魔法使いと見習いの大魔王




 初めて見た時、人形が住むような家だ、と思った。サイズが小さいのだ。だけど小さいのはサイズだけで、自然に囲まれた生活感に満ちている。どちらかというと人形ではなく、老婆が住むような家だ。その家はすなわち、僕の師匠であるところの黒猫の家だ。小さいがレンガ造りの、しっかりした家。小さい見た目に反して、中身は恐ろしいぐらいに、広い。
 師匠の自然な家は木と花に囲まれている。春には雪柳が豪奢なヴェールを作り、秋には赤と黄色の葉がはらはらと降りしきる。季節に合った花が、庭と敷地に、埋めるように咲き誇っている。人込みを嫌う先生は、町で過ごすことさえも嫌っていた。曰く、「ごちゃごちゃしていてメンドクサイ。人が多いと疲れる」。
街嫌いで出不精の猫は、山の斜面に面した辺境の田舎で、だらだらと過ごしていた。
 師匠はすごく面倒くさがりだ。自分で植えたり木を剪定したりは、絶対にしない。だけど、庭はいつも雑然と剪定がされていて、花が枯れている時なんてない。どうやっているか。
 それは、師匠が魔法で全てやっているのだ。


 ◆


「いいかねロイ。一時間だ。私は別の姿に変身する。お前は一時間の間に、変身した私を見つけるのだ。範囲は、庭を入れたこの家の敷地内だ。そうすれば、お前に本格的に魔法を伝授してやる。その証として、私の本当の姿を見せてやる」



 猫の姿をしているが、師匠は名前の通った魔法使いだ。その中でも得意なのは、みずからの姿を変える、変身魔法なのだ。僕は猫以外の姿をした先生が生活している姿を、見たことがない。逆に物――たとえばフライパンとか置物とか果物なんかには、よく変身した。
 師匠は、毛並みと同じ色の双眸を、つと細めた。ゲームを楽しんでいるかのようだった。だが、何もヒントがないというのも酷だ。三つだけ、ヒントを与えてやろう。師匠はメモ用紙を三枚用意して、中身が見えないように折りたたんだ。折りたたまれた内側には、既に魔法で字が書いてあるのだろう。一、二、三と割り振られ、師匠は分からないと思ったら、順番に開け、これで分からないようだったら、当面の弟子入りは却下だ、と僕に告げた。
僕は眼をつぶる。師匠は、金の、トップに十字架がついた首輪を光らせて、敷地のどこぞへと消えて行った。


 ◆


 十四歳の僕は、三カ月ほど前に師匠の所に滑り込んだ。ただ一人の肉親であった父が他界したためだ。生前の父は町で医者をやっていた。亡くなる前、私に何かあったらここを訪ねてみなさい、きっとお前の世話してくれる、と言って師匠の元に行くように促したのだ。よく父は、師匠の事を話しており、あいつほど凄い魔法使いを、俺は見たことがないと、言っていたものだ。
 父の家には沢山の本が積まれていた。父の専門分野である医学から、魔法に料理に園芸に建築まで、多岐にわたった。僕の好奇心をかきたてたのは、主に魔法や神話だった。神話の神々や魔王たちは、僕にとって畏敬の存在だった。魔法使いは、人間にしてその神たちにも並ぶことのできる、やはり僕にとっての憧れの存在だった。そんな僕は、父の書斎に入っては、分厚い魔法の本を絵本代わりにして育った。ぼんやりと眺めているだけだったから、知識という知識はないのだけれど。
 父が師匠のところに行けと言ったのは、魔法の本を興味心身に眺める僕をみて、そっちの方面に進ませたいと思ったからでもあるのだろう。
 地図と小さな鞄一つを持った僕を迎えてくれたのは、小さいながら田舎の老婆が住むような自然の家と、しゃべる黒猫だった。
 三回ノックした後、入れ、と女性的に低い声が響いた。ソプラノではなく、アルトの響き。声は確かに女性だとわかるものだ。だが、師匠の声には、色気、いや、女性特有の、声の丸い甘やかさが、まるでなかった。
恐る恐る開くと、黒猫がちょんと、行儀よく座っていた。首に付けた金の首輪が、眩しい光沢を放っている。トップには十字架がつけられていた。
 僕は黒猫を、両脇で支えるようにして持ち上げた。毛並みのつややかさに半端がなく、体と同じ色の瞳は、猫らしからぬ知性と静けさをたたえていた。獣っぽい動物的な温かさが、逆に僕に疑問を湧かせた。
 魔法使いだから、こんなのもアリなのだろう。人間が猫の姿で生活するのも。確信を交えて僕は本人かどうかを確認した。
「あなたが、魔法使いの、ニーナ・ヴァルトシュテインさんですか?」
「そうだ。お前がロヴィンの息子か」
 黒猫は、こっくりとうなずくと、しゃべりだした。口はその言葉のかたちを作っていた。
 ロヴィンというのは、僕の父の名前だ。黒猫と父は随分と親しかったらしい。
「ニーナさん、僕をあなたの弟子にして下さい」
 僕は、ここに来るまでに決めていたことを、はっきりと黒猫に伝えた。
 父の話を聞くうちに、僕は、眼の前の猫の魔法使いに、あこがれていたのだ。だから、僕は決めていた。僕は魔法使いになりたい。この猫に弟子入りしたい。
 黒猫は僕の腕から簡単にのがれて、とたたっと家の奥に駆けて行った。
 一度だけ黒猫は振り向いて、一言、僕に投げかけた。
「好きにしろ」
 僕は正式に猫の弟子になったわけではないのだろう。だけど、好きにしろ、ということば通り、黒猫――ニーナの事を、師匠と呼ぶことにした。

 二階建ての、自然に囲まれたドールハウスのごとき師匠の家は、僕にとって摩訶不思議なものだった。
 まず、お菓子が多い。マカロンに、紅茶の葉が練り込まれたスコーン。チョコチップがちりばめられたクッキーに、ちいさくて丸い飴。フィナンシェ。マドレーヌ。メレンゲ菓子。トリュフなどのチョコレート菓子。それらの保存がきくがお菓子ごとに瓶に入れられて、棚にきちんと収納されている。
 アンティーク調の家具が多いのも眼を惹いた。誰が使うのだかは知らないが、ティーカップも多く、食器に至っては銀食器が目立つ。
 台所には年季の入った、古びたフライパンに大小さまざまな鍋が壁にかかっている。食料品も豊富で、小麦粉は大袋に入って保存されている。
 居間の天井からは、ドライフラワーにリーフが大量に下げられている。
 魔法使いというよりも、カントリーが趣味のお婆さんの家みたいだ、とうっかり呟いてしまった。次の瞬間に僕を待っていたのは、鋭い鞭のごとき先生の長い尻尾だった。したたかに顔を叩かれて、僕は悶絶した。

 ドールハウスで生活をし始めた僕に、師匠が初めて頼んだことは、お茶を淹れることだった。
「お茶っぱは外から摘んでこい。今は生のカモミールが飲みたい。白くて小さい花だぞ、間違えるな。ポットは透明なやつを使え」
 花と木に囲まれているだけあって、師匠は広くはなくても立派な庭を持っていた。どれがどの花だかわからない。カモミールってどれだ? 僕は、父の書斎にあった、園芸の本をぱらりとでも眺めなかったことを、今さらながら後悔した。
 何とかしてカモミールらしき花を摘んで、お湯を沸かしてお茶を入れる。透明なポットにお湯を注ぐと、無色だった液体は、瞬く間に健康的な黄緑色に変化した。
 師匠はずっと、居間にある猫足つきの椅子に、のんびりと体を丸めていた。眠っているように見えたけど、僕がお茶を運びだすとその気配に気がついて、すぐに身を起こした。
「どうぞ」
 椅子の横にある丸テーブルに、こぼさない様に丁寧にカップを置く。
「お菓子もだ。今日はスコーンがいい」
 僕は了解して、スコーンを真っ白い皿に、二つほどよそって持ってきた。
 師匠は顔にカップを突っ込んで、下で器用に茶を飲み始めた。僕は驚いた。まだお茶は熱かったのに。猫は、熱には弱いのではないのだろうか。
「馬鹿者」
 いきなり罵られた。
「私は猫舌でもないし、猫なわけではない。れっきとした人間だ」
 心を読まれていた。内心どきりとする。確かに失礼だったかもしれない。
「じゃあ、何で猫の姿をしているのですか?」
「その方が楽だからだ」
 ドールハウスの住人は師匠だけだった。いつも猫の姿で、どうやって生活しているのだろう。
 カップから顔をあげた師匠はじろり、と僕を睨んだ。空になっていた。おかわりしますか――? と僕は聞こうとしたが、その前に、師匠の細長いしっぽが動いた。
 床を二回、軽く叩く。
 ややあって、空気が変わった。
 見えない手が動きまわっているように、ポットがひとりでに動き出し、勝手にお湯を沸かし始める。窓からは、風に乗って新しいカモミールが届けられ、古いものと入れ替わった。
 ポットが師匠のカップにお茶を注いだ。僕はポットを手に持っていない。誰も支えていないポットは、自由に動いて、元の位置に音もなく静かにもどった。
「こういうことだ」
 ああ、なるほど。僕は感嘆せずにはいられない。この人は魔法で生活のすべてがまかなえるのだ。
 口の端を吊り上げる。多分人間で言うと、にやりって感じの笑いだ。同じように、いつも付けている金色の十字架が、誇らしげに光った。
 二杯目のお茶を飲み干すのを、僕は無言で待っていた。スコーンとともに、ゆっくりとカップの中身を空にしていく。
「随分と採ってくるのが遅かったな」
 カモミールのことだろう。僕は素直に、すみません、どれだかわからなかったんです、と答えた。分からなかったのは事実だし、それを隠したところで、師匠にはすぐに分かってしまうだろう。
一つ息を吐いて、「素直でよろしい」と師匠は言った。
「ロイ」
「何でしょう」
「あの壁時計が五つなったら」
 居間の中央にかけられている、小さな壁時計を見た。五回なるということは、一七時になったら、ということなのだろう。
「五つなったら、六番扉に入れ。そこに、一週間通え」
 意味もわからない僕は、ただ頷くだけだった。
 お茶を飲んでお菓子を食べた師匠は、満腹になったことで眠くなったらしい。そのまま眼をつぶって、眠ってしまった。

師匠の家で、一番びっくりしたのは、狭い家内なのに、扉が多いことだ。扉には一から一三まで番号がふってある。そしてその扉は、開けるごとに別の空間と繋がっている。たとえば一番の扉を開けたら、前は僕の寝室にたどり着いたのに、今日は台所だったのだ。
壁時計が五つなったのを確認して、僕は六番扉を開いた。
驚くことに、そこには、
温室の、植物園が広がっていた。
それぞれの植物の種類、効能、どういった花を咲かせるか。が事こまかに記されている。ぞうさんの形のじょうろが、無造作に転がっていた。
何となく師匠の意図がわかった気がした。勉強しろという意味なのだ。

一週間後、師匠はまた僕に、
「カモミールのお茶を淹れろ」といった。
 僕は庭に飛び出た。なるべく、真ん中の黄色い部分が鮮やかなものを選ぶ。前よりも早く、スムーズにお茶を入れることができた。その際、スコーンを二つ出すのも忘れない。
「カモミールはどのような薬として用いられている?」
「健胃剤・発汗剤・消炎剤・婦人病としてです。他には、安眠の薬としても有名です」
「他には?」
「近くに生えている植物を健康にするという言われがあります。害虫予防としても用いられます」
「カモミールとゲイラムの葉の部分を混ぜて薬にするとどうなる」
 ゲイラムはカモミールと同じキク花の植物だ。絶対的に違うところは、カモミールと違って毒をもっていることだ。
「毒の効果と相まって、強い睡眠薬として使えます。一定量以上飲むと、永眠してしまう場合があります」
 ふむ、と先生は相槌をうった後、舌で器用に飲み始めた。
「少しは勉強したようだな」
 師匠はつと、眼を細めた。猫の顔だから表情がどう変化したいのだかわからないのだけど、人間だったら愉快そうな顔なんだろうな、と僕は想像した。
「これも一種の修業なんですか? なにか意味があるんですか?」
 師匠は紅茶の葉が練られたスコーンを、口いっぱいに入れている。クロテッドクリームもしっかりつける。時間をかけて咀嚼する。
 ごくん、と全てを飲み下す。
「それはこれからのお前が決めることだ」
 それだけだった。
 師匠は大きく欠伸をして、一週間前と同じように眠ってしまった。

 師匠との生活は、大体こうだ。
 朝は僕が師匠よりも早く起きて、ご飯の準備をする。軽めの朝食を摂ったあと、午前中は庭に出る。師匠が今まで魔法でやっていたことを、僕に少しずつやらせるようになったのだ。庭に出るか、師匠の魔法の実験の様子を眺めたりした。
昼食の後、師匠はどこかからか分厚い本を持ってきて、お気に入りの猫足のテーブルに座って、本を読む。僕も本を読む。日が少し傾いてきたら、絶対にアフタヌーンティーを摂る。師匠はその後昼寝をし、僕はそのまま続けて読書をしたり、自室にもどったりする。夕飯後は、師匠の機嫌が良ければ外に散歩にでたりした。
 師匠は家の敷地内を気ままに過ごす。本を読んでいると思ったら、窓辺に腰かけてクッキーを貪り食べている。部屋の通り、お菓子が好きなのだ。
 師匠は、面倒臭がりで、お菓子好きで、気まぐれで、ちょっとした意地悪が大好きだった。
 ご飯の時間になっても、師匠がどこにもいない時があった。その日のご飯は、師匠の魔法ではなく、僕の手作りだった。大麦粉からつくったパンに、鶏肉のトマト煮こみ。菜園からとってきた野菜のサラダ。かぼちゃのスープ。デザートはリンゴのシブーストだ。全部手作りしろと言っておきながら、それを指示した当の師匠が、どこにもいないじゃないか。
「師匠、どこですか?」
 部屋中家じゅうをすべて探し回ったが、黒いシルエットはどこにもいなかった。居間と併設している台所にいったん戻って、再度呼びかける。
「師匠? どこにいます?」
「うるさいな、ここにいる」
 どこからか、師匠の低い声が響いている。それに反して、空気はしんと静まり返ってしまった。
「どこです?」
「間抜けめ、気付け。ここだと言っているだろう」
 その"ここ"が分からないんです、師匠。
「だから、ここだ」
 僕は台所の、竈と流しの横にいた。壁に、もはや見慣れたフライパンと大小の鍋が掛けられている。鍋は、全部で四つなのだ。しかしトマト煮とスープで二つ使っているから、壁の鍋は二つでなければならない。
 しかし鍋が三つかかっているところを確認して、僕は、ああっ、と声を上げた。
「気付くのが遅いぞ」
 一番小さい鍋はぐにゃりと変容して――黒い猫の姿へと変わった。
紛れもない師匠の姿だ。僕は壁に並んだフライパンを眺めた。もごもごと口を動かしている。師匠のお菓子の棚を見ると、メレンゲ菓子の瓶が半分以上減っていた。昨日補充したばっかりなのに。ご飯前にお菓子を食べないでと、僕は何回も言っているのに。しかしそんなことよりも、師匠がずっとフライパンになっていたことの驚きの方が強かった。
「違和感なさ過ぎて、気付きませんよ。日常のことなんて、あんまり意識していないんですから」
「馬鹿者。日常の中こそ紛れ込めるというものだ」
 変身術なんてそんなものだ。
 ある時はフライパンに、ある時は本の一冊に、また、ある時は一本の木と、本当に自由自在に変身した。
 師匠が「何時に何番扉にいけ」とそっけなく言う時は、大抵僕に勉強をさせるためだった。植物をはじめ、ご飯やお菓子の料理、怪我の治療法など、数学や語学など、広範囲だった
 僕は正式に師匠の弟子になったわけではない。だけど、こうして何かをやらされているのは、師匠が僕を試しているようにもみえた。修業の一環というよりも、本格的に弟子入りする前の、見習い期間というものだと僕はとらえていた。


 そんな師匠との生活も三か月目に入っていた。僕はこの家に来てから、随分と家事ができるようになった気がする。ご飯は指名すれば大抵のものは作れたし、洗濯も汚れのしみ抜きも、専業主婦並みに出来るようになってきた。お菓子作りも。
ある日、僕は師匠に呼び出された。お気に入りの猫足のついた椅子に、体を丸めている。だが、声はいつになく厳しかった。
「ロイ」
「はい」
 顎で、自分の前に座るようにと促される。
「お前が私のところで暮らすようになって、結構経つ」
「はい」
「魔法使いになりたいか?」
「はい」
「どうしてだ?」
「どうしてもです」
 僕はまだ、自分が魔法使いになりたい理由を師匠に教えていない。言うと、笑われるような、他の人からみたら馬鹿馬鹿しい動機だからだ。
「魔法を扱いたいか?」
「はい」
 しばらく師匠は考えた。
「ならば、お前に課題を課す」
 そして、師匠の課題が始まった。
 僕は、一時間以内に、別の姿をした師匠を、探さなければならない。
 制限時間付きの、かくれんぼが始まった。

 ◆

 眼をつぶって六〇秒しっかり数えた。
 僕はまず、先生がどこの、何に変身するのかを考えた。
 居間にはいなさそうだ。六〇秒、師匠の足音や気配がしなかったのだ。もっとも、師匠の技術からすれば、そんな事はたやすいことなのだろうけれど。
 壁のフライパンと鍋を一つ一つ叩いてみた。いくら師匠が魔術師と言えど、生き物で人間なのだ。叩かれて無反応ということはあるまい。カン、カーン、カン、と、無機質な音が反響する。師匠、ではないな。小麦粉の中を見る。さすがの師匠も粒子に化けるのは無理ではないか。いや、師匠ならばやりかねない。
 制限時間は、あと五十八分。
 ……これはもはや無謀な挑戦なのではないか。家だけではなく、庭も範囲内なのだ。
 いや、最初からあきらめては駄目だ。
 早いだろうけど、僕は先生が消える前に言っていた、三つのヒントのうち、一枚目の紙を開いた。

 扉は使わない。

 扉は使わないということは、空間から空間に繋がる、一から一三までの扉には入らないということなのだろう。それを聞いて少し安心した。広かった範囲が、少しだけ狭められたのだ。
 師匠が隠れられる場所は、外ならば庭。室内ならば、居間、客間、洗面所、脱衣場、風呂、僕の部屋、師匠の部屋ということになる。
 僕はその選択肢の中から、師匠の部屋を消した。師匠の部屋は入ったことがないし、入室不可ときつく言い渡されている。僕が入れない部屋の中に紛れ込むような事は、きっとしないだろう。師匠は、そういう筋をきちんと通す人だった。
 師匠は日常の中にうまく紛れ込むのが、上手い変身術だと言っていた。ならば師匠的には、日常の中の"非日常"的部分には化けないということだ。何故か。その答えは簡単だ。すぐに見つかってしまうからだ。箪笥の中とか、押入れの中とかには入らない。
 ひとまず僕は、僕の部屋を探してみよう。と思った。

 十分が経った。
 僕の部屋に、師匠の姿はなかった。まさか、僕の部屋で十分つぶすとは思わなかった。嗚呼、貴重な十分。しかも、よく考えてみれば師匠が僕の部屋に入るはずないのだ。師匠は僕の部屋に入ったことがない。僕にとっての僕の部屋は、確かに日常の一部だが、その部屋に入ることのない師匠にとっては、"非日常"と分類されるのだ。
 日常的に師匠がおとずれる所で、師匠が隠れそうなところ。そして、日常の中でも、僕と師匠が共通している部分から探さなければならない。
 客間は却下した。客人が訪れることがないから、僕も師匠もめったに使わない。ならばここは居間か。
 僕は数分かけて再度、居間と台所にかけて探しだす。化けている師匠を呼ぶような、無意味なことはしない。
 僕は第二のヒントを開いた。

 何にでもなれる。

 師匠は普段猫の姿をしている。猫という存在がまず無機物ではないので、今さらかという感じにもなるが。オレンジなどの食品、金木犀などの植物にも化けられるということだ。動物ではなく、植物などにも、なんにでも。
 なんにでもなれる。逆にいえば、なれないものなんて何もない。
 それって今更ヒントになるんだろうか? 僕はそれまで師匠のいろんな姿を見てきたわけだし。
 よくわからなくなってきた。僕が探しているどこにも居ずに、実は僕の部屋にいましたとか、自分の部屋で寝転んでいましたとか、そんなことがあったりしそうだ。裏をかいて、非日常の中にいる可能性だってあるのだ。
 一体何が何なんだ。師匠は一体どこだ?
 扉を使わなくて、先生はなんにでもなれる。
 二つヒントがあってもわかんないや。その中でも何となく、ああ、あらかじめ言っていた場所以外で、ここを使わないなんてことはあり得ない。それだけはわかった。それを差し引いて、いないと思うところは、やはり僕の部屋と師匠の部屋だ。完全に、僕の勘だけど。
 わからなくてうろうろしているうちに、また数分経ってしまった。もう時間は半分もない。三枚目のヒントの紙を、ポケットから取り出す。

三つ目のヒントは、

 私は私だ。私の象徴は何かを考えろ。

 ……ますます意味がわからない。変化をしても師匠は師匠。そんなのは当たり前なんだけど、どういうことだろう。
 多分、師匠は師匠ということは、どんなものに変身しても、僕が一目見て「これが先生だ!」とすぐにわかるようなものなのだろう。先生の象徴、これが先生だというような。
 考えて、また数分たった。あと十五分切っている。あせりで汗が噴き出そうだった。
 僕は師匠の猫の姿を思い出した。上質で真黒な毛並み。同じ色の瞳。低く響いた声。細長い尻尾に、やはり猫にしては長いまつげ。いつもつけている金の十字架はお気に入りらしい。真黒な師匠の体に浮いている。
 そうだ、師匠は全身が黒いけど、浮くように金が強調されているのだ。これは今の僕にとっては、ヒントになるんじゃないだろうか。
 色は金、もしくは黄色のもの。そして黄色も、象徴程度に小さく、だけど存在感を放っているのだろう。
 黄色いマカロン。違う。黄色い服。僕は持っていないし、師匠は服を着ていないから、却下。室内ではなさそうだ。黄色い光もの。師匠はあれ以外つけていない。では、庭はどうだろうか。
 扉を使わなくて、日常的で、師匠が変化できて、象徴的な黄色いもの。師匠だとすぐにわかるもの。
 今の季節は初夏だった。しかし夏にふさわしい向日葵が咲くのは、まだまだ先だ。金色のもの、黄色い花、もしくは黄色が目立つもの。
 もしかして。いや、違うかもしれない。だけど。
 僕は庭に飛び出した。時間は、まだ大丈夫だ。



 庭には広くないながらも五つの区画がある。ハーブ園、薔薇園、花園、果樹園、菜園だ。
 僕は真っ直ぐにハーブの区画を目指した。タイム、ラベンダーの木、レモンバーム、ローズヒップ、ミント、ワイルドストロベリーなどを分けて、僕はカモミールの所を目指す。
 花の一個一個を確認する。
 真ん中の花粉が、一番健康そうに光っているものを探す。これは黒い、これじゃない、これでもない。これは枯れている。
「師匠」
 ようやく、それを見つけた。ちいさい白い花びらが揺れて、ひときわ黄色が輝いている、一輪を。
 花が、ひとりでに揺れた。決定だ。
 その一輪は、ねじるように変容を遂げた。ぐにゃりと歪んだ花は、いつの間にか黒猫になっていた。その姿を見て、僕は大きく息を吐いた。
「師匠」
「遅かったな」
 師匠はぶっきらぼうに言い放った。
「金は、師匠の象徴じゃないですか。なんとか、分かりましたよ」
「嘘をつけ。三つでもわからないと思ったくせに」
 変わらず、師匠は僕の心情を読み取っていた。確かに三つでも意味がわからないとか思ったけど、
「一応は、クリアしましたよ」
 ヒントありだけど、全部見たけど、時間はかかったけど、なんとか師匠の変化を見破った。それは、誇ってもいいことのはずだ。
 カモミールは、確かに花は白い。だけど真ん中の花粉が金色なので、そっちが目立つ。そしてその金色は、師匠のお気に入りの、金の首輪のようだった。
 カモミールの象徴が金の花粉なら、師匠の象徴は漆黒の海に浮き出た、金の十字架なのだ。
 これしか思いつかなかった。
「ロイ、魔法の知識は、少しはあるのか?」
「眺めていただけで、あるとは言えません」
 ふうん、と息をつく。
「一刻後に、一三番扉を開けろ」
 風が、ぬるくなった。日が落ちるのだ。師匠の影が少しのびて、僕のやはり長くなった影と重なった。


 ◆


 師匠の試練を無事に終えた僕は、指定されたとおり、夕刻に一三番扉を開いた。そういえばと思いだす。一三番扉は、師匠から開けるなときつく言われてきたのだ。だから、入ったことは一度もなかった。
 キィイイ……と、扉が軋んだ音を立てる。
 そこは、広い広い図書館だった。
 球体の半分のような天井はガラス張りで、空の色がよく見えた。オレンジ色の球体が、鮮やかな青い色を侵食しながら、空を黄昏色に染めていく。
あり得ないぐらい多い知識の山だった。父の書斎の、十倍や二十倍、いやそれ以上をゆうに超すような。
 師匠は、どこにいるのだろう。
 本棚は幾多にも広がっている。迷路のような本の道を彷徨いながらも、僕は師匠の姿を探した。
 大図書館の中央は、開けたスペースになっていた。その、さらに真ん中という場所には、豪華な造りの椅子が置かれていた。

 ――その椅子には、うつくしい少女が、座っていた。

 きめが細かくて、陶器のような肌が輝いている。肌の白に相反して、髪の毛は流れるような、艶やかな黒。白い絹のブラウスに、リボンと繊細なフリルが控え目についた、膝よりも短い赤いチェックのスカート。黒と白の縞模様のニーソックス。少しだけ厚底な靴。首には、トップが十字架の、金色のネックレスをつけている。スカートからのぞく細い脚を、偉そうに組ませていた。
 飴でも入れているらしく、口の中がもごもごと動いている。
 絶対の自信と知性、そして静けさをたたえた瞳。
 まさか。
僕は眼を見開いて、少女に問うた。
「師匠……、ですよね?」
 少女は、眼をつと細めた。僕は、それは、師匠が嬉しかった時や、楽しい時にやる一種の癖だということを把握していた。
 師匠は口を開いた。猫の姿の時と同じ、全く甘くない、アルトの声で。
「何を間の抜けた顔をしている」
「え、だって、だって」
 敬語を忘れてしまった。だけど、僕にとってはそれほどの衝撃だった。
 師匠は、父と友人だったのだ。父は亡くなったとき四十だった。師匠が父と友人だというのならば、師匠の年は四十前後、若くても三十ぐらいではないと、おかしいのではないか。二十代でもありえない。十代となってはましてや。
 しかし少女は、どう見積もっても、十代前半にしか見えない。僕と、そう年の変わらない様に見えた。
「女性の年齢を考えるな」
 ぴしゃりと怒られた。そうやって怒るって言うことは、きっと年齢は想像にたがわないんだろう。
「じゃあ、何でその姿が真の姿なんです?」
 お前も突っかかるな、というような、心底うざったそうな顔を作った。それでも外見は、愛らしい少女なのだ。嫌な顔しても、可愛いさの一つとして映ってしまうのが不思議だった。
 まぁ、いいや。師匠の歳がどうであれ、それが師匠の本当の姿ならば、僕は真実として受け止めるしかない。それに、ああ、魔法使いならば、きっとアリなんだろう。歳をとらなくても。
 師匠は僕の問いかけを無視して、椅子から立ち上がった。背丈にして平均的な十四歳の男子である僕の、肩ぐらいに師匠の頭の位置があった。艶めいた黒い髪は、腰まで伸びている。見た目は十代前半。僕と同じか少し低い。胸は少しだけ隆起している。容姿は、平均的なそのぐらいの年の女の子だ。ただ、精神と静かな眼だけが、見た目と相反している。
「……弟子入りを許可する前に、ロイ、お前に聞いていなかったことがあった」
「何ですか?」
「お前はどうして魔法使いになりたいのだ? 誤魔化しは許さん。正直に答えろ」
 今まで見た師匠のどの瞳よりも、強い瞳だった。ああ、この眼は欺けない。もっとも、その必要もないのだけれど。僕はぼそぼそと、師匠以外には絶対言えないような、魔法使いになりたい理由を告げた。
 師匠は眼を丸くして――僕が初めて見る師匠の顔だった――が、それも一瞬で、次の瞬間には大笑いし始めた。
「何か変なこと、僕は言いましたか?」
 明らかに変なこと、言ったけど。顔が赤くなる。
 師匠の笑いは止まらない。こころの底から愉快であるらしく、腸がねじ切れるんじゃないかと心配するぐらい笑い転げていた。笑いの発作からおさまった師匠は、真っ直ぐに弟子にしてやる、と宣言してくれた。
「本当ですか?」
 眼を細めた師匠は、何故か眉間にしわを寄せていた。何度も言わせるな、という意味なのだろう。
 少女の姿が、ぐにゃりと歪んだ。師匠が身につけていた服が、宙で一泊静止したのち、柔らかく床に落ちた。布の山から、黒猫の姿をした師匠が、彼女の象徴でもある金の十字架を揺らして、僕の足元に寄ってきた。人間の姿よりも、リラックスした様子だった。
 師匠が次に、何を言ってくるか、僕にはわかった。
「カモミールのお茶ですね」
 尻尾を二回振った。かくれんぼのせいで、お茶の時間をつぶしてしまったのだ。師匠には申し訳ないことをした、と思いながら、正式に弟子になれた嬉しさが隠せなかった。


 ◆


 全く、なんて素直な奴なんだ、と思わずにはいられない。私は弟子が飛び出て行った庭先を、猫の目線でじっと眺めていた。庭はわたしが魔法で手入れをしていた時よりも、ずっと活気に満ちている。やはりこのような作業は、魔法でやるよりも人間の手でやった方がいいのだ。私は面倒だからやらないが。
 私はそれからも、滅多に人間の姿にはならない。この、猫の姿が気に入っているのだ。怠惰に過ごせるし、何よりも、自分の手を使わなくてもいいのだ。便利な弟子もいることだし。
 歳をとらない私を見て、弟子は確かに驚いたようだが、すぐに受け入れた。順応の早い子だ。
 弟子の、魔法使いになりたい理由を思い出すと、のどの奥が震える。未だに笑いの発作に襲われるのだ。
 まだ私は、弟子には何も教えていない。術はおろか、魔法というものが何たるものか、すら。
 彼は、やる気もあるし、根気もある。腕の立つ魔法使いにはなるだろう。そのあとは、彼自身だ。
 いいさ、これから教えてやろう。私が得た知識も。魔法の仕組みも、その存在意義も。私が歳をとらぬ理由も、すべて。ああ、これからが楽しみだ。
 今日のお茶はまだだろうか。弟子を待っているのか、お茶を待っているのかの線引きが曖昧になったまま、私はくあっと大きく欠伸をした。


 どうして魔法使いになりたいか。
 私の問いに、彼はこう答えた。


「僕は魔法を使えるようになったら、大魔王と呼ばれる存在になりたいです」




                                   終


 

 唐突に降ってきて唐突に書き上げた作品です。 執筆時間一日という、やっつけ感が満載ですが、自 分的にはネタが気に入っているので、サイトでリサイクルしました。
 魔法系のファンタジーというと、読んでいたものの影響かスレイヤーズなどのライトノベルっぽいものを思い出すのですが、魔法ってもうちょっとそれだけじゃなくってあるだろう、と思ったのがきっかけです。
 この話はネタ的に思いついたものなので、この二人を使ってもっと別の話を書いてみたいなぁと作者は思ってます。機会があれば、ええ、機会があれば。

 

2009.04.27 400字詰原稿用紙 約40枚。

 

 

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