シュークリーム・フェスタ



 秋も深まり、そろそろ冬になろうというある一日だった。
 居間のガラス窓から見えるのは、僕が手入れをしている庭だ。季節のせいか、全体的に茶色くなっている。枯葉がはらはらと落ちていく。明日の朝は掃除しないとな、と思っていた時だった。
「ロイ。明日、シュークリーム作れ」
 黒猫の姿をした、僕の師匠はそうのたまった。
 僕は師匠の言葉を、本を読むという行動でさらりと受け流した。今日の本は数学だった。師匠曰く、数式は覚えるだけではなく、理解しなければ魔法として成立しない。数式は術者の正確な知識を求める。だから確実に覚えろ、ということらしい。
「明日の私は、きっとシュークリームが食いたい気分だ」
 ああ、それにしても微分積分って一体何なんだ。僕にはまだ理解できそうにない。この本が難解なのか、それとも僕が数学に対して苦手意識を抱いているのか。あ、そう言えば、微分積分は、ハイスクールで習うものだった。それでは僕が理解できないのも無理がない。
「シュークリーム」
 ………。
「シュークリーム」
 ………。
「シュークリーム」
 ……もう無視できない。あまりにもシュークリームシュークリームうるさいので、
「……何でいきなりシュークリームなんですか」
 とりあえずシュークリームであることから聞いてみた。
「女性はな、ロイ。際限なく甘いものを求める生物なんだ」
 言葉の内容と相反した、甘さのかけらもない、アルトの声で師匠は言う。
 それは師匠だけですと突っ込みたくなった。いくら女性が男性よりも比較的、甘いものが好きでも(一般女性よりも甘い物好きな男性もいるだろうが)、師匠ほどはないでしょうに。世の中の、甘いもの嫌いの人間から、「甘いもの大好き! 食べたい!」という欲望を吸い取って、自分のものにしているような人間が、何を言ってるんですか。
師匠の目の前には、まず、透明なガラス製のティーポット。今日の中身は、シナモンが入ったロイヤルミルクティーだった。そして……
 マカロンと、ふわふわなメレンゲ菓子と、動物をかたどったキャンディの瓶詰が、師匠が座っている猫足付きの椅子に、せまそうに転がっている。朝、すべての中身を一杯にしたはずなのに、もう半分以上が無くなっている。早すぎです、師匠。
テーブルの上には、生クリームがたっぷり添えられたガトー・クラシックに、飾りミントが小さく踊る桃のムース。小腹が減った菓子だけじゃ足りん何か作れと言って僕に作らせた、木苺ジャムとスモークチキンのサンドイッチ。……が、あったのだ。ついさっきまでは。
 今の師匠はそれらをすべて完食し、ティーカップの取っ手を細い尻尾で器用につかみ、ミルクティーを楽しんでいた。猫の姿だからと言って、猫舌というわけではない。
 不意に、カップをソーサーに戻した。尻尾の先が、テーブルを、三回叩く。
 ガトー・クラシックが置かれていた皿に、突如として茶色くて丸いお菓子が現れた。トリュフか、チョコレートボンボンの、どっちか。
 ちなみに二回で自動的にポットからお茶が注がれ、四回でスコーンが登場する。同じ三回でも不規則拍子だと、マドレーヌだ。尻尾によるお菓子出現の魔法は、自由自在だ。
 尻尾でトリュフ(ボンボン?)を掴んで、口に放り込む。そのしぐさが、ゾウが自分の鼻でリンゴを食べる動作に、ちょっと似ていた。勿論そんな事は、思っても言わない。後が怖いから。
 もごもごと、チョコレート菓子を咀嚼する。
「ロイ、明日は何日だ?」
 頭の中でカレンダーを広げる。ええっと今日は確か……
「十一の月、五日ですけど」
「そうだ。だから、シュークリーム作れ」
 ええっと、意味わかんないんですけど。
「作り方、知らんわけじゃないだろ?」
 確かに知っていますけど。それ、誰のせいだと思っているんですか。師匠が毎日毎日菓子を作らせるからでしょう。
 渋る僕の顔を、師匠の黒い瞳がのぞきこんだ。人間でいうところの、眉間にしわを寄せて、ちょっと疑う感じ。……さらに言うと、僕の無知を疑っているようだった。
「明日から、何の日か知らないのか?」
「明日……ですか?」
「そう、明日だ。明日は素晴らしい日だぞ。だから、シュークリーム作れ」
「いや、だから、明日って、何の日ですか?」
 明日。僕の誕生日はとっくに過ぎて、師匠の誕生日は知らないし(極秘だから)。……何かあったっけ? 燃えるゴミの日しか、思いつかない。
 そんな様子の僕に、師匠はどうやら呆れてしまったらしい。それはそれは深いため息をついた。居ずまいを正して、睫毛に影を落とす。同時に一言つぶやく。明日が待ち遠しい、と。
 黄色い銀杏の葉が、はらはらと落ちていく。地面に落ちた枯葉のように、ため息をついたかと思ったら、師匠の意識は滑り落ちていた。安定した寝息が僕の耳に届く。首についた金色の十字架がガラスのドアから差し込んでいる、落ち始めている日の光で反射した。
……明日は一体、何の日? 明日から、一体なにが始まるんだ?

 ◆

 師匠のドールハウスに来て、半年になる。
 亡くなった父親の遺言で、父の盟友であり親友であったという女性の元に転がり込んだ。その女性こそが僕の魔法の師匠、ニーナ・ヴァルトシュテインだ。父は「あいつはすげぇ魔法使いだ!」と生前、結構言っていたけど、確かに一緒に暮らすと師匠の凄さを実感させられる。師匠が得意とする変身魔法なんかは、僕には夢の夢のまた夢だ。……それよりも凄いのが、素晴らしいほどのダラけ具合と、一日当たりの糖分摂取量だと思うのは、内緒。
 そういうわけで僕は、師匠に馬車馬のようにコキ使われながら魔法の修業に励み、ドールハウスでの生活にも、まるで今までここにずっと住んできたかのように馴染んでいるところだった。

 明日の朝の食料がないので、日が完全に暮れる前に、シュークリームの材料を買いがてら麓の町に降りた。結局どうして師匠がシュークリームにこだわるのか、明日が何の日かわからないまま、シュークリームづくりを引き受けてしまった。
 麓の町は、カリスという。人口は、およそ一万行くか行かないかの小さい町だ。他に隣接している町はなく、周りは山で囲まれている。他の町に行きたい時は、石炭自動車で山を越えるか、外れにある駅に行く。駅はカリスの町の、玄関口ともいえた。町の中心には噴水がある広場があり、その正面に一番高い建物の、尖塔型の時計台がそびえ立っていた。
山の中腹にある、庭付きの師匠の家は、外界から閉ざされた、カントリーが趣味の隠居したおばあさんのような、人間的な暖かみがある、作られたドールハウスだった。訪れる人間も滅多にいないし、その逆もしかりで、師匠は町にあまり降りようともしていない。
町の人は、師匠の事を「山奥に住んでいる、変わった魔法使いのお嬢さん」という認識をしているらしい。たまにふらりと下山しては、食料を注文し、大量のお菓子を手に山に戻っていく。あまり人とは話さないけど、目立つから何となく有名になっている。だから、町の人から認知されている。
――だから、以前はそれなりに町に降りていたのだ。それがどうやら僕が来てから、下界の用事はすべて僕に押し付けるようになった。そして、完璧に黒猫の姿で優雅な引きこもりニート、いや、隠居生活を謳歌している。師匠が外に出る時といえば、たまの夕飯後の散歩ぐらいだ。
凄腕の魔法使いらしいが、普段は黒猫。
目を見張るぐらいの怠惰っぷりと、何時も自信たっぷりで、ひと使いが荒い、気まぐれな気性。
お菓子と花に囲まれた人形の家で、魔法一つで気ままに暮らす。
僕の師匠、ニーナ・ヴァルトシュテインはそんな魔法使いだ。

薄暗く染まった町並みに、淡いランプ灯がともった。石畳の地面に、靴を蹴る音が響く。それがいくつも重なって、ひたすら叩くだけの、意図不明な音楽が完成していた。
 ここ数日、町に行かなかったが、数日前とは明らかに全体の様子が違った。人通りが多いのもさることながら、何だか町全体が浮き足たっているような気がした。嵐とかお祭りとか、何か楽しいこととかが起こる前の、ワクワクした感じ。路のあちこちに、中身がくりぬかれた南瓜が転がっていた。
 僕は楽しそうな人々と転がった南瓜を横目で見ながら、買い物を済ませていった。肉に、小麦粉に、それから、シュークリームの材料に。
 帰ろうと思ったところで、マカロンのストックが付きかけている事に気がついた。メレンゲ菓子とキャンディはまだ余裕があるけど、マカロンの底が尽きると、師匠は比喩ではなく僕の頭上に雷かタライを落とす。師匠にとって、マカロンはあって当たり前の食品らしいのだ。僕より地位が高い。
 ……買いに行かねば。タライを落とされる前に。

「あら、ロイ君。いらっしゃい」
 店に入った僕を、パッと咲く大輪の花のような笑顔が迎えてくれた。この店の一人娘、愛嬌とちょっと癖のある金髪が特徴の、同い年のラウラだった。店柄、彼女はいつも卵と砂糖の匂いを纏わせている。師匠の元で暮らして数カ月、まともに関わるのが師匠だけだからか、ラウラの笑顔を見るとちょっと落ち着く。
 ラウラと師匠は、友人の間柄だ。町で唯一の、と言っていい。僕が来る前は、よくこの店でお菓子を買っていたそうだ。「町で菓子を買うならこの店で」と言われている。確かに、舌の厳しい師匠が太鼓判を押すだけのことはあって、ラウラの店の菓子は、美味しい。
「アーモンドトリュフを一箱。それからマカロン二瓶」
「ニーナさんのお使い?」
「まぁ、そんな感じです」
「明日、シュークリーム、作るんでしょ?」
 マカロンを瓶詰めしながら、ラウラ。ぽかんとして、馬鹿みたいな顔をしている僕の顔が、ガラスのショウケースに映っている。ラウラはそんな僕を見て、呆れたように溜息をついた。
「何、呆然としてんの。わかるわよ、荷物みれば。バニラビーンズとリキュール、見えてるわよ。それにだって、明日から秋祭りでしょ?」
「秋祭り?」
 首をひねる。
「そうよ。明日から、秋祭りなの」
「そうなんですか」
 祭りとは、それは初耳だった。理解の息を漏らす。道理でいつもと雰囲気が違うと思った。……だけど。
「その祭りにシュークリームって、何か重要なんですか? 別のお菓子じゃ駄目なんですか?」
「何言ってんの! 重要よ!」
 ばん! と思いっきりケーキのショウケースを叩いたので、僕はびっくりして眼を丸くした。ラウラは僕の無知を嘆くというよりも、知らない事に対して驚いているようだった。
 師匠の家に来てから、初めて迎える秋だ。思えば、この辺の行事や伝統のことなんて、全く知らないのだ。
 その旨を話すと、ラウラはいきなり大声を出したことに対しての謝罪に、早口で説明し始めた。
「いい、ロイ君。秋はお菓子が美味しい季節でしょ? それで、この町はね、秋祭りといえば、シュークリームなの。わかる? わかるよね? いいからわかりなさい!」
 全然、何が何だかわかんなかったけど、勢いに気圧されて、僕はひたすら首を縦に振った。ラウラはそれに満足すると、
「じゃあ、明日。美味しいシュークリームを沢山作ってくるんだよ」
 にっこりと笑って、菓子を包んだ紙バックを僕に渡してきた。僕は曖昧な笑みを浮かべながら、お金を払って店を出た。
 きっと僕の頭の上には、盛大なはてなマークが浮かんでいたに違いない。
 明日から、秋祭りがあるらしい。それはわかった。
 しかし、
 一体どんな祭り?
 そして、シュークリームは、一体、何なんだ。
 ごめんラウラ。あの説明だと、全然わかんないです。

 ◆

 早朝に燃えるゴミを出して、庭の枯葉を掃除して、ひと通りの午前の用事を済ませた後、シュークリーム作りに取りかった。
 シュークリームで気をつけなくてはいけないのは、外のシュー生地を潰さないことだ。その為には温度調節と、一グラムも分量を間違えてはいけない。また、卵を生地に入れる時も、様子を見ながらデリケートに入れることが大切。シュー生地は、繊細に作らなければならないのだ。
 カスタードはシンプルに作りたい。あまりリキュールを入れすぎると、酒の匂いと味が主張して、卵の甘さが消えてバランスが悪くなってしまうから。
 作りながら、ラウラが昨日言った、沢山持ってきてね、という台詞が気になった。意味がわからないけど、とりあえずシュークリームは今日の秋祭りに重要な役割を果たすらしい。師匠とラウラに言われたとおり、たくさん作ることにする。
 キッチンからは居間が丸見えだ。だけど今、師匠の影はない。庭に出ているのだ。その内、草の匂いと抜けた雑草を全身に絡ませて帰ってくるだろう。
 しばらくシュークリーム作りに熱中する。
 牛乳を煮る音と、泡だて器とボウルが当たる音が、静まり切った空間に無機質に響き渡る。
 ……。………。
 凄い勢いで、視線を感じる。目線がレーザービームとなって、僕に突き刺さる。
 いつの間にか戻ってきた師匠が、じいぃっと、僕、ではなく、僕がいじっているカスタードの作りかけを凝視していた。
「師匠、言い辛いんですが、とっても作り辛いです」
 それでも師匠は、眺めるのをやめない。
 ……。………。
「ロイ」
「つまみ食いは駄目です」
 すかさず答える僕の耳に、ちっと舌打ちする音が聞こえた。

 午後、アフタヌーンティーを摂った師匠は、いつものように椅子で昼寝、をするのではなかった。自室であろうが、猫の足で、どこかに消えていく。
 シュークリームは師匠が消えている間に完成した。普通のだけではつまらないので、ちょっと遊んでみた。
 日が暮れそうな時間になった頃、師匠は姿を現した。ちょうどカスタードをすべてシュー生地の中に入れ終わったところだった。
 二時間ぶりぐらいに姿を現した師匠に、僕は眼を大きく見ひらいた。
「出かけるから、準備しろ」
「さぁって……どこにですか?」
「町に決まっているだろ」
 師匠はいつもの猫の姿……ではなく、本来の姿である、人間の姿に戻っていたのだ。
 腰まで届く、真っ直ぐな黒い髪。白い陶器のようなきめの細かい肌。華奢といえば聞こえはいいが、全体的に小さいつくりの体。大体、見た目は十二、三歳ぐらい。その体年齢と反比例している、知性と静けさをたたえた大きい黒い瞳。ちょっと生意気なお嬢様といった感じの顔のつくりは、嫌味じゃなく師匠の高慢な魅力を引き出している。
 人間の姿に戻った師匠は、誰が見ても文句なく美少女だ。久しぶりに見た。弟子入りを許してくれた時が、最初で、その時以来だった。
「……今日は猫じゃないんですね」
「猫だと、誰もお菓子くれないからな」
 僕にまだ理解できない事を言う。
 師匠は手に、木の籠を持っていた。そして、お菓子の棚から、中身を取り出し始める。クッキーを、紙に包んだチョコレートボンボンを、犬の形の飴玉を、次々に籠の中に入れていく。
「お前はシュークリーム持ってくんだぞ」
 よく分からないまま、出来たてのシュークリームを、師匠から投げ渡された、別の木の籠に入れていく。
 さぁ家を出ようとしたとき、意味不明が溜まり過ぎたので、耐え切れずに聞いてみた。
「あの、師匠」
「なんだ、うるさい奴め」
「今日って、何の日ですか? ラウラが秋祭りだってことは教えてくれたんですけど、一体、何が何だかわかりません」
 ああ、そう言えばお前初めてだったよな。それを、ここに至って師匠は気付いたようだった。
「お菓子の謝肉祭」
 はじめて聞く単語だ。
「私が勝手につけた、秋祭の別名だ。一言でいえばな、今日は、公然と人に菓子をたかれる、素晴らしい日だ。町の奴に菓子くれって言ってみろ。心よくタダでくれるぞ」
 カリスの町の、秋祭り。
師匠的な別名、お菓子の謝肉祭。
もっと師匠的に言えば、お菓子ちょうだいの日。
……師匠が楽しみにしていた理由が、この一言ですべて分かった。

 ◆

 名前も知らない木々が紅葉している。遠くの山は薄闇に隠れ、空と地上の境目あたりにオレンジ色の球体が、温かみのある色でもって沈もうとしていた。闇に消えようとしているのに、その存在感は圧倒的だった。冷たい風がどこからともなく吹いている。秋も、そろそろ終わりに近づいている。山に囲まれたこの地方の冬は、一体どうなるのだろう。
「何も知らないロイ君に、丁寧に教えてあげると」
 師匠は僕の二メートル先を、一定のペースで歩いている。歩幅は小さいけど、どこか浮き足立っていた。
「昔から、この辺の地方だけではないが、本格的に冬が始まる十一の月の中旬に、魔を祓うための祭りがあった。これから春になるまで、病気にならない様に祈願するものだった。もともと、冬になると、病気の元となる悪魔やら悪い精霊やらが、活発に動き出すからな」
 師匠は滔々と語りだした。それは恐らく、今日のこの祭りの由来なのだろう。
「今から約二〇〇年前、この、カリスの町で原因不明の病が流行った。それは厄介なもので、酷いと死に至るものだった。町の人口の三分の一が亡くなった頃、一人の旅人がふらりとやってきた。魔法が使えて、猫耳帽子を被っていて服装が奇抜な、随分と風変りな旅人だったみたいだ。それで、町に病が流行ったと知った旅人は、町から出ずに、ある患者の元を訪れた」
 猫耳帽子、っていう点がものすごく気になった。
 久しぶりに見る師匠の恰好を見て、忘れていたけど結構お洒落だったなぁと思いいたる。
上品な絹のブラウスに、ギンガムチェックで控えめにフリルのついた、丈が膝より上のスカート。黒いタイツ。スカートはパニエによってふんわり膨らんでいる。白と黒のリボンの、ヘッドドレス。ちょっとだけ厚底の靴。暖かそうな、黒いケープをブラウスの上から羽織っている。その下で、トレードマークの金の十字架が光っているのだろう。
「患者の容体を見た旅人は、ほとんど直感的に原因がわかったらしいな。薬草を集めて、すぐに特効薬の作成にとりかかった」
 ここまで聞いて、流石にないだろうと思う一つの案を言ってみた。
「その特効薬の形が、シュークリームだったんですか?」
「馬鹿者。そんなわけあるか」
 一蹴される。……ですよね。
 師匠は続ける。
「特効薬は成功で、町中に広まった。みるみるうちに、一人、二人、四人と治っていき、ついには全員が完治した。町人は旅人に感謝し、大層温かくもてなした」
 暗記した文章を、何事もないように読み上げている感じの口調。まるで二百年前の、当事者のようにすらすらと。
「旅人は町を去る間際、こう言った『病気が治ってよかったですね。僕はこれで消えますけど、あなたたちがこれからも健康でいられるように、精一杯の祝福を贈りたいと思います』。そうして鞄の中から、石を取り出して、天に投げ込んだ。数秒ののち、天から妙なものが、雪の如く降ってきた。ふわふわとして軽いそれには、中にはクリームがつまっていた。驚いた人々が、恐る恐る食べてみると、それは甘く口の中で溶けて、体の内側から活力が湧いて出てくるような錯覚を覚えたという」
「凄い魔法使いですね」
「私には及ばないがな」
 でた、師匠の自信過剰。
「このカリスの町の秋祭りは、この辺一帯の秋祭りとは趣向が違う。町を救った旅人に畏敬を込めて、ただの祈願するための祭りではなく、菓子を交換しあうことで互いに祝福し、共に厳しい冬を乗り越えようという意味合いになった。交換するものがシュークリームなのは」
「旅人が降らせた菓子が、シュークリームに似ていたから」
 流石にそこは分かる。
「言葉は「お菓子」だがな。シュークリームだと語呂が悪いから。今のような形態になったのも、ここ四半世紀のことらしいがな。」
 師匠の家から町までは、一本道だ。曲がりくねった道を道なりに進むと、見なれたレンガ造りの建物群が現れる。歩くうちに、太陽の姿はすっかり闇に溶けてしまった。この歩道には明かりがない。一寸先も、見づらくなっていた。
 師匠がぴた、と歩く足を止めた。あと半分ぐらいの距離の地点だった。行き先を指で差す。
 カリスの町の夜景だった。同じ色の明かりが、点々と町を彩る。闇に沈んだ中で、ゆらゆらと揺れる蛍のようだった。
「綺麗ですね」
「あの明かりは南瓜だ。祭りの期間、街灯ではなく、南瓜が灯る。南瓜は魔除けの道具だからな。新しく変えつつも、昔の名残が残っているというわけさ」
 立ち止まったことにより、僕と師匠は横に並んでいた。そうして、僕の顔をしげしげと眺めていた。
 背のびをして、掌を僕の頭に乗せる。数秒置いて、師匠は口の端を軽くゆがめた。これでよし、と小さく呟く。
 師匠は手を離して、僕に背を向けて先を歩く。何がよしなのだか、聞いても答えてくれないように思えた。
 ◆

「ニーナさん、お久しぶりです! ロイ君、お菓子ちょうだい!」
 町にたどり着いた僕たちを迎えたのは、満面の笑みを浮かべたラウラだった。
 僕は自分の籠の中から、シュークリームを一個取り出して、彼女にわたす。最初の一個だ。
「ありがとう。白鳥の形だぁ!」
 シュークリームを作る時、ちょっとした遊び心を入れてみた。ただのシュー生地にするだけではなく、変形させて白鳥にして焼いてみたのだ。そのスワン・シューが五個ほど。それから、カスタードではなく、抹茶とチョコレートとコーヒー味の変り種が、一〇個ほど。スタンダードなカスタードが、一五個ほど。合計三〇個なり。全部小さめに作った。
 一夜にして、町は祭りの化粧をしていた。昨日転がっていた中身なし南瓜が、見事に明かりの役割を果たしている。南瓜の内側から発せられる明かりは、ぼんやりと優しい色をしていた。人がごっちゃに入り混じる。ほぼ全員、籠の中に溢れんばかりのシュークリームを入れている。見なれたレンガの家並みや市場が、南瓜灯に照らされているせいからか、何時もと違う、別空間のように映った。そして……。
「ところでラウラ、気になることがあるんですけど……」
「え、なあに?」
「その恰好は、一体、何ですか? あと何か、みんな変じゃないですか?」
 一言でいえば、仮装だった。……どこからどう見ても、立派なビーグル犬の、着ぐるみ。
 ラウラや町の人が着ているのは、動物のきぐるみだった。ワニやら猫やら、犬やらウサギやら。それぞれが思い思いの動物のきぐるみを着て、やはり手には木の籠に、山盛りになったシュークリーム。
「この祭りはね、みんな着ぐるみを着るの。ていうか、着ぐるみ着てお菓子をせがむのが、恒例なの。昔の、町を救った魔法使いが、猫の帽子の妙な人だったらしいから、そこから」
 じゃあ僕も、何か着ぐるみ着た方がいいのだろうか。この場では、普通の服を着ている僕やちょっとお洒落をした師匠が、明らかに浮いていた。
「大丈夫だよ。仮装じゃないけど、ロイ君だって可愛い帽子被ってるじゃない」
 ラウラが素っ頓狂なフォローを入れる。
 帽子? 帽子は、愛用している白のニット帽だ。だから変ではない筈。しかし目の前のラウラは、おかしそうに笑っている。そんなにおかしいものじゃ、ないと思うんだけど。
 あまりにも気になるので、帽子を取ってみると、
「………ししょお………」
嗚呼、僕のニット帽が。お気に入りのニット帽が……!シンプルなデザインが、好きだったのに。好きだったのに……!
猫耳がついた変な帽子に様変わりしていた。
ご丁寧に、猫の顔までついている。黒い円が二個ついているだけの適当な感じなのに、ちょっと可愛いのが何か腹立たしい。ずいぶんと芸が凝っていて、後ろにはしっぽまでついている。
僕は師匠を、半泣きでじろりと睨んだ。
「……弟子の帽子を勝手に変えないで下さいよ」
 行く途中、止まった時に師匠が僕の頭に手を乗せたこと。
 あれは僕の帽子を、変形させるための魔法だったのだ。
 憐れ、すっかり面変わりしてしまった僕の帽子。そして、全然気がつかなかった。文字通り、音もなく変化してしまったのだ。
 固まっている僕の手から、師匠は帽子を奪い取り、
「似合ってるぞ、ロイ」
「そうよ。猫耳帽子だと、町を救った魔法使いみたいでかっこいいよ」
 師匠がちょっと背伸びをして、頭の上にかぶせた。眼を細めて、口の端を少しだけ釣り上げる。その師匠の顔は、全く悪びれてもいず、楽しそうだった。師匠の言葉で、再びラウラがけらけら笑いだす。
 ……反論する気が、失せてしまった。あまりにも師匠が、楽しそうだったから。

 籠の中のシュークリームは、順調になくなっていった。僕の先をゆく師匠は、すべての通りすがる人にお菓子、いや、シュークリームをせがんでいる。逆にせがまれた時は、心底渡したくなさそうにチョコボンボンの包みを数個、相手のてのひらに乗せていた。
 ラウラによると、他のお菓子は、シュークリームがなくなった時にあげるものらしい。「ごめんね、もうシュークリーム終わっちゃったの。でも、代わりにこれあげる」……こんな感じの意味。……終わるも何も、師匠は一個も持ってない。人に配るのは僕が担当で、自分は心おきなく食い放題ということか。我が師匠ながら、あっ晴れだ。
「この祭りって、何時まで続くの?」
 ラウラも師匠も、『明日から』と言っていた。ということは、今日が始まりで、しばらく続くと考えておかしくない。ラウラは僕の問いに、左手を広げることで答えてくれた。五日、続くみたいだ。
「でも、シュークリームあげたり着ぐるみ着てみんなで騒ぐのは、初日だけ。後の日は、「お菓子ちょうだい」って言われたらクッキーとか飴とか、簡単なお菓子をあげるの。で、最終日の夜は、家庭で静かに御飯を食べる。これが全体の流れ。……ところでロイ君、シュークリームあと何個残ってる?」
「ええっと……七個です」
 正確にはスワンが一個、スタンダードが五個、抹茶が一個だ。スワンはいろんな人に受けが良くてびっくりした。
「よかった。じゃあ、カスタードを一個は残しておくんだよ。ニーナさんがきっと使うから」
「師匠が?」
 食べる、ではなく、使う?
「ええ。きっとびっくりすると思う。広場で、ニーナさんによるサプライズがあるの。誰もニーナさんってこと、知らないけど、数年に一回、気まぐれにやってくれるの」
 当の本人は、本日何個目かわからないシュークリームをほおばっている。

 噴水を中心にした広場には、なるほど人がたくさん集まっている。簡単な余興をやっていたのだ。ギターの伴奏に、カンテの、うまくはないけど気持ちよさそうな声が伸びる。広場にきても、菓子を求める人はやまない。
「ロイ」
 人並みを縫って、師匠が僕の目の前に現れた。
 師匠は僕の籠から、シュークリームを一個、取り出した。最後の一個。何の変哲もない、カスタード。
 次に、ケープのどこに入れていたのか、一枚の羊皮紙が出てきた。見覚えがあった。師匠が書きものをする時に使う、専用のものだ。中央には円、その周りには、いくつかの数式が書かれている。
 広げた羊皮紙の上――正確には書かれた円の中に、シュークリームを乗せる。空になった籠の中に、それらを入れた。すると師匠は眼を細めた。何かに満足したときや、楽しくてたまらないという時にやる、師匠の癖だ。
「それ、誰にもやるなよ」
 僕の頭に、軽く手を乗せる。
そうして止める間もなく、走って行った。

 何となく、師匠がこれから何をやることのか見当がついていた。確証はないけど、何かをやるんだったら、これしかない、と思った。
僕の頭に、あまり外に出たがらない師匠の姿が浮かんだ。庭の芝生で、ごろごろしている感じの。本人は町が苦手な理由に、「ごちゃごちゃしていてメンドクサイし、人が多いから疲れる」と言っていた。だけど本当は、対人関係を築くのが苦手で、人見知りをしているのかもしれない、と何となく思っていた。
 昨日から、もしかするとずっと前から、師匠はこの祭りを楽しみにしていたのだ。外が苦手な師匠が、数年に一回、気まぐれを起こしてしまうほど、この祭りを愛しているのかもしれない。
 小さい町だ。僕が思っている以上に、ここは集団の仲間意識が強いのかもしれない。ほとんどの人は認知しつつも心よく放置しているけど、良く思っていない人もいるかもしれない。
 だからこういう時に、普段関わらない分を補っているのだ。お菓子を公然とたかれるだけではなく、人づきあいの苦手な師匠が、積極的に町に関われる行事。
 これから行われるであろう、師匠のサプライズも、師匠なりの、町へのかかわり方なのだ。
もちろんこれは全部僕の想像で、師匠に否定されたらそれで終わりだけど。
 ……上を向いている僕の視界が、師匠の姿をとらえた。尖塔型の時計塔の、ほぼてっぺんに立つ、小さな女の子に、周りはみんな気付かない。足場はしっかりと確保しているらしく、落ちる気配を見せていなかった。
 遠近法によって小さく映る師匠が――両の掌を思いっきり合わせた。パン、という、届かない筈の音が聞こえた気がした。
 数秒のうち――一瞬のどよめき。そして、一斉の歓声。
 ああやっぱり、と思った。
 空から降ってきたのは、
 大量のシュークリームだった。
 大昔の、町を救った魔法使いであったという旅人の姿と、師匠の姿が重なる。これからの厳しい冬を、共に乗り越えられるようにという意味合いの、祝福。
 着ぐるみを着た人々が、空から降るお菓子に狂喜乱舞している図は、なんだかおかしかった。
「やっぱりニーナさん、やってくれたね」
 歓声の中、ラウラが手元に降ってきた一個を口に入れる。そして、
籠の中にあったはずの一個が消えて、羊皮紙一枚だけが残されていた。
これを使って、空からシュークリームを降らせた。……と、考えていいのだろうか。魔法、と確定していいとは思うけど。
「やっぱり師匠は凄いなぁ」
 呟かずにはいられない。
 次々と降らせる空を眺める。と、一つ、他のとは明らかに大きさが違うものが見えた。距離が縮まるうちに、さらにその異様な大きさが明らかにされていく。それはどうやら、僕の所に落ちてくるようだった。
 シュークリームらしからぬ重量を、両手でしっかりと受け止める。
「それ、ニーナさんから、ロイ君にじゃないの?」
「師匠が?」
「だって、わざわざロイ君の所に落ちてくるみたいだったもの」
「そうなのかな……」
 誰にもシュークリームをあげなかった師匠。でも、もしそんな師匠が大きいのをわざわざ僕にくれたのなら、
 ちょっと嬉しいかも、しれない。
 でっかいシュークリームと格闘していると、師匠がふらりと戻ってきた。――人間の姿ではなく、いつもの黒猫の姿で。ちょっと疲れているみたいだった。いつも外に出ない分を使ったから。結構な労力だっただろう。師匠は器用に僕の肩にするりと乗っかった。ありがとうございますと師匠に告げたけれど、師匠は何のことだと知らん顔をした。ラウラの言ったことは、的を射ているのかもしれないな、と思った。
 食べきった頃を見計らって、師匠が僕に声をかけた。
「ロイ」
 天上からは、ひっきりなしにシュークリームが降りしきる。僕の手は、生地の表面に付いたパウダーシュガーで白くなっていた。
「お前、今日のおやつ、手抜きしただろ」
 思わず、師匠とは反対方向に眼を向けた。その強い視線から逃れたかった。しかし師匠はじっと僕を見続ける。……観念します。
「……すみません」
 事実なので、素直に謝る。
「私の分のシュークリームがない」
「……すみません」
 散々食べたじゃないですか、という言葉をのみ込む。
「後で覚えていろよ」
「……はい」
今日の午後のお茶は、グリーンティーに、紅茶葉を練り込んだスコーン(一昨日の残り物です)。それから昨日、ラウラの店で買ったアーモンドのトリュフだった。メインのお菓子は、一個は手作りを入れろと言われているのを、破ってしまった。シュークリーム作るので忙しかったんです、というのは、あまりいい言い訳にはならないだろう。全部なくなったわけだし。師匠の分、ないし。
首を時計台に向けた。尖塔型の時計台の巨大な針は、九時半を指していた。師匠が大きく欠伸をする。これから帰るとして、時間にして約一時間かかる距離を歩くかと思うと、ちょっと気が遠くなった。
肩の重みが増した。瞼は落ちかけている。眠くなって力が抜けたせいか、僕の肩から体がずれ落ちそうだった。
やり辛かったけど、それでもどうにか師匠の体を持ち直す。両腕で抱える感じで師匠を抱く。猫の姿でも、毛並みがつやつやでも、やっぱり人間の体温を持っていた。
「ロイ」
 寝言だった。名前を呼ばれたけど、その後が続かなかった。それでも師匠は何かをしゃべろうとしていた。
「…………」
 声にはならなかった。完全に眠ったようだった。
 だけど師匠の言葉は、僕の耳にちゃんと届いていた。
 隣りでラウラが、くすりと笑った。

 ◆

「やっぱりこれ、難しくないですか」
 数学の微分積分だ。一昨日から全然進んでいない。問題に挑戦すると、三十分に一問、やっと解けるかどうかだ。それもちゃんと理解しているかどうか、自分でも怪しいところがある。やっぱり僕は数学とは相性が悪いのだろうか。
「難しくなんかない。出来ないと思うから、難しいのだ」
「いや、それは、分かっているんですけど」
 出来ないものは出来ない。その辺の僕の凡人さを、師匠に一ミクロンでもいいから分かってもらいたいものだ。
 分厚い数学書と、昨日使った師匠の羊皮紙を交互に眺める。昨日の”空から大量のシュークリームを降らせる魔法”で、いくつかの数式を使ったらしいが、さっぱりわからない。昨日までの疑問が、シュークリームとカリスの町の秋祭りの関連性なら、今日からの疑問はシュークリームと数式の関連性だった。
 残さなかったシュークリームと一日のティータイムのお菓子をないがしろにした罰。それは、昨日の師匠が行ったシュークリームの魔法を、期限内に自力ですべて解き明かすことだった。期限は一週間。
「……何かヒントくれませんか?」
「却下」
「じゃあせめて期限を長くしてくれませんか? 一週間だと、ちょっと。二週間とか」
「駄目」
「せめて十日で……」
「不可」
「……ししょお……」
「ああもう、うるさいやつだな! お茶!」
 もうそんな時間なのか。書物と紙を放り出して、僕はキッチンに向かう。
 今日も祭りは続いてはいるけれど、師匠は町に出ないようだ。菓子もあるだろうが、師匠にとってあの祭りの初日は特別なものなのだ。それでも苦手なのには変わらない。
 一個しかないケーキスタンドに、本日の茶菓子を綺麗に盛り付ける。本日のお茶はルイボスティー。お菓子は南瓜のプリン、グレープフルーツの酸味がさわやかなシャルロット。他のお菓子もたくさん食べる師匠のために、二つとも小さめ。そして……
 一日遅れのシュークリームを一緒に乗せた。
 これからの冬を、共に乗り越えられますように。

                        おしまい

 


 

 前の、「魔法使いと見習いの大魔王」の続編です。連作、といえばいいのでしょうか。こいつらを使った話のストックが数本あるので、それを順序よくサイトアップ出来れば、連作短編になるんですが、それが実現するかどうか。
 祭りのモデルは、明らかにハロウィンです。舞台設定はあまり決めてないんですが、一応は近現代世界のパラレルということになります。
 サークルで使ったものをサイトでリサイクルです。その時のタイトルは、「魔法使いとお菓子な謝肉祭(カルナヴァ―レ)でした。そっちのタイトルも気に入っているのですけど、サイト版はシンプルに。
 最後の「シュークリームを大量に降らせる魔法」のネタがわかった人はご一報を。一応「ここがこうでここがこうなって……」ということは出来てはいるんですが、曖昧な上に文章中で伝わらないもんで……。その内そのへんは改稿するかもしれません。

 

2009.11.03 400字詰め原稿用紙 約40枚

 

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