4.奥様はご乱心

 メインディッシュも終わり、残すのは食後のデザートのみとなった。微笑を貼りつかせたまま、スザンヌの心中には焦りが募っていた。
 おかしい。何かがおかしい。
 食事を初めて一時間以上が経過しているが、未だに効果が出ているように見えない。ずっと胸元のペンダントを揺らしているのに。彼の様子は何も変わらないのだ。……変わらないと言えば、彼はスザンヌの財布の中身が不安になるぐらいの勢いで酒を飲んでいるのだが、酔っぱらった素振りも顔を赤くもしていない。普通の口調で、隣の少女と話をしている。――限りなく素面に近いのだ。
 彼と同じペースで飲み続けたのが間違いだったようだ。彼は、あまりしゃべらない代わりに、スザンヌのグラスが空くとすかさずワインを注いでくれていた。
 そもそもあのペースはおかしくないか。水を飲むかのように酒を胃に落としている。話す口は開かなくても、決して飲食の手は止めない。余裕を持って味わい、食事を楽しんでいる。
「――ごめんなさい。ちょっと失礼」
 すこし微笑んで、何でもない動きで席を立つ。口元をハンカチで抑えて、速足にならないように、化粧室に向かう。気持ちが悪くて仕方がない。大量のアルコールが消化しきれず、体の中に居座っていた。
 用を済ませて鏡を覗き込むと、化粧で隠し切れない程、顔が驚くほど白くなっていた。大分楽になったが、足元どころか体全体がふらついた。このままの顔で席に戻るのが憂鬱だ。
だが。
「大丈夫か?」
 素直に驚いてしまった。化粧室を出たところで、黒髪の青年が壁に背を付けて立っていたからだ。まさか、いるとは思わなかったので狼狽えてしまう。
「様子がおかしかったから、見に来てみたんだ」
「す、すみません。ちょっと気分が悪くなってしまって」
「悪かったな。あんたが結構飲めるんで、調子に乗って注ぎ過ぎてしまった」
 改めて聞くと、少し高めの声だ。淡々としているが、気遣うような言葉。自分の様子がおかしかったのが、彼は気付いていたようだ。スザンヌを心配してくれているらしく、その心が嬉しかった。
 体がぐらりと傾いた。足が震えて、そのまま前のめりに倒れそうになるスザンヌの体を、彼が片腕だけで抱き留めた。
「……ありがとう」
 支えていない方の手で首の後ろをかきながら、再び、悪かったな、と低く答える。
「……気分が悪いの。そう言って下さるなら、部屋まで、連れて行ってくれますか?」
「ああ」
 彼のよく鍛えた腕に支えられて、肩を借りながらスザンヌは歩き出す。みっともない所を見せてしまったが、彼の方から来てくれたのは好都合だった。

 使い慣れた最上階のスイートルーム。広々とした部屋には、ライトが薄暗く灯されている。
 靴を脱いでソファで身を休ませていると、サイドテーブルの脇で彼が何がしかを用意していた。白いポットから湧き出る湯気を、潤んだ視界がとらえた。酔いからか、それともベットルームで求る男性と二人きりという事実からか、頭と体の芯がぼうっと熱くなる。座っているが、一度背を預けてしまうと体に力が入らない。
「熱いから気をつけろ。酔いざましにはこれがいい」
 彼が用意してくれたのはハーブティーだった。清涼感溢れるミントとタイムの香り。彼の言う通り、酔いざましにはちょうどいい。スザンヌに手渡そうとカップを差し出し――
 彼女はカップではなく、その手を摑まえた。その拍子に、白いティーカップが滑り、絨毯の上に落ちる。
 ――欲しいのはそれではない。
「わたしが何をして欲しいか、わかっておいででしょう?」
 潤んだ瞳で、彼の意思の強そうなそれを見上げる。丹念に磨かれた黒曜石のように、一点の曇りもなく美しい。分厚い手のひらが暖かい。精悍で涼しげな美貌に、細身だけど鍛え抜かれた体。
彼は少しだけ目を細めて微笑し――軽々と、スザンヌを持ち上げた。一瞬だけ横抱きにされ、上質で柔らかな布団の上に落とされた。期待で体が熱くなり、息が荒くなる。目をつぶってその時を待った。
 視界が暗くても、彼の手が近づいてきているのが分かった。ベッドが軋む。スザンヌの身体を挟むように、彼が膝を付いているらしい。頬に、僅かに彼の手のひらの温度を感じる。さあ、早く、早く触れて――

 ――パン! と甲高く乾いた音が響いた。

「――え?」
 音に反応して、小さく声が漏れた。夢現を引き戻すかのような迫力があったのだ。
 頬を叩かれたのかと思ったが、痛みは全く感じない。薄く瞳を開く。見慣れた天上。ひいらぎ型に意匠を凝らしたシャンデリア。
 そして。
「こりゃ、素人にしちゃよく出来た魔術だな」
 一瞬のうちに、瞳が極限まで見開かれた。
 その声と姿に、頭の中が真っ白になった。目の前のものがあまりにも衝撃的過ぎて、体のだるさも、酔いも、全てどこかにいってしまった。
 そこにいたのは、彼の姿ではない。小柄な少女。くりくりした茶色の瞳に、可愛らしい顔立ち。
 男物の古着を着て、にっこりと楽しそうに笑っている。柔らかそうな頬の――
「どうもこんばんは。スザンヌ・ハミール夫人。先ほどはたらふく食わせてくれてありがとう」
 ――彼の仕事のパートナー。メリッサ・スティングスという名の少女。
「な、何で。何で、何で、あなたがここにいるのよ!」
「何でって。さっきから一緒にいたのは私だぞ?」
 スザンヌを支え、この部屋まで連れてきたのは、紛れもなくあの青年の姿形だったのだ。独特の、男性にしては少し高めの美声までそのままだったのだ。
しかし今の姿は。背丈や声どころか、性別すら違う。
 ベッドの上で、少女は馬乗りの姿勢で顔をスザンヌの鼻先まで近づけている。狂ったからくり人形のように、何であなたが、と繰り返すスザンヌに少女は問うてくる。
「見せかけの魔術って知ってる?」
スザンヌはほぼ反射的に、頭を細かく横に振った。趣味の延長で、少しは魔術のことを知ってはいる。だが、所詮は少しかじった程度で、目の前の少女や夫のように専門的に学んでみようと思ったことはない。
「まー、犬を猫に見せかける、とか。例えば誰かが誰かに見せかける、とか。銀貨なのに大量の金貨があるように見せる、とか。そういうことに使えるな。だから、一緒にいたのがあいつだと思ったあんたの認識は、間違いじゃないってことさ。術式には色々パターンはあるんだけど、面倒だから私があいつの姿形をそっくりそのまま纏っただけなんだけどね。あんたを完全に騙す為に、背丈顔立ち声質そのまま、ね」
 だから、スザンヌにとって、少女の説明なんてどうでもいい。どうせ理解できないし、理解したいとも思わない。何を得意げに話しているか、スザンヌは知りたくもない。
 ずっと一緒にいたと言っていた。手洗いから出てきて、肩を貸してくれたのも彼女で――
 つまり、この年端もいかぬ少女に、手の内を読まれてまんまと嵌められたのだ。
「あんたに三つ。あいつに関することを教えてあげるよ。一つ、あいつは酒に異様に強い。ワインボトル5つ開けて全く変わんないの見て驚いただろ。多分今頃、平気な顔で6本目開けてるよ。その二。あいつ、女性が苦手でね。今回だって私が言わなきゃこなかったよ。最後。これが一番の問題かな。あいつには生半可な魔術は効かないんだ。これも体質だな。なまじちょっと使える分、気の毒だったな」
 メリッサはスザンヌの胸元のペンダントに手を掛ける。淡い黄金の液体が入った瓶。蓋を外すと、甘い、林檎の香りが広がった。
「ストレートに普通の媚薬でも使えばよかったのに。自信満々にこんなの使ってきたのが間違いだったな。――これ、あんたが作ったんだろ?」
 古代マララッカ大陸では、林檎と無花果を混ぜた性愛の薬が流行していたという。林檎には性的興奮を促す効果があるともいう。ただ、薬にせよ果実そのものにせよ、口に入れなければ意味がない。しかしただ一つ、口内に入れずとも効果を発揮させられるものがある。それは、香りだ。
 スザンヌが利用したのは、人間の嗅覚だ。香水自体に魔術をかけて、口に入れずとも香りをかぐだけで媚薬相当の効果を発揮させる。
スザンヌは固まったままだ。少女はチェーンを外して、鼻で笑ってペンダントを投げ捨てる。瓶は割れなかったが、蓋は開けたままだったから、液体が床にこぼれた。
 少女が淹れた清冽なハーブティーと、スザンヌが作った豊満な色気を纏った薬が床の上で混ざり合う。
 目を細めて、口先だけで小ばかにしたように少女が笑った。
「……私があんたを襲いたくなってきたな。嘘だけど」
 見るからに軽蔑した顔。
その態度が、戸惑いで一杯だったスザンヌの頭に血を上らせた。
「こ、の、人でなし!」
 顔を赤くして怒鳴り散らす。目の前の少女の柔らかいそうな頬を引っ叩きたくなる。そのために右手を振りあげる。こんな小娘に馬鹿にされるなんて、恥の極みだった。
 結果的に、スザンヌの右手は少女を打ち据えられなかった。少女はすかさずスザンヌの手首を掴んでひねりあげる。背中まで押さえつけられて、ベッドの上で首だけで体を支える状態になる。少女らしからぬ力強さを感じ、身動きがまったく取れなくなった。
「誰が人でなしだ。私が人でなしだったら、あんたはただの、ろくでなしのビッチだろ」
 可愛らしい声で、少女が耳元でささやいた。口調は変わらずとも、その裏で憤りを募らせているのが分かる。ぎりぎりと腕と背中が締め付けられる。暴力に慣れていないスザンヌは、うめき声しか上げられなくなかった。
「まぁ、あんたの性生活なんてこっちだって見ていて楽しいもんじゃないし、どーだっていい。私としては、あんなはした金で人の相棒を買おうとしたことに対して謝ってほしいのと――、もう一つ」
「な、何よ」
 すっと、少女の手が離れる。自由になったスザンヌは、ベッドの淵まで逃げ込む。足が思うように動かない。腰が抜けてしまっていた。
「あんたの旦那。アントナン・ハミール教授を、私に紹介して欲しい。この国、私は初めてでね。知り合いがいないんだ。私がどういう身分かは、あんたは知ってるだろ?」
 メリッサは懐中時計を鼻先に突きつける。六つの星。それを旋回する焔をまとった伝説の鳥。魔術大国カルギアでも、両手で数えられるほどしか与えられない栄光。
――それに付随する実力。国家を背負う魔術師の一人。
 大陸最高の実力を持つ一人が、そこにいた。
 銀製の懐中時計は、彼女の地位と実力、そして名声を如実に示すものだ。だが、そんなものが無くても、目の前の少女は充分威圧的だ。自信に満ち満ちた口ぶりに、強い好奇心と探究心を宿した瞳。研鑽を積むことに至上の喜びを感じ、目的を達成するためならたとえ泥水を啜ろうとも厭わない目をしている。
「嫌よ」
 だが、スザンヌははっきりと拒絶した。他人から見れば自業自得の結果で、完全に逆ギレだ。だからと言っての少女に対して、簡単に、はい、と言えるはずもなかった。
「どうして私が、あなたにそんなことしないといけないの。大体、それだったら普通に頼めばよかったじゃない。こんな恥をかかせて。……私がそんなことをする義理はないわ」
 首を縦に振らないのは想定の範囲内だったのだろう。
「普通に頼んでもあんたが首を振らないだろうし。恥をかかせたって言われる筋合いもないよ。っていうか、旦那に相手にされないからこんな真似してるんだろ」
 その言葉に、スザンヌの頬が無意識に引きつった。聞き捨てならない言葉だったからだ。何ともない――何にも知らない顔をする少女と目があった。
「噂は色々聞いちゃったし。旦那が忙し過ぎて、一緒にいられないから拗ねてるだけだろ」
「そんなこと」
 言葉が止まる。そんなことない。分かったような口をきくなと言いたかった。
だが、言い切れなかった。
 結婚して5年になる。7歳も年の離れた夫の帰りはいつも遅かった。教授という肩書を持つ夫は研究室に籠りっきりで、家に帰っても疲れ果てて眠っているか、自宅の自室でやはり研究に明け暮れている。会話らしい会話もなく、冷え切った食卓を囲み、一人きりで長い夜を迎える。
 一人で家にいると、不意にこんな思いに駆られる。何故、あんな人と結婚したのだろうと。私は幸せになるために結婚したのではないかと。これは私ののぞんだ生活じゃない。どうして、どうして――
 どうしてあの人は、私の方を見てくれないのだろう。
 そう考えたら涙が出てきた。
 俯いて、その涙を隠す。こんな少女の前で涙なんて見せたくなかった。
「相手されないって拗ねるより、もっと旦那のこと知ってやれよ。嫌いじゃないんだろ?  研究に嫉妬するな。……私たちは、そういう生き物なんだから」
 呆れたように息を吐く音。
 何でそんなこと他人に、それも年端のいかない少女に言われなければならないんだろう。
 そういう生き物。それは、魔術で身を立てる人間のことを指しているのだろう。自分の限界。古代魔術の解明。未だ見えたことのない、未知の魔術の探索。そういったことを考えていないと、落ち着かない人間。
 初めて出会った頃を思い出す。眼鏡をかけた落ち着いた人。組んだ手の甲の、筋張ったところに先ず惹かれた。知識深く、当時は准教授だった彼が話す話題のほとんどが理解できなかった。誰かと付き合ったことがないみたいで、話が途切れると途端に申し訳なさそうな顔をつくる。そんなところに心の底から尊敬の念を抱き、そんな不器用さを支えていきたいと思った。
 ――嫌いなわけじゃない。当たり前だ。あの人は何も変わっていないのだから。
 ただ、悲しくて寂しくて仕方がなかった。
 少女は懐からメモ帳と万年筆を取り出す。かすかなインクの匂い。ペン先が流暢に動く音。びりっと破かれる気配。――それを差し出す、少女の手。紙に綴られるのは、年不相応に社会慣れした、几帳面で読みやすい文字。
「気が向いたらここに連絡してくれ。じゃ、期待して待ってるよ」
「……やっぱり嫌だと言ったら?」
「私はハミール教授に近づく最短の方法だと思って、こうやってあんたと話してるんだ。どうしても嫌だったら無理に言わない。別の方法で教授に近づくよ。でも……、私が、あんたが私の相棒にやろうとしたことを許していないっていうぐらいは、覚えていてもらいたいね。あんたの所業の一端をうっかりどこかで話してしまうかもしれない。」
 これ以上なにも話すことはないと言わんばかりに、少女はベッドから飛び降りて、スザンヌに背を向ける。
それは明らかに、スザンヌに残された道はただ一つだという宣告だった。
「……ねぇ」
 立ち去ろうとする少女の背中に呼びかける。
 この少女と、何かを競おうとしたわけではない。だけど、あの青年を見止め、求めた瞬間から、少女との勝負の場に立つことを余儀なくされた。年齢。財布の中身。容姿。どんな化粧をしているか。スザンヌの感情と、少女の暴力的な好奇心が、あらゆる要素ともてる限りのものでぶつかっただけ。
 そして、目の前の少女に勝てるものが、何一つなかった。
 策を弄して、あっさり読まれて返り討ちにされて。最終的には諭されて。惨めなことこの上ない。
 それでも何か言ってやらないと気がすまなかった。このまま、ただ夫に紹介する気なんて毛頭ない。
 ――せめてその自信に満ちた顔が、少しでも崩れるまでは。
「あなたは、あの人に愛を持って触れてほしいとか、抱きしめて欲しいとか思ったりはしない?」
 少女は背中はそのままに、ゆっくりと顔だけで振り向いた。
「……何でそんなこと聞くんだ?」
 ぱちぱちと、少女が瞬きをした。
 少女は、心底意味が分からないという風に首をかしげた。それを聞かれる意味が分からないのではなく、その言葉の意味が分からないらしい。無垢で、あどけなくて、何も知らない――つまり、子どもの顔だった。
 暗い勝利感で胸が満たされていく。甘美なる芳香が漂う中、暗い顔で、その子どもに向かって一言を言い放った。

 *

 メリッサが何もなかったような顔でテーブルに戻ると、相棒の青年は6本目どころか7本目のワインを開けていた。
思わず、顔をしかめてしまう。
「……まだ飲んでたのかよ」
「何があろうと、飲める時には飲むのが俺の主義だ。大体、酒飲んでるだけであとは何もしなくていいっつったのはお前だろ」
「まぁ、それはそうなんだけど」
「だったら問題ない。……そろそろこれも取っていいな」
 そう言ってグラスに残ったワインを一気に飲み、右耳に指を突っ込む。女性がいた方の耳に、耳栓をつけていたのだ。答えた方がいいような質問やら会話などを聞き逃さない為に、左耳はそのままに。耳栓は、それ以上の無駄な話を流すためだ。
 これだもんなぁ、と心の中だけで少女はつぶやく。あれだけ嫌がっていたのに、いざ食事になると手が止まらなくなるのだから。
 何もしなくてもいい、と確かに言った。それどころか、とりあえず自分のペースで酒でも飲んで、たまに相手に酒でも注いでやれと言ったのだ。そして今現在も、涼しい顔で飲酒を愉しんでいる。改めてみると、鯨飲とはこういうことを表わすのかとメリッサは妙に感心してしまった。
 そう言ったのは、相手の女性もそれなりに酒が飲めると踏んだからだ。これは数時間前マダム達から仕入れた情報で、ジオ自身も5回以上シャンパングラスを渡したと言っていた。場所をこんな高級ホテルにしたのも、酔った相手を襲ってノックダウンさせるつもりだったのだろう。部屋さえ取っておけば、その後は押して知るべし。
「話はついたのか?」
「おかげ様でね」
「どうせ今回の事をダシにして脅したんだろ」
「あ、やっぱり分かる?」
 だからジオに、相手が自分と同じペースで、同じぐらいの量を飲ませるようにさせたのだ。空けられたボトルから示されているように、彼は相当に酒に強い。同じぐらい飲める人間なんて、そうそういない。そうして逆に彼女を酔い潰したところで、メリッサの出番というわけだ。魔術で作った媚薬まで仕込んでいるのには少しだけ感心したが、結果は、「穏便に」話が進んで、たらふく美味い飯が食えて、ついでに貰った金は無事。万々歳だ。
 食べる前だったデザートをつつきだした。アイスが溶けて、綺麗に盛られた果物やワッフルが台無しになっている。メリッサは即座に、皿の交換を頼んだ。
「ハミール様はお休みで?」
「うん。気分が悪くなっちゃったみたい。代金は彼女が払ってくれるって。これ食ったら、私らは帰るから」
 デザートを持ってくる際、給仕が余計なことを聞いてくる。
 今頃彼女はどうしているだろうかと考えるが、まぁどうでもいい。これに懲りて火遊びをやめようが、それともさらにのめり込もうが彼女の勝手だ。それよりも、テーブルの下に転がっている酒瓶を見て、この分の代金を払う方が気の毒に思えてくる。勿論、そんな心情はともかくとして、メリッサは払う気がない。彼女自身の責任だ。
 それでも彼女が最後に放った言葉は、何となくは気にはなった。
 満足げに飲酒を嗜んでいるジオの姿を見ているうちに、その理由――メリッサがハミール夫人の相手をせざるを得なくなった直接の原因――を、猛烈に知りたくなった。
「……そういや今まで聞かなかったけど、お前、何でそんなに女が駄目なんだ? そんなんじゃ生きてけないだろ。だって、世界の半分は女で成り立ってるんだぞ?」
 傭兵。そんな経歴の割に読書好きで教養深い。結構な美青年。黒髪黒目。胡桃のパンと甲殻類を使ったスープが好物。人をからかうのが大好きで、意味のない意地悪が大得意。剣の腕は超人級。
 そんな彼の最大の弱点が女性なのだが、その理由をメリッサは知らない。普段のジオは、切羽詰まったところを滅多に見せなくて、常に人を外側から観察していて、粗暴な口調の割に不思議と物腰が優雅だったりする。そんな彼を狼狽させるものと言えば、これまで共に過ごした中では常に女という生き物だった。理由についてメリッサは知ろうとしなかったし、彼も固く閉ざして「それ以上聞いてくれるな」という空気をはっきりと全身から醸し出していた。
「……ここだけの話だけどな」
 酒が入って口が軽くなったのか、今まで閉じていた鍵を簡単に開いた。顔も変わっておらず、口調も全く普通。一部始終を見ていなければ、全くの素面だと誤解するかもしれない。
グラスに入った赤い大地の液体を水平にしてじっと見つめる。
 大地の先の、遠くの景色を見るように。
「昔、傭兵になる前の俺は北の大帝国ミレトスの貴族の三男坊で、同い年の婚約者がいた。親父はクソ真面目で、上の兄貴は優秀で、下の兄貴は意味わからん奴だったな。少し年の離れた妹もいて、そいつはちょっとお前に似ているな。それなりの豪邸で、年かさの執事もいた。確かウィリアムって名前だった。だが、まぁ、ある日ある時ある事情で殺されそうになってな。親父に恨みを持つ奴がいたらしい。その時、俺を殺そうとして、部屋に忍び込んだのが」
「金髪で巻き毛のグラマラスな美女だった、とか?」
 ジオの言葉尻を、メリッサが繋ぐ。
 金髪で豊満な体付きの女性は、彼が一等苦手とする部類だ。そう聞いてはみたが、メリッサは、まさか、そんなありきたりなことはあるまいと思っている。注いだワインを一気に飲み干して、彼はメリッサの問いに答えた。
「大当たりだ。ついでに言えば俺は寝る前でその女は俺の寝込みを襲ったわけだな。さっきお前があの女にやろうとしたのと似たような感じだ。……これで納得してくれたか?」
 そんなことを言いながら、グラスに7本目のボトルの、最後の一滴までなみなみと注ぐ。恥と重苦しさのある話を、「ちょっと洗濯物干さないとな」みたいな軽い口で話した。
 しばしその話を吟味して、メリッサは盛大に噴出した。
 この話は多分、彼が得意とする嘘八百だろう。北のミレトス帝国は、貴族制度が根強く残る。貴族の坊ちゃんが父親の怨恨がらみで殺されかけるのは、有り得なくはない話だ。それに、ジオを見ていると、食事の作法やら教養やら育ちの良さが伺える時もある。
 だが、よどみなく語る彼の口ぶりからは、設定から登場人物まであまりにも出来過ぎていて、逆にこの問いの為に作った即席の嘘にしか聞こえない。随分よく出来た話で――彼らしい悪ふざけだ。
「お前も本の読み過ぎで、ついに物語を語りだすようになったんだな。でも、面白かったからそういうことにしといてやるよ」
 ジオも、メリッサの反応に対して、穏やかに目を細めるだけだった。
「お前がそういうことでいいんだったら、そういうことにしといてくれ」
 と、適当に言うのだった。
 答えに満足をしたメリッサは、デザートの征服にとりかかる。
 幸せそうに甘いものを頬張る彼女の横で、ジオは、本当なんだがな、と、相棒には聞こえないぐらいの声で小さくつぶやいた。
 窓の外には、二つの月。それらは寄り添いながら、煌々と地上を照らしていた。



(つづく)


 

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