと生唾を飲み込んだ。
あと一息だ。これでもう一つ、追い打ちをかける。ひるんだらこっちのものだ。
「それとも、こいつの知り合いの弁護士を呼んだ方がいいか? そうすれば、円満に解決できるぞ」
 こいつ、とジオを親指で指す。
 あらわれた反応を見て――少女はにやりと心の中で笑った。

 ……溢れんばかりの黄金を両手に抱え、『もうこの店には二度と手を出しません』というサインを残してちんぴらが去っていった。
 ひたすら頭を下げまくる老店主に、礼はいいからさっきの注文を早く出してくれと二人がせっつく。
「あの、あなた方は一体どういった方なのですか?」
「ただの旅の魔術師と、そのヒモだ……と言いたいが、私はこういう身分だ」
「ヒモじゃねえ、と言いたいところだから俺はこういった人間だ」
 メリッサは首に掛けた懐中時計を、ジオは元のテーブルに置きっぱなしにした四本の剣を指さした。懐中時計の上蓋には、六つの星を旋回する火の鳥の紋章が描かれている。
 ――それは、母国だけではなく、大陸的にも響かせている、彼女の実力と地位を雄弁にあらわすものだった。
 そして剣を指しただけで、店主は彼が何を生業にした人間かを悟った。
「私たちの実力に驚いたのは分かったから、さっさと料理出してくれよ」
 目を丸くさせる店主にメリッサがせかす。しばらくお待ちくださいと言って、奥に引っ込んだ。
 さっきまで座っていたテーブルから、カウンターに席を移す。ジオは二杯目の魚介のスープを啜った。パセリを入れると格段に風味がよくなる。
「ま、アパートよりもこの一皿に価値があるってもんだ。アパートは人間をスシ詰めにするが、この一皿は人の腹を幸福に満たしてくれる」
「……お前は酒飲んでただけだろ」
 相棒の小言に、気のせいだとジオは答えておいた。

 

 すっかり腹も膨れ、店主に地面に額をこすり付けて血でも出そうなほどお礼を言われて店を出たあと。
「そういやさっきの金ってどうなってんだ?」
 店の中では聞けなかったことを、外に出てすぐにジオは相棒に尋ねた。……流石に、店でこの金がニセかもしれない話なんて出来ない。折角店が助かった老店主が、心臓発作を起こしかねないからだ。
 貨幣の価値と経済が変わってしまうので、魔術で金を作ることは大陸法で禁じられている。メリッサにそれなりに財があるのは知っているが(仕事によってはジオの3倍稼ぐのだ)、さっきチンピラに差し出した量は、彼女の財布の範囲を超えている。そもそもいくら飯が気に入ったからと言って代替わりなど申し出る筈がない。金でも作らない限り。
 自分の今の身分などどうでもいいような発言が多いメリッサだが、汗と血の結晶である称号を簡単に手放すはずがない。バレたら彼女の地位が危ういどころか問答無用で死罪になる。
 自分が押し付けたのだが、危ない橋を渡らないためにやったことの種を知りたかった。そして、あの店主のためにも。
「あれは元々これだよ」
 メリッサはその裏を簡単に答えてくれた。答えはコートの内ポケットの中にある。
 ごそごそとポケットを漁って取り出したのは、マララッカ大陸共通の一マルト銀貨。一マルト銀貨ではパンが一つ。一〇枚一マルト銀貨が集まると買ったパンにコーヒーとサラダがつけられ、100枚集まると1マルト金貨になる。
 手の中にあるのは、1マルト銀貨が――一枚。
「複数の魔術を一気に掛けたんだ。まずこの一マルト銀貨自体が持っている、質量保存の法則を解除し、倍数魔術を掛ける。質量があるように見せかけて、今度は分裂。そうしたら「人間の眼にはこれが金である」と見せかける視覚魔術でコーティングする。見た目が本物の金になるように。そういうわけだから、私は金を作ったわけでも、法は犯したわけでもない。効力は3時間。んで、私は偽名で署名したしね。筆跡も変えておいた。これでもう一回あの店とやり合う場合は、書類を見たら代理人たる私を同席させないといけないらしいが、二度と私に会うことはないしな」
「……金造ってないだけで、立派な詐欺じゃねえか」
 マルト銀貨一枚をもとに、魔術で金があるように見せかけたのだ。
 ちらりと見えた彼女のサイン。代理人アレッサ・スミルノワという、彼女がしばし使う偽名が書かれていた。……自分が押し付けた以上、非難する資格は全くないのだが。あんな堂々と嘘をつける彼女の豪胆さに、改めて驚かざるを得ない。
「いや、私を詐欺だって訴えられない筈さ。『知り合いの弁護士を呼ぶ』って言ったらひるんだろ。あの契約書自体がウソの証拠だ。詐欺には詐欺で返す。何が悪い」
「それはそうだが……。魔術って何でもアリだなと思ってしまってな」
「違うね。魔術っていうのは、使う人間の技量によって質が決まるんだ。私の魔術が何でもアリっていうことだろう」
 それもあながち間違いではないあたりが恐ろしい、とジオは思ってしまった。
 腹も膨れた昼下がり。風にのった潮の匂い。きーきーと鳴くカモメが気持ちよさそうに飛んでいる。歩いている海沿いの街道には、白をベースにした家々が並ぶ。富裕層が住む高級住宅街のようだ。
 本当に平和そのものだ。
 ……その平和が金にならない人間が一人いる。
「で、お前仕事ないけどどーすんの?」
「……さぁ? どうにかなるんじゃねーの?」
 メリッサが、平和が弊害になる人間に今後の予定を聞いてみると、焦った様子もなく煙を巻いた。金が本格的にない人間の反応とは思えない。
「懐具合ヤバいんだったら、拘ってないで適当な仕事を適当にこなして適度な金にしてこいよ」
 青年とは真逆に、銀行の残高が素敵な数字になっている少女が呑気に助言を差し出す。
 ジオの商売道具は4本の剣だ。その道具が活躍する仕事はあまり世間的にもない方がいいのは分かっている。要するに、変な拘り――自分の技術に対する矜持が邪魔をしているのだろう。
 だが拘っている場合ではない時もある。例えば、早急に金が欲しい時とか。
「そーいやちらっと見えた張り紙に、明日この辺のセレブ達がパーティやるっつーことで、臨時スタッフ募集があったぞ。もう一回掲示板見て何も仕事がなかったら、それに行ってくるってどうだ?」
「……遠まわしな嫌がらせかよ」
「いーや、傭兵っていう肩書の現在無職に一番楽そうで割のいい仕事を薦めているだけだよ。で、今日の宿代払えそうなのか?」
 先ほどの飲食で、薄い財布がさらにすり減った。財布の中の金額を頭で数え、さらに一番割がいい仕事は何だったかを考える。
「……今、三日分貸してくれたら明日一割増しにして返す」
「おお、腹が太いね」
「その代り、その仕事にお前も来やがれ。……いや、来てくれ」
 勿論ジオもその張り紙は見た。スタッフとはいえセレブのお相手は死んでも御免だ。セレブの集まるパーティと言えば、金の匂いとその財力を醸し出す女性の集まりだ。そんな女くさく立場違いの所に、たとえ仕事でも行きたくない。だが、一日の臨時スタッフに出すには破格の値段が書いてあったのも事実だった。正直言って、色んな意味で一人で行くには気が引ける場所だ。
 メリッサは相棒に考える素振りを見せた。確かその張り紙に、軽く芸を見せてくれる魔術師も募集していた。本職ではないが、素人が好みそうな派手で見栄えのありそうな魔術を披露するぐらいは朝飯前だ。
 楽な仕事で大金稼ぐ。メリッサが一番好きなパターンだ。
 だが元々自分が望んだ仕事ではない。
「それだったら、一割増しにするだけじゃ足りないな」
「明日の仕事後にコーヒーと茶菓子付き。これでどうだ」
「……今から仕事の交渉に行ってこようか。その後は、トラットリアで夕飯にしとこう」
「ああ、それと一つ言わせてくれ」
「何だよ」
「今度嘘を言うときは、俺の名前を出すな。自分の知り合いの弁護士っつっとけ」
 メリッサの右手とジオの右手が交わされる。これで互いに明日は一日仕事になった。


 魔術師の少女と傭兵の青年。
 身分も背丈も財布の中身も違う彼らは、同じ歩幅で歩き出した。

 

 




花神はー? 魔法使いはー? BLACK WINGはー? と2,3人の友人から聞かれそうですが、新作です。
おはなしを書きはじめてだんだんわかってきたんですが、どうもクロサキは、複数一気にやってないと落ち着かない人間みたいです。
これをやっている間にこっちの話を寝かせてもう一度練って、また別のものを書いている時はあれの資料を見返して……。みたいな。
もう少し腰を落ち着けて一作をじっくり、一定の期間に書いてみたっていうことがないのです。
まぁ腰を落ち着けて一つに絞る作品が別にありますので、そっちに手を付けたら全部休止します。
次に公開できるのは多分、花神の続きだと思っています。

あとメリッサとジオという二人は10年以上前から自分のなかにいた二人なので、そろそろ正式に日の目を見ないとかわいそうだなぁというのもありました。
いま最初の最初のお話をかけたのは、そろそろこの二人が表に出たがっているような気もしたので。
いい加減外に出せよと言われている気がしたので。
いつ続きがかけるかどうかはわかりませんが、末永く見守ってくださいませ。


2014.1.04  クロサキイオン




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