3.奥様はご執心

 エルトンホテルはローランを代表する高級ホテルである。最上階はレストランになっていて、数か月前に新しいシェフを引き抜いたことから、宿泊だけではなくディナーだけに使用する客も増えてきている。ただし、宿泊にせよ食事にせよ、値段は一般庶民には相当に高いので、利用客は富裕層に限られている。
 スザンヌ・ハミールはこのホテルの上客で、レストランのスタッフとも顔見知りだった。個室まではいかなくとも、一番いい席を用意してもらった。窓際の、夜の海が見える席だ。空の色と溶けた海。殆ど境界が分からない。その中で、青銀の月が浮かび上がっている。
顔見知りのスタッフには既に、背の高い黒髪の青年が来たら私の所に通すようにと伝えてある。
 スザンヌは緩やかに巻いた金の髪をかき上げながら、昼のパーティについて思い出していた。桃色のワンピースに、肌触りのいい真っ白のショールを肩にかけている。化粧は薄め。年の割に清純すぎる格好かしら、と身に着けた服を振り返ってみる。もう少し色気のあるものを着てくればよかったと今更ながら後悔した。
 社交辞令で誘われた昼のパーティ。別に行きたくもなかったが、家に一人でいても退屈なので顔を出してみた。特に面白い事はなかった。それなりの額を払って招待したであろう少女の魔術も、幻想的で華麗なもので、見た瞬間は心が弾んだが、それ以上に楽しめるものではなかったのだ。
 スザンヌが気になったのは、黒髪黒目の給仕の青年だけ。背が高く、鼻筋の通った美青年だった。勘が正しければ、自分よりも10歳ぐらい年下だろう。だが、無駄がなく立ち回っていて、一本の氷が屹立したかのような隙のない背中は、10代の頼りない感じがしない。よく訓練された軍用犬にも見えたし、野に放たれた血統付きの犬がのびやかに育ったかのようにも見える。
 要するに、今までスザンヌの周りにはいない部類の人間だった。あの青年がいなかったら、そうそうに帰っていたことだろう。胸元にさげた小瓶のペンダントをいじりながら、あの青年はどんな顔をして私を求めてくるのだろうかという想像を愉しんだ。
 古代の人は狩猟が主な生活だった。食事の糧、または衣類を得るための狩りだが、それは一部の人間には、生活の一部からはみ出てしまう。はみ出た瞬間、それは快感になり――
 その快感は中毒になる。
 そして狩りは、何も男性だけの特権ではないのだ。
「ハミール様。お客様がお見えになりました」
 そんな夢想にふけっていると、馴染みの給仕がスザンヌに声をかけた。来ない可能性も高いと踏んでいたが、来たということは。
「お待ちしておりましたわ」
 彼もその気だったのだ。
口の端を釣り上げて、嫣然とした笑みを浮かべたスザンヌの顔が――目を丸くしたまま固まった。
確かに青年は来た。だが、ひとつ問題がある。
その隣に異物がいることだ。
「どうもこんにちは」
 スザンヌの言葉に反応してにっこりと笑ったのは、青年の隣にいる――昼間の魔術師の少女だった。
 年端のいかない可愛らしい少女は、昼の一昔前の貴族のような恰好から打って変わって、ロングブーツに男物の古着という、スザンヌとは180度違ってラフなスタイルを取っている。一方の青年は、黒いベストを外しただけで、昼の格好と変わらない。ベストを外して白いシャツだけになると、より、上半身がどれだけ鍛えられているかが分かる。
 何故、この少女がこの場にいるのだろうか。いや、何故――
「すみません。こいつに無理言って連れてきてもらったんです。こういうところでメシ食べるのってあんまりないので」
「ええ。勿論。歓迎致しますわ。……二人は、どういった関係で?」
 この少女は、何故彼と一緒にいるのだろうか。
 スザンヌはもっとも気になることを尋ねた。顔立ちから、兄妹のようには見えない。良くて、血筋の遠い親戚だろうか。
まさか、とは思う。目の前の少女は15歳という年の割に幼く見える。あと数年経てば黒髪の青年の隣に立つにも遜色ないほどの美人になるだろうが、今はただの可愛いだけの少女である。だから、まさか、まさか――
「彼女は、仕事上でのパートナーです」
 答えたのは青年の方だった。
 その回答に、少し、否、かなりほっとしている自分をスザンヌは確認した。仕事上での、という答えはこの場合は最重要だ。これから自分が行うことを考えて、恋人と答えられたら、大いにうろたえていただろう。
 気付かれないように、スザンヌはにっこりと笑って改めて挨拶をする。ただ顔に出して邪険にはしない。
「スザンヌ・ハミールと申します。今日は来てくれてありがとう。ここは、私がご馳走しますわ」
 ありがとう、は青年に向けていったもので、けして隣の邪魔者ではないのだ。だが、「それは楽しみです」と、スザンヌの言葉に答えたのも青年ではなく、隣の少女だった。
 二人に座ることを促して、連れてきた給仕に食前酒と前菜を持ってくるように告げる。運ばれた食前酒を、少女はやんわりと青年に渡した。年相応に、酒は苦手らしい。
 メリッサはグレープフルーツの炭酸ジュースを、スザンヌはまずは軽く麦酒を注文。
「とりあえず、ここの店の一番うまい国産の赤で頼む」
 青年は赤ワイン。グラスではなく、ボトルで注文。スザンヌがグラスに注ごうとする前に、自分でなみなみと赤い液体を注ぐ。
「……悪くない」
 一口飲んだ青年の感想。銘柄を見て、スザンヌは驚愕する。確かに、ローランで一番有名な酒蔵のワインだ。市場で出回っていない葡萄の品種を使っていて、味も一級品だ。その年で味が分かるのか、という驚きだ。
 ますます気に入った。
 青年の様子を見て、少女が顔をしかめる。
「……お前、昨日から飲み過ぎ。少しは抑えろよ」
「意外だな。これでも相当抑えているんだが」
「何言ってんだ。昨日だって、昼どころか夜だって結局飲みまくったじゃないか」
「普段は飲めねえ時のが多いんだ。飲める時にゃたらふく飲む。それが俺の主義だ」
 少女の苦言を、青年は鷹揚に流す。ここにきて、ようやく青年がスザンヌの前でまともに言葉を紡いだ。そのきっかけを作ったのが少女だというのが癪に障るが。口調から察するに、育ちはあまりよくはないようだ。それでも、何故か乱暴には聞こえない。どこまでも自然だった。
「そういえば、私はあなたのお名前を伺っていませんでした」
 名前とは肉体をあらわす記号のようなもので、何だっていいとスザンヌは考えている。それでも気にはなるし、何よりも、会話をするきっかけが欲しかった。
「ジオ・ダンガード」
「……いい名前ね。何となく、バランスがいい」
 青年は社交辞令ととらえたのか、名乗っただけで会話は途切れてしまった。ジオ・ダンガード。スザンヌは何の根拠もなく、その名前の響きがいいものだと感じた。伝説上の英雄の名前である鷹(ダン)王(ガード)とはいささか無骨なファミリーネームだ。一点の曇りもない黒い瞳は、洪水の後のような静寂と力強さを兼ね揃えている。淡白なファーストネームと、力強いファミリーネームの対比がいいと思う。
 食事が本格的に始まって、談笑に身をゆだねつつ、ジオという青年を見つめる。隣の少女と比較して眺めると、大分食事の作法が違う。少女は音を立ててスープを啜ったり、かちゃかちゃとうるさくナイフを使っているが、青年は完璧な作法で食事を勧めている。音も立てず、滑らかな動きでナイフを操っている。
 ――見ればみるほど、不思議な存在だ。食事の姿だけを見ると、それでこそ北の大帝国ミレトスの大貴族の子息と比べても見劣りしない。だが口調は、下町で野放図に育っただけの青年にしか聞こえない。瞳は、10代の青年にはない強い意志と自信がにじみ出ている。
 食事と共に酒も進んでいく。スザンヌは最初の2杯は麦酒だったが、次はワインに。そして今は度の強いシングルモルトスコッチ。青年は相当に酒に強い。一本目をものの数分であけてしまった。ワインが主。前菜にはスパークリング。今は魚料理のアクアパッツァで、白を飲んでいる。要するに出された料理に合わせて酒を変えている。ワインが主で、たまにスコッチを舌で転がす。
 スザンヌは胸元のペンダントを時折揺らす。親指の第一関節ほどの大きさで、ダイヤのかたちをしている。中には、僅かに黄金掛かった液体が入っていて、コルクで蓋がされている。だが、揺らすと開かずとも強烈な香りが鼻を突き指す筈だ。
 白身魚のアクアパッツァから顔を上げると、少女の方と目があった。少女は、口の端を釣り上げてにっこりと笑う。髪よりも濃い茶色の瞳。小動物のように愛らしい。少年のような口調で喋り、少年のような服装をしていて、だからといって彼女は少年には見えない。少女が男装しても、どんなに男の格好が似合っていても、男に見える人間とそうでない人間がいる。メリッサ・スティングスは、後者に当てはまるだろう。滑らかそうな白い肌も、ほそい首筋も、少女のものだ。彼女自身が持っている容姿の魅力は、少女の範疇で当てはまるのであった。
 一見するとただの可愛らしい少女。だが、その、くりくりしていて愛らしい少女の瞳に、スザンヌは畏怖を覚えずにはいられない。物事を知らない幼女のように澄んでいる。その奥に、物事すべてを暴きたててしまうような、おそるべき好奇心が見える。それは、一種の暴力にも似ていた。
相反する二つの強い要素が、スザンヌの瞳を捉えていた。
 考えすぎだ。
 いくら高名な魔術師で、並外れた実力を持っていても、所詮は子供だ。スザンヌはくちびるを弧に描いた微笑のまま、ペンダントを揺らした。
 そのペンダントを、少女がじっと見つめているのにスザンヌは気が付かなかった。

 *

 ――スザンヌ・ハミール教授夫人と食事をする、その5時間前。
 メリッサとジオはその手紙と大金を目の前に、これは一体何だと途方に暮れていた。
「なあ、こんな手紙をもらうのに、何か身に覚えってある?」
「全く無い」
 メリッサの問いにジオは即答する。ない。ない。全くない。
「……いや、あったような。思い違いであって欲しいんだが。一人の女が妙に絡んできてな」
「それはもしかして、私の出番の直前の出来事じゃないのか?」
「……何で知ってんだ」
「見た人間の証言ってやつ」
 メリッサは先ほど3人のマダムから得た情報を話した。スザンヌ・ハミールという名の女性で、大学教授夫人であること。最近彼女の男性関係が荒れているらしいこと。それによってよくない噂が上流階級で広まっていること。以上の話を総括して、若い男をハンティングするのがスザンヌ・ハミール夫人の最近の流行であること。等。
 金貨のぎっしり詰まった封筒に、一行だけの手紙。場所は高級ホテルの最上階。来い、ということだろう。
「……金だけもらってトンズラするか」
 自分でつぶやいて、ジオにはそれが一番の名案のように思えてきた。関わっても面倒になる以外の予感がしなかったし、そもそも行ってどうするというのか。向こうはどういう気か知らない――考えたくもないが、よろしいような関係になるのは勘弁願いたい。それだったら金も返した方がいいのだろうが、頂ける金はどんなものであれ貰っていくのがジオの主義だ。大体、返すにしても相手に会わなければいけないし、金自体に罪はない。
 もし目の前にいるのが、メリッサ・スティングスという少女ではなく、普通の少女だったら、「そんな金受け取るなんて最低!」とでも言って、彼を罵倒していたかもしれない。……彼にしてみれば、たとえそうして罵られたところで、受け取っとくものは受け取るのだが。
 だがメリッサは、そんな年頃の少女らしい潔癖さを持ち合わせなどいなかった。
「……それに賛同したいのはやまやまなんだけどさ。私は興味あるんだよ。その教授夫人ってのに。いいじゃん、行こうよ。こういう高級ホテルの最上階つったら、美味いレストランでも入っているだろうし。てことは、行ったら何か奢ってもらえるよ」
 メリッサの意外な提案に、ジオは最初眉を跳ねさせて、次に、この世のものとは思えない不味いものを口に入れたような顔を作る。
「……何でお前そんなにノリノリなんだよ」
「私はあの教授夫人に用があるんだ。……まあ、夫人はダシで本当に用があるのは旦那の方だけどな。そのきっかけを作る。ていうか、私は面識がないからお前が来てくれると助かるんだけど」
 誘われたのはジオだし、と付け加える。
「やなこった」
 再びジオは即答する。
「俺は行かないぜ。どうせろくなことにはならん。面倒事は御免だ」
 相棒の、こういった苦くゆがんだ顔は珍しい、とついしげしげとメリッサは見てしまった。昨日、揚げ物を食べようと言った時のゆがみとは比べ物にならない。全身の産毛が逆立つほど拒絶しているような顔だ。
 それと同時に、今回のこの件は仕方のないことだともメリッサは思っている。共に行動をするようになってそれなりに時間が経つが、メリッサは、少しはこの黒髪の相棒のことを知っていると自負していた。
 傭兵。そんな経歴の割に読書好きで教養深い。結構な美青年。黒髪黒目。胡桃のパンと甲殻類を使ったスープが好き。剣を四本持っていて、そのすべてに愛着がある。左耳だけにピアスをしているから、たまにゲイだと間違えられるが、彼本人はそうみられることを遺憾に感じている。それだったら外すか右にもつけろと助言しても、改める気はないこと。世界の田舎といわれる北の独立国家連合で長らく傭兵業に従事して、いくつかの物騒な二つ名を与えられるほど自分の仕事に全うしていたこと。
 苦々しく息を吐いてしまうほど、女性が苦手なこと。年下の少女や年上でも老婆とかなら全く問題はないそうだが。特に女盛りの色香を前面に出したようなルックスの女は、視界に入れようとすらしない。会話は成り立っていても、顔が真っ青になっていたりじっとりと冷や汗をかいていたりするのだ。
 あの会場にいた大半の人間は、人生に余裕のある、金持ちの、着飾った女盛りの女性だ。さぞあの成金パーティは苦痛だったことだろうと、メリッサは第三者の視点から考える。
 そして第三者の視点から考えると。断ったら断ったで、面倒なことになるような気がしている。名前を明かしてはいないとはいえ、雇い主に突き詰めれば身元なんてすぐに分かる。一時的に逃げても、万か一追われたらたまらない。
 だったら、会った上で、全てを解決するのが一番いい。そしてどうせだったら。
「私は目的を果たす。お前は何もしなくて美味い飯と酒をたらふく食う。……私に預けてみる気はないか?」
 メリッサが口の端を釣り上げる。にやり、という音が聞こえてきそうな笑みだった。
メリッサは余裕だ。彼女には何か策があるのだ。ジオは、それに乗るかどうかを試されている。相棒の目はこうも言っている。お前が臆病じゃないなら、私の話に乗ってくるだろ、と。
 こういう場面でジオは、彼女と自分は真の意味で対等なのだと実感する。そして、相棒に甘くみられるのだけは勘弁願いたい。
――その思いは、互いが互いに対して持っているのだ。
「……いいぜ、乗ってやる」
 だからジオは、同じぐらいの余裕の笑みをメリッサに向けた。



(つづく)



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